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赤い髪の悪

 「それで、龍子君がぁ。」

 「はいはい。もうわかったから。仕事終わらなくなっちゃうわよ。」

 

 サクラと龍子が付き合い始めて一週間がたった。

 サクラは二人でデートしたりした楽しい思い出を他の人にも話したいらしく、朝からみおりに話しかけている。

 みおりはそのおかげで龍子という言葉を聞いただけで龍子のほうをにらんでしまいそうだと思った。

 

 「みお、ちょっといい?」

 「はいっ!」

 

 瑠菜に呼ばれてみおりはサクラから離れられると思い、嬉しそうに立ち上がった。

 瑠菜はみおりに一枚の資料を渡してにっこりと笑った。

 

 「法律関係の仕事。ここでは珍しいし、難題だったりするから本当は私とかえが行くんだけど。」

 「行きます!行かせてください。」

 「二人一組で行くものだから、自分でもう一人誘ってちょうだい。」

 「はいっ!」

 

 それはみおりにとって待ちわびていた仕事だった。

 瑠菜のもとへ来る仕事は心のケアをする仕事が多いため、法律的な返答や現実的なことはあまり求められていない。

 だからこそ、みおりはここにきて驚くことがたくさんあった。


 瑠菜は元気づけるために現実離れをしたことをよく言うのだ。

 みおりはその姿を見ていて、「あんなこと言っていいのか?」と瑠菜に聞いたことがある。

 すると瑠菜はにっこりと笑って「今はいいのよ。後のことは本人次第だし。嘘で元気になる人もいるってことね。」と言った。

 真面目に嘘をついている瑠菜にも驚いたが、本当に嘘だけで元気になっている客にもびっくりしたのを今でも覚えている。


 みおりはその時のことも思い出しながら資料に目をやった。

 いつもの仕事なら二十、三十枚は渡されるが、今日は一枚だけだった。

 

 「これだけですか?」

 「えぇ、チラシかと思って捨てちゃいそうになったわ。」

 「……わかりました。」

 

 仕事の内容はもっと少ない一文だった。

 

 『話を聞いて、犯罪かどうか判断する。』


 相当羽振りの良い客だからこそやってもらえるような仕事だ。


 「あ、そういえばかえ。青龍君最近見かけないけど。」

 「仕事は普通にこなしてるけど。確かに最近はここに来てねぇな。」

 「ふーん。かえ、スマホ貸して。」

 「ん。」


 楓李が何も言わずにスマホを渡す姿を見て、この人は浮気とかしなさそうだなとみおりやサクラは思った。

 

