いらっしゃい、みなこちゃん
「瑠菜さん、お帰り……え?」
「瑠菜、その子誰?」
瑠菜を玄関でお出迎えしたサクラとリナは少し後ずさりをした。
みなこを見て、汚い子だと思ったのだろう。
いや、実際にみなこの外見はそんなに良いものではない。
「この子は、みなこちゃん。ちょっと世話することになっちゃって。」
「いつまでですか?」
「一生?」
「ちょっとじゃないです!一生は長いです。」
「なんで楓李兄も断らないの?」
サクラとリナはすごく嫌そうだった。
何なら家にも入れたくないのだろう。
「あなたたちが世話するわけじゃないでしょう?迷惑はかけないし、ほらお風呂入るからどいて。」
瑠菜はそう言って二人をあしらうと、さっさと中に入った。
楓李も二人のことは無視して自室へと入っていく。
楓李は家までずっとみなこを抱っこしていた。
みなこの足では夜が明けても家までつきそうになかったからだ。
そのため楓李は疲れていて、家にたどり着く前にさっさと自室のお風呂に入りたいと言っていた。
「さぁ、みなこちゃん。お風呂入ろうね。」
「おぅう?」
「お・ふ・ろ。きれいにしようね。この子も。」
研究所を出るときに瑠菜は全てのおもちゃやぬいぐるみを持ってくるのは無理だと判断した。
なので、瑠菜はみなこに一つだけを選ばせた。
おもちゃやぬいぐるみ一つ一つをみなこに見せてみなこが一番反応を見せたものを持って来たのだ。
みなこが反応したのは一つのクマのぬいぐるみだった。
ハカセから聞いた話によると、そのぬいぐるみはコムが持ってきたものらしい。
少し汚れているのは、みなこがよく持ち歩いているからだと言っていた。
瑠菜はそれを洗濯機の中に入れてみなこをお風呂へと入らせる。
今までみなこが着ていた服はもう着れなさそうだと思い、ちゃんと楓李にメッセージで服のサイズを送った。
瑠菜がお風呂の中に入ると、想像通りみなこは裸のままお風呂場の隅でうずくまっていた。
(湯舟の中には入っていてほしくはなかったけど……。)
瑠菜は待っていたことをほめるべきか、はたまた風邪をひくからと怒るべきか少し迷った。
「……ごめんね。待たせちゃったね。さぁ、体洗おうか。」
瑠菜はどちらもしないという判断をした。
ほめてこれからもこうされると困るからだ。
いや、それだけではない。
カタカタ震えながらいられると、少し怒りたくなくなったのもある。
「あ、うっ!……いぁ……あぁ!」
「ありゃ、みなこちゃん水嫌いかぁ。大丈夫だよ。」
瑠菜は水圧を緩めながらみなこに言った。
まだ水がかかったわけではないのだが、みなこは瑠菜にしがみついて震えている。
(これは……長いお風呂になりそうね。)
瑠菜はそう思いながら桶に水をためて、手でみなこに水をかけ始めた。
「んっ……んん。」
瑠菜が笑顔でピチャピチャと水をかけていると、みなこはだんだんと水に慣れて自分でも桶の水を手ですくって瑠菜にかけ始めた。
それまでで約三十分間。
水を叩いたり、桶をひっくり返したりできるようになったころには、もう瑠菜もみなこも体はびっしょりと濡れていて、あとは泡で洗うだけとなった。
みなこは泡に対してはそこまで怖がらず、楽しそうに泡で遊んだ。
瑠菜はみなこが泡に気を取られている間に、みなこの頭から足先までさっさと洗った。
そしてそれが終わってからもまた地獄だった。
「うっ……あぅう。」
「大丈夫。ほらほら。」
「うぅ、あぅ。……いぁ!」
また、みなこが水に慣れるまで三十分はかかった。
「はーい、あったかいよぉ。気持ちいよぉ。」
瑠菜がやっとのことで浴槽にはいれたのはお風呂場に足を入れてから約一時間が経っていた。
みなこは瑠菜の膝の上で水面を叩いている。
この遊びにはまったのだろう。
お風呂から出ると、楓李が待っていてくれた。
「ゆっくりお風呂入れてないなら、俺がみなこを見ておくから。もう一回入って来れば?あとしおんに事情を話したら、できるだけ胃にやさしくて栄養のあるもの作ってくれるって。」
「ありがと。お風呂はもういいかな。」
「どうせみなこ待たせないように急いだんだろ?ほら入って来い。」
「……わかった。入ってくるね。」
瑠菜は楓李に言われて、もう一度お風呂に入ることにした。
みなこのことはしっかりと洗ったが、先にみなこを湯船につからせるのは少し心配だったため自分は軽くしか洗わなかったのだ。
「みなこ……まぁ、そうだよな。」
楓李は瑠菜を見送ってからみなこに声をかけた。
しかし、みなこは部屋の隅っこでうずくまったままブルブルと震えている。
(そもそもこいつは自分の名前を理解しているのか?)