 「メッセージ送っておくわね。」

 「どうぞ。」

 「どこに?」

 「誰にですか?」


 瑠菜が楓李のスマホを慣れた手つきで操作しながら言うのを見て、みおりとサクラは反射的に言ってしまった。

 瑠菜はその二人の言葉など聞きもせずにルンルンで鼻歌を歌い始める。

なんなら自分のスマホよりも使い慣れていそうだ。

 楓李のほうも何事もなかったかのように仕事を続けている。

 二人にとってはこれが普通なのだろう。


 「瑠菜さん!これどういう意味ですか?」

 「っ……青龍さ……。」

 「あ……。」

 「早かったわねぇ、青龍君。意外と近くにいたりした?」

 「……暇つぶしに歩いていただけです。」


 青龍とサクラの間に流れた気まずい雰囲気を、瑠菜は気にも留めずに青龍に声をかけた。


 「わ、私外の掃除をしてきます。」

 「あ、うん。よろしくね、サクラ。みおはお茶とお菓子出して。」

 「はい……。」


 瑠菜は青龍の目を見てにっこりと笑って手招きをした。


 「一つだけ教えてほしいの。」

 「なんですか?お茶の相手なら他にもいるでしょう?」


 青龍は何を言われて呼び出されたのか、めちゃくちゃ不機嫌だった。

 チラリと楓李のほうを見ながら言っている。


 「法の知識があると聞いたわ。この日は空いてるかしら?」

 「ちょっと……瑠菜さん?」 


 瑠菜が出したのはみおりに渡したものと全く同じ資料だった。

 捨てそうになった割にはしっかりコピーを取っていたらしい。


 「あぁ、そこに座ってる楓李兄さんに教え込まれましたから多少はありますよ。この日も休みのはずですが。」

 「じゃあ、みおと行ってきてくれる?」

 「みおりちゃんと?いや、みおりちゃんのほうが嫌でしょう?そんなの。なぜ僕が?」

 「一つ目は男手が欲しいから。二つ目はあなたに、みおを助けてほしいから。」

 「そんなの、リナ君でもよいのではないですか?」

 「リナがここに行って何もなく平和に帰ってこられると思う?」

 「……あき兄さんや雪紀兄さんもいるでしょう?」

 「あの二人はそんなに暇じゃないのよ。」


 青龍は必死に断っているが、瑠菜にすべて言いくるめられてしまう。

 一枚上手なのは瑠菜のほうらしい。


 「……そんなに行きたくないなら、私と楓李で行ってこようかしら?」

 「え?」

 「る、瑠菜さん?」

 「青龍行って来い。」

 「青龍さん、一緒に行ってください。」


 巻き込まれそうになった楓李とやっともらえた法学関係の仕事がなくなることを恐れたみおりが、青龍を説得し始める。


 青龍はうそをつくこともできたのだ。

 用事があるからといえば、大体の人は頼むのをあきらめる。

 しかし、瑠菜を目の前にした青龍はうそをつくことができなかった。

 見破られそうな気がして、見破られた後がとても怖くて、二人の後押しもありついには頷いてしまった。


 「やります……。」

 「ありがとう。ちゃんとお給料は出してあげるからね。」


















(30分前……初デートとかそういうのじゃないんだからこんな早くに来なくてもよかったな。)

 

 青龍はそんなことを思いながらスマホを取り出した。

 当日はサクラに会いたくないからという理由で、みおりに外で待ち合わせをしていこうと言っていた。

 駅前で人通りも少ないわけではない場所だ。


 「カフェの中で時間まで待ってるか。」

 「……青龍さん?」

 「……っあ、あれ?」

 「早いですね。まだ来ていらっしゃらないかと思っていました。」

 「み、みおりちゃんこそ早いね。もしかして僕と行くのを楽しみにしてた……なんて……。」


 みおりはいつもとは違うかわいい恰好をしていた。

 誰がやったのかすぐわかるほどきれいにくくられた髪。

 いつものみおりなら着ないようなワンピース。

 そして少し火照った頬。

 メイクも少しだけしているような気がする。

 とても気合の入った格好だ。


 「あ、あのカフェで時間つぶしますか?向かおうとしていましたよね?」

 「え?……あ、いや。出るのがつらくなっちゃうよ。少し早いくらいの時間だからもう向かっちゃおうか。」

 「……はい。」

 「さっさと終わらせてさぼっちゃおう。」

 「え?」

 

 青龍はあからさまに悲しそうな顔をするみおりを見て吹き出しそうになるのを我慢しながらみおりの手をさっとつかんだ。

 あまりにも急な行動にみおりは頭が追い付かなくなる。


 「せ、青龍さんは……。」

 「ん、何?」


(どうしてサクラに告白したのですか……なんて、言えないよね。最近来た私なんかが。)


 「好きな食べ物とかってありますか?」

 「食べ物って料理とか?ん-?甘いものは基本好きだよ。」

 「甘いもの!私も大好きです。」


 みおりと青龍がそんなことを話しながら依頼主との待ち合わせ場所に行くと、依頼主らしき老人が一人立っていた。


 「……あの人でしょうか?」

 「うーん。僕より前に出ないでね。」


 みおりと青龍は老人を不審に思った。

 どう見ても周りの景色に合わないような着物。

 男物なのでそこまで派手というわけではないが、周りと比べて浮いている。

 老人はただ前を見て、杖すらつかずにまっすぐな姿勢で立っている。

 どこを見ているのかはわからないが、みおりと青龍のほうを見ようともしていないのは確かだ。


 「こんにちは。もしかして、瑠菜さんへご依頼をした方ですか?」

 「……ほう、十五分前……。なかなかしっかりとした躾をなされているようじゃな。」

 「はい?」

 「瑠菜様からは来られないから愛弟子を越させていると聞いている。入りなさい。」


 待ち合わせ場所は老人の家の目の前だったようだ。

 みおりと青龍に一言そう言って中へと入って行ってしまった。

 怪しさの塊でしかないと青龍は思い、瑠菜へ電話しようか迷った。

 しかし、みおりが物理的に青龍の背中を押したため行くしかなかった。


 青龍は老人の様子を見て、自分たちが来させられた理由が分かる気がした。

 老人はみおりと青龍の動作一つ一つをじっくりと観察しているようにも見える。

 もし一つでも粗相があればその場で帰れと言われてしまうだろう。

 きっとかかってきた電話以外はその粗相に当てはまってしまう気もする。

 

 「フム、本当にしっかりとした子らだな。」

 「あ、ありがとうございます。」

 「女のほうが瑠菜様の代わりじゃったな。」

 「はい……よ、よろしくお願いします!」

 「知能はどのくらいある?」

 「……私はまだ中学生です。なので、知識は浅いほうです。」

 「それでよいのか?」

 「はい?」

 「瑠菜様は小学生の時点ですでに医療、心理、法律の知識はつけておった。中学生だからというのは甘えであり、もう遅いくらいの年ではないのかね?」

 「……っすみません。」


 青龍の斜め後ろに立ち深々と頭を下げるみおりを見て老人はため息をついた。

 みおりはそんな中もう帰りたいと思っていた。


 最初に老人に声をかけてくれたのは青龍だったが、その後は何もしゃべらなくなってしまったし、瑠菜と比較されてしまうとみおりは何も言えなくなってしまうからだ。

 昔から瑠菜に教わっているサクラとは違い、みおりはまだよそ者なのだ。

 たった一年の差で、瑠菜から今現在教わっている真っ最中でも、瑠菜のこと自体はあまり知らない。


 「まぁ、話しをするとしよう。」


 老人の家は和風で古い家だった。

 広い畳の部屋へと案内されたみおりと青龍は黙ってちゃぶ台の横に座る。


 「ご依頼では話を聞いてほしいとありましたが具体的には?」

 「意見が欲しいのじゃよ。わしがこれから話すことへ。」


 お茶をお手伝いさんらしき若い人が持ってきて三人の前に置く。

 みおりと青龍はそのお茶には手を付けずにその女性に軽く頭を下げてから老人のほうを見た。

 老人は逆にそんな二人を見ながらお茶を一口飲んでいる。

 

 「君たちは赤い髪の悪について知っているか?」















 わしらがまだ君たちよりも若いころ。

 わしには一人の妹がいた。

 妹は元気でよく外を走り回っていたんだ。

 それなのに大きくなるとともにとても大人しい女性へと変わり、ここらにいるどの女よりもきれいな女へと成長した。


 それを……その真っ赤な髪の悪魔が奪い取った。


 ある満月の日、真っ赤な長い髪の男が現れて妹を連れ去ったんじゃ。

 男は妹を気に入ったと言い、お金がなかったわしの家に大量の金を置いて行った。

 その金をお金に換えて借金を返し、余ったお金で立てたのがこの家だ。

 その悪魔がいなければわしはもっと貧相な暮らしをしていたじゃろう。

 その頃は陰に隠れて人身売買が普通に行われていた時代じゃからな。

 法律など、役に立っているようでいないものが多かった。


 さて、ここからが本題だ。

 ここまでの話を聞いて、君たちは今法律がどこまでの人たちに影響を及ぼしているか知っているか?

 それが、よいものか、悪いものかもわかっているか?