見ていた感じでは瑠菜の思い付きでみなこという名前をこの子につけたように思える。
きっと、今まではいつ死ぬかもわからないうえに誰もが率先して名前について言えなかったため、名前を付けていなかったのだろうが、その間は何と呼ばれていたのだろうか。
「みなこ、ここにおいで。」
「うっう?」
「楓李、俺は楓李だ。」
「あーえぃ?」
「か・え・り。」
楓李は自分に全く近寄ってこないみなこに近寄りながら言った。
もちろんのごとく、みなこは逃げ腰で今にも逃げ出しそうだ。
多少傷つくなぁと思いながら楓李はタオルを手に取る。
濡れてる髪を拭こうと思ったのだ。
「うぅ~あ。い~あぁ!」
みなこはそれをすごく嫌がった。
髪を拭くという行為を嫌がっているというより、楓李に触られることを嫌がっているようにも見える。
「……何してんの?」
「瑠菜。」
「う~にゃ!」
お風呂から出てきた瑠菜を見て、みなこは四つん這いになって瑠菜に駆け寄る。
まるで赤ちゃんのようにハイハイしている。
今まであの研究所で運動してこなかったのもあり、足腰がしっかりしていないらしい。
「慣れてくれねぇかなぁと……。」
「女の子一人すら口説けないくせに。」
「そんな俺の彼女はお前だろ?」
「……どうかしらね。」
瑠菜がそう言いながらみなこを抱き上げると、楓李は心配そうな表情をした。
抱き上げられたみなこのほうは瑠菜にぴったりとくっついている。
「瑠菜、大丈夫か?」
「これくらいなら大丈夫よ。ねぇ、みなこちゃん。」
「そう……か。いや、そうだよな。でも……。」
「う~にゃ。う~にゃ!」
「んー?そうだよ。私は瑠菜だよ。」
「う~にゃぁ!」
瑠菜はそう言いながらみなこをベッドの上に座らせた。
「かえ、くし取って。」
「はいはい……。」
瑠菜に言われて、楓李はくしを瑠菜に渡す。
瑠菜はくしを受け取るとすぐにみなこの髪をとかし始めた。
「あー。頑張ってよかった。」
「相当リンス使ったろ?」
「洗う分にはよかったけど、濡らすのが……ね?」
見るからにぐちゃぐちゃで絡まりきっていたみなこの髪がくしを通すたびにまっすぐになるのを見て楓李も感心する。
「うーにゃ。うー。」
「おなかすいた?」
「う~う。」
みなこは簡単な言葉なら理解しているようだ。
しかし何が一番すごいかというと、瑠菜もみなこの言葉をすぐに理解していることだ。
楓李からしたらみなこは赤ちゃん言葉過ぎて宇宙人と同等だ。
いや、瑠菜は理解なんかしていなくて適当に言っているだけなのかもしれない。
楓李は一瞬そう思ったが、みなこが瑠菜になついていてご機嫌なところを見ていて、瑠菜は本当に理解できているのだろうと思った。
「もう、ご飯食べに行こうか。」
瑠菜がそう言ってみなこの右手をつないで立たせると、みなこはよたよたとしながら立ち上がった。
それを見た楓李はすぐにみなこの左手をつかんで転ばないようにする。
「私が両方つなぐからいいのに。」
「二人のほうがいいだろ。」
瑠菜を後ろ向きで歩かせると、みなこが転んでも転ばなくても転びそうだ。
楓李はそう思い、この二人から目を離さないようにしようと誓った。
「こんにちは。僕はしおんです。しー君、しー君って呼んでくださいね。」
「……。」
「しー君、この子すんごく人なれしてなくて……ごめんね。」
「大丈夫ですよ。僕はこれから何度でも声をかけますから。」
しおんに話しかけられてすぐに瑠菜の足に抱き着いてブルブルと震えているみなこを見て、瑠菜はしおんに謝った。
しかし、しおんはにっこりと笑ってどちらかというとやる気を出しているように見える。
「こいつが研究所の子か?いくつだ?」
「っ……。」
「6歳だって。本当はもっと喋れたりする年ごろなのにね。」
「まぁ、しょうがねぇな。俺は雪紀だ。ゆ・き。」
「……。」
「みなこちゃんもこんなんだし、やっぱり部屋で食べたほうがいいかしら?」