 みおりは老人を見てハッとした。

 みおりにとって法律は人間を守り、人間を生きやすくするものだ。

 今までの老人の話など本当かどうかわからないものはどうでもいい。

 しかし、みおりにとって老人の問いは考えたこともないようなものだった。


 今のみおりは誰が見ても法律にのっとっていない。

 中学生でありながら仕事をしていて、給料をもらっていることは違法と言えばそうだ。

 瑠菜は手伝いだからと言っているが、それはそれでどうかと思う。


 「……たいていのことは……法律でどうにかなっていると思います。」

 「……そうか。すべての法律が人を助けるとはわしも思えない。今はなくなったが、昔は魔物が人に危害を与えたり、人が魔物に危害を与えることを禁止する法もあった。」

 「え?」

 「わしはその悪魔が今でも許せない。法がなければ、そいつの家族ごと殺して燃やしてしまうだろう。」


 老人はそう言いながら立ち上がり、シャンシャンと音がしているやかんを持ってきた。

 そしてみおりの横に立ち、みおりに初めて笑いかける。


 「え?」

 「瑠菜様は、悪魔の子孫じゃろう?死んではくれないか?」

 「ちょっ……。」

 「先ほどから君の様子をうかがっていたが、君は瑠菜様とは違う。どう見ても赤の他人じゃろう?本当なら瑠菜様を、と言いたいが来ないなら仕方がない。」


 老人がそう言い終わると青龍はみおりの後ろからさめたお茶を老人にかけた。


 「嫌いだから死ねというのは少しわがままではありませんか?」

 「……あぁ、その自信。人を殺していそうな目。思い出した。君は楓李とかいうやつの弟子であろう?」

 「……みおりちゃん、もう帰ろう。」

 「後で電話をすると瑠菜様に伝えておいてくれ。」


 老人はそう言ってその場に座り込んだ。


(あの目の少年は三人目だな。)





 老人がまだ中年と呼ばれるくらいの年の時、ある少女と少年二人がこの家を訪れた。


 「父と母を許してほしい。」


 話を聞くと、あの悪魔は数年前に死んだらしい。

 妹は生きているらしいが、家族に会いたくないと言っているらしい。


 少女はピンクの派手な髪色ですぐに魔物の属種だとわかった。

 しかも、その堂々とした姿は赤い髪の悪魔からの血を引いているとしか思えないほど赤い髪の悪魔にそっくりだった。

 老人は小女の首を手で締め上げようとしたが、少女は抵抗をすることも苦しむ様子もなかった。

 そして、二人の少年に邪魔された。

 今でもそのうちの一人は覚えている。

 恐怖でしかなかった。

 本当に死を感じた。

 その少年の目と、青龍の目が全く同じ雰囲気だったのを思い出しながら老人は笑った。


 「しびれ薬を入れていたのが敗因だな。」


















  老人の家を出て、青龍とみおりはまっすぐ帰らずに少し寄り道をすることにした。

 というのも、みおりの足ががくがく震えて顔色も悪かったため、青龍が遠回りをして帰ろうと言ったのだ。


 「みおりちゃん、何か食べて帰る?」

 「……あれ、食べたいです。」


 みおりは駅前の公園に泊まっている車を指さして言った。

 クレープを売っているらしく、子供やカップルが周囲でクレープをほおばっている。

 それがめちゃくちゃおいしそうに見えたのだ。


 「わかった。そこら辺のベンチで座っててね。」

 「え?あ、ありがとうございます。」


 青龍はみおりがどこに座ったのか横目で確認しながらクレープを買いに行った。

 みおりは立っているのも少しきつかったため座ることができて安心した。


(赤の他人……そうだよね。私はもともと瑠菜さんなんかと全くかかわりがなくて……瑠菜さんたちは私のいたところからしたら雲の上の存在だったし。)

 

 瑠菜やサクラ、リナがまるで元からいたかのように接するため、みおりは忘れかけていたが、何度も言うようにみおりはもともと瑠菜たちとのかかわりはなかった。

 昔のみおりに今瑠菜の弟子でいることを話しても信じてすらもらえないだろう。


 「ねぇ、あの子一人?」

 「邪魔なんだけど……。」

 「どいてほしいよね?」


 カップル数組がジッとこちらを見てこそこそ話している。

 みおりが何となく座ったのは二人用のベンチで、周りのベンチもすべてカップルが占領していることに気づくまで少し時間がかかった。

 カップルはそんなみおりに腹が立ち、直接声をかけようとした。


 「なぁ……。」

 「ごめんね、みお。全部おいしそうだったから迷っちゃった。……何?君ら。」

 「み、みお……?」


 青龍がカップルをにらみつけると、カップルは何も言わずに離れていった。

 みおりは青龍から急にみおと呼ばれて戸惑っている。


 「ったくもう、ほら。瑠菜さん心配しちゃうから早く食べて帰ろ。」

 「……。」

 「みおりちゃん?」

 「……あ、はい……。すみません。」


 みおりは青龍が来るまでに考えていたことがすべて吹き飛ぶような勢いで返事をした。

 いや、すでに吹き飛んでいたのかもしれない。


 「いちごチョコって最高だよね。あ、バナナ派だった?」

 「いえ、私はイチゴ派です。生クリームにチョコソースとかたまらないです。」

 「気が合うね。僕もそう思う。」


 みおりは青龍とそんな話をしていて少し心が軽くなった。

 みおりは心とともに口まで軽くなってしまう性格らしい。


 「……サクラのこと、好きなんですか?」

 「え?」

 「なんで告白したのかな……って思ったので。」

 「えー?んー、龍子がサクラちゃんのこと好きだからかな。あいつの性格上、告白はおろか自分がサクラちゃんを好きってことすらも気づかなさそうだったし。」

 「え?じゃあ好きなんじゃ……。」

 「かわいいとは思うんだけどね。彼女より妹にしたいタイプかな。まぁ、会いにくくなったのは確かだけど。サクラちゃん、すごく申し訳なさそうに僕を見るし。」

 「そっか……。」

 「みお、クリームついてるよ。」

 「へ?」


 みおりの唇に少しだけ青龍の手が触れる。

 みおりは少しだけ体をこわばらせたが、すぐに笑顔を作った。

 笑顔でいないと心臓が爆発しそうだったのだ。


 青龍はそんなみおりを見てかわいいなと思う。

 サクラとはまた違うかわいさがある気がしたのだ。

 いつもクールな印象が強く頼りになりそうだとは思っていたが、女の子らしいみおりの姿はそのイメージをひっくり返すのに十分すぎるくらいだ。


 クレープを食べ終わり、二人は瑠菜がいつも仕事をしている小屋にたどり着いた。

 今日のことについて報告するためだ。

 一応、青龍からも報告しておきたい点がいくつかあったため、みおりに来なくていいと断られながらついてきた。

 しかし、その必要はなさそうだとすぐに思った。


 「どういう意味でしょうか?」

 「少年がわしにお茶をかけてきおってな。これに対してどう対処してくれるかと言って……。」

 「そちらでどうにかしてください。」

 「な?お前にいくら払っていると思って……。」

 「そのようなことは頼んだ覚えがございません故。」


 どうやら青龍にお茶をかけられたことを老人が怒ってここへ電話をしてきたらしい。

 瑠菜は作業をしながらスピーカーモードで淡々と応答している。

 

 「わしはお前に……。」

 「あ、すみません。回線が悪くって。」

 「大体やかんのお湯をかけようとしたくらいで……。」

 「沸かしておられたのですか?」

 「あ、あぁ。まぁな。」


 瑠菜はそれを聞いた瞬間スマホを手に取った。

 そして、今まで見たこともないくらいの笑顔でゆったりとしたしゃべり方をする。


 「よかったですね、やかんのほうでなくて。」

 「は?」

 「私ならあなたからやかんを奪い取ってしまっていました。」

 「何を言っている?わしは……。」

 「冷めた茶をかけられたくらいで騒いでるんじゃないわよ。そもそも私の弟子の悪口ばっかり言っていて、私が怒らないと思っているのかしら?」

 「あんな赤の他人のような女どうでもよかろう?仕事はできるとしても女としての可愛げがなさすぎる。それに瑠菜様はあんな……。」

 「かわいげはあると思います。」

 「青龍さ……。」


 青龍が我慢できなくなって一言言うと、楓李が奥の方から顔を出した。

 瑠菜のほうは二人が返ってきたことに気が付いていたのか驚いたような反応すらもしなかった。

 こちらの様子が見えていない老人だけが青龍の言葉を聞いて怒っている。


 「その熱湯は私にかけるおつもりでしたか?」

 「っ……あぁそうじゃよ。あんたのような……。」

 「……じゃあ、もうこの辺で。」

 「まだ話は終わっていないぞ。」

 「あ、いえ。あなたとの取引はもうこのくらいにしてということです。今までありがとうございました。」

 「おい……それは……。」

 「取引は打ち切りですね。会社と会社の取引はこれからも頑張ってくださいね。」


 瑠菜がそう言って電話を切ると、顔だけ出していた楓李が奥の部屋から出てきた。

 