ブルブルと震えて顔を上げようともしないみなこを見て、瑠菜はそう言った。
今まであんなに狭い部屋にいたのだから、急に外へ出て大人数と一緒にいろというのは無理があると思ったのだ。
この言葉には雪紀も何も言わなかった。
「えぇ……瑠菜さん一緒に食べないんですか?」
「瑠菜、一緒に食べようよ。」
「でも……。」
サクラとリナは瑠菜と一緒に夕飯を食べたいらしい。
必死に部屋へと帰ろうとする瑠菜を引き留めている。
「大丈夫ですよ。食事はみんなで楽しくするものですから。みなこちゃんだってそのほうがいいです。」
「俺はどっちでもいいと思うが……。楓李だって手伝うだろ?」
「もちろん。そうするつもりだ。」
瑠菜はみんなからこんな風に言われても首を縦には振れなかった。
「何か、心配事でもあるのですか?」
「……みなこちゃんは良くも悪くも何も教わってないから。」
しおんに聞かれて、瑠菜は言いにくそうに答えた。
そうだ。
みなこは偏った知識や宗教的な考えを教え込まれていない。
それは良い点といえるだろう。
だが、それと同時に生活するうえで必要なことも教えられていないのだ。
もしかすると、周りをすごく汚してしまうかもしれない。
または、食べている途中で遊び始めてしまうかもしれない。
すごくがっついて食べて他の人のまで取るかもしれないし、みんなと食べることに慣れていないからこそ全く食べないかもしれない。
そこは瑠菜にも想像できない。
「瑠菜、俺はそれくらいでお前を怒るか?いや、お前じゃなくても、怒り出したりしたか?」
「え……?」
「ガキがきれいに食べてるほうが気味悪いだろ。もっと言うと、お前が困ってたら助けるし、別に何をされても俺はいいと思うが?」
「それは……。」
「みんなといるってことも一つの教育だろ?」
「……わかった。」
瑠菜が渋々首を縦に振ると、雪紀は満足げに笑った。
サクラやリナはそれを聞いて安心したような顔をする。
雪紀はそれに気づきながらも無視してしおんのいるキッチンへと声をかけた。
「さぁーて、今日の夜ご飯は何だ?」
「コロッケです。油で揚げた後にトースターで焼きました。サクサクでおいしいですよ。」
雪紀としおんが楽しそうにしゃべっているのを見て、瑠菜は少し安心した。
いや、もともと雪紀としおん、楓李はみなこの世話をしてくれると思っていたのだ。
しかし、みなこが慣れてくれるかや怖がって泣き出したり暴れまわってのではないかという不安が瑠菜には常にあった。
(みなこちゃんも落ち着いてるし……大丈夫ね。……大丈夫ではないか。)
瑠菜はもっとみなこに感情を持ってほしいと思っている。
瑠菜といるときは、結構感情を出しているように見えるみなこでも年相応かといわれると少し違うと瑠菜は思っていたのだ。
そう思う理由は、瑠菜はまだみなこの笑顔を見ていないからだ。
言葉、声では嫌がる様子を見せたりしているようにも見えたりするが、表情はほとんど動いていなかった。
これでは普通の人が怖がってしまうのも少しわかる気がする。
「みなこちゃん、コロッケだって。おいしそうだね。」
「うぅ?」
「あ、食べやすい大きさに切ったほうがいいですよね?」
「私がそれくらいやるから……しー君。」
「大丈夫です。僕もお手伝いしたいので。」
「ストローつけたほうが飲みやすいか?」
「研究所ではつけてたな。まぁ、練習だと思えばいらねぇだろ。瑠菜、みなこは冷たいお茶とぬるいのどっちがいい?」
「体冷えちゃうからぬるいの……やけどしないくらいの温度がいいけど無理なら冷たいのでいいわ。」
「少し冷ましてからも出せますよ。」
「え?でも……。」
「少しくらいなら待てるだろ。」
楓李、しおん、雪紀はとことんみなこに関わりたいらしい。
瑠菜がそこまでしなくても、と言おうとしてもやると言っている。