 「おかえり。よくみおりを守ったな。」

 「子供扱いしないでください。龍子じゃあるまいし。」

 「おかえりなさい、二人とも。お手伝いしてくれてありがとね。」

 「ただいま帰りました。あの……いいんですか?取引って……。」

 「あぁ、会社からはずっと縁を切れって言われてたからね。いつ切ろうか迷ってたところだったの。まぁ、命の危機があるならさっさと切らないとね。」

 「あの……瑠菜さ……。」

 「ん?みおり、怖かったでしょう?ごめんね、おいで。」

 

 瑠菜はみおりの異変を察して両手を広げたが、みおりは瑠菜のほうへ近寄ることができなかった。

 老人の言葉が妙に心に刺さっていて、瑠菜が自分をどう思っているかすらも怖い。


 「あの……瑠菜さ……。」

 「ん?」

 「私は……。」

 「みおり、もしかしてあのじぃさんから何か言われたか?」

 「っ……はい。」

 

 みおりが頷いて下を向いていると、瑠菜と楓李は青龍のほうをじっと見た。

 説明しろと訴えられているような感覚になる。

 青龍は仕方なく、みおりに言ってもいいか許可をもらってから老人に言われたこととされたことを話した。


 「うんうん。そっか。みお、似てないとか他人だとか第三者が言ってもいいことじゃないわ。そういうのは本人たちが決めること。少なくとも、私はみおが大切でサクラやリナと同じくらいの立ち位置でみおを置いてる。だから今回、みおに頼んだのよ。」

 「でも……。」

 「大丈夫。私にとってみおはかわいい私の弟子なんだから。みおが私のことを嫌っても手放す気はないよ。」


 瑠菜はそう言って、みおりを抱きしめてみおりの頭をなでた。


 老人がみおりに言った言葉は瑠菜がよく言われていた言葉だ。

 すぐにコムや雪紀と比較されて最後には辞めてしまえと怒鳴られる。

 一番つらかった時、コムはもういなかった。

 だからと言って雪紀がそんなことを言われていると知ったからといって瑠菜を慰めたりするはずもなく、瑠菜はとても寂しくて不安な日が何日も続いた。


 だからこそ、今回瑠菜が行けなくなってみおりに行ってもらうことになった時、瑠菜に少しの不安もなかったわけではない。

 ただ、老人も年を取っていてあまりしゃべらないし、何もしてこないだろうと頭の中で考えていた。


 「楓李兄さん……俺。」

 「龍子の背中押すために告った後は何だ?大切な奴でも出来たか?」


 ニヤニヤとしながら言う楓李を見て、青龍は大きくうなずいた。

 青龍の目は瑠菜に泣きついて感謝を伝えているみおりのほうを向いている。


(弟子がみんな瑠菜に吸い込まれてる気がすんな……。)


 楓李はそんなことを思いながらコーヒーを飲み込んだ。


















 「みおは好きな人いないの?」

 「……いないです。」

 「えぇ……いますよね?ね!」

 「早く仕事しないと。」

 「みおちゃん、恋はしたほうがいいのよ。」

 「しなくていいです。」


 時は少しさかのぼり、青龍とみおりが老人の依頼を受ける前。

 みおりとサクラは、瑠菜に連れられてきぃちゃんの部屋の掃除をしに来ていた。

 みおりはきぃちゃんには敬語、サクラにはため口と上手に分けて話していた。

 サクラは龍子と付き合ったばかりなので、きぃちゃんにいろいろと相談している。


 「あ、そういえば青龍君がね……。」


 ガシャン。


 「え?ちょ、みお大丈夫?」

 「はい。少し手が滑っただけです。」

 「え?もしかしてみおちゃん青龍君のことが好きとか?」

 「いやっ……違いま……。」


 ドンっ。


 「みお、本当に大丈夫?」


 瑠菜がみおりを心配して駆け寄ると、きぃちゃんとサクラがキャッキャと騒ぎ始めた。

 みおりはそれを否定しようときぃちゃんとサクラに近寄ろうとして転び、また瑠菜から心配されている。

 あまりにもわかりやすく動揺しているみおりは誰がどう見てもかわいい恋する乙女だ。


 その日はきぃちゃんの一言によってきぃちゃんの部屋掃除は中止して四人で恋バナ大会が行われた。

 もちろん、主役はみおりで。


 「一目ぼれでしょう?」

 「悪いですか?」

 「青龍さんは顔だけはかっこいいですもんねぇ。」


 先日青龍のことを振った張本人のサクラが言うと、みんな大きくうなずいた。

 瑠菜はよく青龍のことを話せるなぁと思いながら話を流し聞きする。

 みおりの手当てをしているため部屋を出られなかったのだ。


 「青龍君かぁ。モテる男ってのは大変ねぇ。」

 「私は龍子君が好きなので。」

 「あれ?青龍君も好きだって言ってなかったっけ?」

 「……本当に私のことを大切にしてくれるのは龍子君だけです。」

 

 サクラはきぃちゃんに聞かれて顔を真っ赤にしながら答える。

 まだ、龍子との話を周りにするのは恥ずかしいらしい。


 「みおちゃん、デートにでも誘えば?」

 「え?」

 「いいですね。」

 「……でーと……。」

 

 きぃちゃんの提案にみおりは最初戸惑ったが、もう一度デートという言葉をかみしめた。


 「付き合ってもないのにそんな……。」

 「サクラちゃんなんて付き合う前に龍子君と花火見に行ったりしてるし。」

 「大丈夫だと思いますけど……。」

 「……きっかけがあれば……誘います。」


 みおりがそう言うと、きぃちゃんはニッコリと笑って瑠菜を見た。

 何も言われていないが、瑠菜はその意味をすぐに理解できる。


(仕事でも与えてきっかけを作ってあげろ……か。面倒な……。)


 瑠菜はとりあえず三人の会話には入らずにスマホに送られていた仕事の内容に目を通した。

 百件以上もあるその仕事はほとんどが瑠菜によって却下されたものだ。

 これからほかの人たちのもとへ送られる予定の物である。

 瑠菜はその中からみおりが喜びそうかつ楽そうな仕事を選ぶことにした。

 