一方、当の本人であるみなこは下を向いたまま何も言わない。
そんなみなこの様子や三人の行動を見て、サクラ、龍子、リナが違和感を持たないはずもなく。
「しおん君、手伝います。おなかすいたので。」
「俺も。」
「あ、じゃあ僕のもお願い。」
「自分でやってください……、しょうがないですね。」
「やった。」
「あー、ごめんなさい。今持っていきますから座っていていいですよ。」
しおんはそう言っていたが、サクラも龍子もそれを無視するかのように、それぞれのお皿を運ぶ。
サクラに関してはいつもなら嫌がるくせにリナのお皿までいっしょに運んでいる。
しおんはその間、みなこのコロッケを小さくサイコロ状に切っていた。
「はい、瑠菜。みなこのはこっちだ。」
「ありがとう、かえ。みなこちゃんいただきますしてから……。」
「今日はいいだろ。結構待たせたんだし。明日から教え込めば。」
「そうだね。お兄の言うとおりだよね。」
瑠菜がみなこのほうを見たころにはもうすでにみなこはコロッケを鷲づかみにして食べていた。
雪紀やしおんはそれを見て笑っているが、瑠菜はこれからどうやって教え込もうかと頭を抱えていた。
「おいしいですか?みなこちゃん。」
「っ……!……。」
「みなこちゃん、私その手でコロッケ食べてたの見てたからね。……ごめん、しー君。」
「大丈夫です、謝らないでください。いつか絶対おいしいと言わせて見せます。あと、そのコロッケはあまり脂っこくはないので大丈夫ですよ。」
(……そういうことじゃないのよ。)
瑠菜はしおんの反応を見て二重の意味でそう思った。
しおんから声をかけられたみなこは瑠菜の服をつかんで後ろへと隠れようとした。
カタカタ震えている手からそれが伝わってくる。
服がコロッケの衣で汚れるのも嫌だが、勢いよく食べ始めたのにもかかわらず作った本人を怖がっているという状況が瑠菜にとっては気がかりだった。
しかし、しおんは怖がっているみなこを見て少し遠くのほうから距離を取りながらにこにこしている。
「しー君、ごめん。さすがに傷つくよね?」
瑠菜は食べ終わってからもう一度しおんに謝った。
しおんは皿を洗いながらにっこり笑って瑠菜を見る。
「え?大丈夫ですって。」
「本当に?」
「僕はおいしいという言葉よりもがっついて食べてくれるほうが嬉しいんです。もちろん、言葉で言われるのもうれしいんですけど、言葉は簡単に嘘がつけますから。みなこちゃんはすごくおいしそうにがっついてくれました。僕はそれだけでうれしいんです。」
瑠菜はそれを聞いて少し安心した気がした。
本当なら怒ってもいいと思っていたし、もっと落ち込んでもいいくらいの反応をみなこからされている。
それでも、みなこの様子をしっかり見てそう言ってくれることが瑠菜にとっては一番うれしいことなのだ。
みなこの食べた後はとても汚かった。
食べこぼしが多い。
遊び食べはしていないものの、野性的な食べ方だ。
雪紀や楓李がそれの後片付けをしてくれている。
文句ひとつ言わない三人を見ていて瑠菜は愛されてるなぁと思った。
だから、感謝を誰かに言いたくなった。
「……今日も、おいしかった。ごちそうさま。」
「……ま!……。」
瑠菜がそう言ったすぐ後、瑠菜にくっついてきたみなこが無表情のままそう言った。
「……今のって……。」
「……ごちそうさまって言いたかったのかな?」
「っですよね?え!うれしい。ありがとうございます!」
「っ……。」
「あ。」
「うぅ、もっとおいしいご飯作ります!明日の朝、楽しみにしててくださいね!」
しおんがみなこに近づくと、みなこは震えながらまた瑠菜の後ろへと隠れてしまった。
しおんはそれを見て何とも言えない気持ちになりながらビシッという。
「わかった。楽しみにしてる。」
「瑠菜さんはいつも朝はあまり食べないじゃないですか。」
「うん、いつもの量から増やさないでね。困っちゃうから。」