 「瑠菜さん、お願いがあります。」

 「……仕事増やさないでくれる?」

 「何なら減らしますよ?」


 時は戻って、青龍とみおりが老人の家に行った次の日。

 瑠菜は青龍に仕事を減らすと言われて目を丸くした。


 「かえに許可は取っているの?っていうか、あなたは龍子君の分の仕事まで引き受けていると聞いたけど?」

 「許可は取っています。仕事は暇つぶしをするくらい暇ですよ。」

 「何がやりたいの?そこまでして。」

 「みおりちゃんのサポートです。」


 青龍は瑠菜に頭を下げたり、瑠菜の目を見てしっかりとその意図を伝える。

 瑠菜はその姿を見て半分呆れてしまった。


 「……龍子君と同じ立場になるってわかってる?いや、そもそもみおはしっかりした子だし。その必要は……。」

 「俺は真剣です。わざわざあなたに頼み込むことも珍しいでしょう?それに、必要かどうかはあなたが決めることじゃないですよ。」

 「……それもそうね。はぁ……。みお、手伝いする人とかいる?」

 「え?いたらそりゃ助かりますけど……。私の仕事は瑠菜さんの仕事と同時進行できないので。猫の手でも借りたいくらい忙しいですし。」


 瑠菜がみおりに声をかけて聞くと当たり前のようにそう答えた。

 奥のほうからわざわざ出てきたところを見ると、なぜ瑠菜がそんなことを聞いたのかどころか青龍との会話すらわかっていないのだろう。


 「……わかったわ。じゃあ明日から青龍君がみおを手伝うからよろしくね。」

 「えっ!ちょ……瑠菜さん?」

 「よろしくね。」


 瑠菜はにっこりと笑っている青龍の前に紙の束を置いた。

 みおりは自分がキャパオーバーしていることに気がいてまた奥へと帰って行ってしまった。


 「瑠菜さん?」

 「弟子を作るといろいろ契約書を書かないといけないのは知ってるわよね?」

 「ま、まぁそれは……。」

 「はい、これ私と楓李の印鑑。」

 「ちょ。」

 「いやでも忙しくて仕事終わんないのに、残業までさせる気?もう自分でも書けるでしょう?」

 「がんばれ、青龍。こっちもあるぞ。」

 「……はい。」


 楓李も紙の束をどさっと渡す。

 瑠菜が楓李のハンコを持っていることにはそこまで違和感はないが、自分がこの量の書類を書かないといけないことにはあまり納得しなかった青龍は大きなため息をついた。


 「手伝って……。」

 「アー、イソガシイナー。」

 「……やるか。」


 青龍は仕方なく契約書の束をすべて書いたのちに本社までもっていくのまで自分でやった。

 

 「え?青龍さん?」

 「あ……久しぶりだね。サクラちゃん……。」

 「……お久しぶりです。」


 サクラは瑠菜のおつかいから帰ってきて目を見開いた。

 ぐでっとソファーに座っている青龍がいたからだ。

 周りに瑠菜の姿も楓李の姿もないことから一人で留守番でも頼まれたのだろう。


 「あ疲れでしょ?飲み物持って来ようか。」

 「青龍さんのほうがお疲れに見えますけど……。大丈夫ですか?」

 「大丈夫、大丈夫。あ、そういえば。最近、龍子とはどう?」

 「……青龍さんって龍子君のお兄さんみたいですね。」

 「え……そ、そう?」

 「はい。だって……こんな風に声をかけられるのは本当に大人で、お兄さんだからできることです。」

 「え……あ、声かけられたくないか。……そっか。ごめん。」

 「いや、そうではなくて、ありがたいとは思っています。」


 青龍はサクラに振られたことをすっかり忘れていた。

 それ以上にみおりのことや、契約書の作成提出で頭がいっぱいだったからだ。

 瑠菜もそれが狙いだったのだろう。

 毎度サクラと青龍が顔を合わせるたびに気まずい雰囲気が流れるのは勘弁なのだ。

 

 「配慮が足りてなかったね。」

 「青龍さんってどんな育て方されたらそんな風になるんですか?」

 「え……育て方?」

 「育ちが知りたくなりました。」

 「サクラちゃんと一緒だよ。施設の前に捨てられたんだ。」

 「え……そうなんですか?」

 「俺は一歳のころに一個下の赤ん坊と一緒に施設の前に捨てられたんだ。母親の顔さえも覚えてないよ。ただ、雨が降っていたからだったのか小さい子供用の傘を僕に手渡したあの手だけは覚えてる。」

 「赤ん坊って私たちと同じ年……。」


 青龍はすぐに自分のことを話しすぎたなと思った。

 あまり言いすぎると龍子の兄であることがばれてしまうかもしれない。

 そうなると龍子に迷惑をかけてしまう。

 青龍は龍子と血のつながった兄として、どうしてもそれだけは避けたかった。


 「まぁ弟も僕も小さかったから今は疎遠だけどね。」


 それに今龍子には実の兄である青龍よりも慕っている人がいる。

 龍子の中で青龍は名前の似たライバルでしかないだろう。


 「弟さん、今何してるんでしょうね。」

 「さぁ。」


 今君と付き合っているとは口が裂けても言えない。

 何よりも龍子がこの事実を知ってどんな反応をするのか。

 それが青龍にとって何よりも怖かった。


 「あ、サクラちゃんと青龍くんみっけ。ちょっと来てくれる?」


 きぃちゃんに呼ばれて二人はとりあえずついて行くことにした。

 その後、きぃちゃんに押し付けられた仕事を持って帰り、瑠菜から怒られたのは言うまでもない。

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