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研究所の女の子

 「いやねぇ、研究所なんて……。」

 「依頼だって言うならしょうがねぇだろ?」


 瑠菜と楓李は会社からの依頼である研究所に向かっていた。


 研究所には、薬剤や実験器具など様々なものがあり、昔から瑠菜もお世話になったり手伝いに行ったりしている。

 会社の役員が基本的に実験をしていて、人間に近いロボットを作ろうとしているらしい。


 「裏の依頼ルートだしなぁ。」

 「……瑠菜、知ってるか?昔研究所では体外受精が研究されてたって。」

 「噂でしょ?」

 「まぁ、そうだけど。その時失敗した赤ん坊にもならない……。」

 「いやいや、日本でも体外受精くらい研究されてるし。」

 「女と男がそこに呼ばれたということは?」

 「……考えたくない。」


 瑠菜は思考を放棄した。

 もっと言うと、楓李の言葉すらも聞こうとしなくなった。

 体外受精については瑠菜もうわさ程度でしか、研究されていたことを聞いたことがない。

 証拠がないなら信じる必要もないし、犯罪に近いことをしているなら何も知らないほうが良いと思っているのだ。


 「ここだな。」

 「会社の裏だと来ることもほとんどないから久し振りね。」


 住宅街の中にある小さな真っ白い建物。

 花や木が大量に生えていて少し異質にも見えるが、それを抜かせばほかの家と変わらない。


 「こんにちは。改装工事でもした?」

 「瑠菜さん。お、おお待ちしておりました。」

 「あー、あんたおっそいのよ。」


 研究所の中には総会議の時に瑠菜と話をしていたもじゃもじゃ頭の眼鏡をかけた女とすごく弱弱しい短髪の女が椅子に座っていた。

 瑠菜は胸を張って自信ありげに空いている椅子に座る。

 確かモジャモジャの方がハカセ、横にいる気弱そうなのが梅香と呼ばれているはずだ。


 「ごめんって。こっちも忙しいのよ。」

 「あ、あのぉ……お、お菓子とかって食べますか?」

 「少し温かいお茶をもらえるかしら?あっ、ぬるめのやつね。外寒かったから。」

 「まだ猫舌なの?子供ねぇ。」

 「熱いのは嫌いなの。」

 「こたつからは出たくないくせに。」

 「あはっ?」


 ハカセに言われて瑠菜はしらばっくれるように首をかしげながら笑った。

 それを見て楓李はうなずきたくなる気持ちを抑えながら瑠菜の横に座った。


 楓李からしたらいつも寒いからと言ってこたつから出てこない瑠菜に困らせられているため、ハカセの一言で瑠菜の生活が変わってほしいとも思っているのだが……。

まぁ、無理だろう。

 瑠菜はここによく来ていてすごくなじんでいるが、楓李はあまり来ることがなかったため少し居心地が悪いように見える。


 「あ、あの……な何か飲みますか?」

 「あぁ、俺はいい。……コーヒーとかってあるか?」

 「持って来ますっ……。」


 弱弱しい女はとてもか細い声でうなずいた。

 何もいらないというと少し寂しそうな顔をされたので、楓李は申し訳なく思ってコーヒーを頼んだが、別に欲しくはなかった。


 「いいお弟子ちゃんねぇ。ハカセちゃん。」

 「ハカセでいいですって……。すごくいい子ですよ。少し鈍かったりしますけど。」

 「あなたの師匠にそっくりじゃない。」


 瑠菜はにっこりと笑っていたが、ハカセと呼ばれたもじゃもじゃ頭は少し恥ずかしそうにした。


 「私はあの人が大好きなので。」


 ポソリとつぶやいたその言葉を聞いて、楓李は瑠菜の方を横目に見てしまった。

 コムの資料はまだ雪紀に取り上げたままで瑠菜は約二週間コムの資料に触れてすらいない。


(似たような性格なのか……。)


 パッと見は犬猿の仲にも見えるが、楓李は二人を見てそんな風に思った。


 「で、仕事は?依頼があるって聞いたけど。」

 「あんたって……まぁ、いいわ。ある女の子を引き取ってほしいのよ。」

 「女の子?」

 「6歳の子供。6年前に体外受精で生まれた子よ。」

 「研究とはいえ親へ帰すこともできたでしょう?」

 「その親が逃げたのよ。連絡もつかない。」


 瑠菜は梅香に持ってきてもらったお茶を両手でつかみながらあきれたような口調で話す。

 ハカセの方も下を向いて聞かれたことに淡々と答える。


 「なんで私が引き取らないといけないのよ。出来が悪いなら孤児院にでも入らせればいいでしょ?」

 「普通ならね。」


 瑠菜はその一言を聞いて博士をにらむように目を細めた。


 「どういうこと?」

 「見ればわかるわ。」


 ハカセはそう言って立ち上がると、長い廊下を歩きだした。

 瑠菜と楓李はその後ろを黙ってついて行く。

 薄暗い廊下の奥には一室の扉があり、ハカセは扉の前で立ち止まると6桁の暗証番号を5桁打ちこんで瑠菜と楓李の方を振り返った。


 「もし、飛び出して来たら捕まえて頂戴。」

 「動物じゃあるまいし。」


 瑠菜がそう言うと、ハカセは少しため息をついてから最後の番号を打ち込んだ。

 えらく厳重だ。

 重っ苦しい扉は自動ドアのように横へ開いた。


(二重扉……防音のためか?)


 楓李はそんなことを思いながらもじっとその中を見た。


 「来い。」


 中は二畳ほどしかないが、おもちゃやぬいぐるみが並んでいるためもっと狭く感じる。

 ハカセは手招きをしたが、子供の声はおろか気配すら感じない。


 「はやく。」

 「……っ。もういいわ、ハカセちゃん。見つけたから。」


 瑠菜はおもちゃやぬいぐるみを避けるように歩いて部屋の端へ行く。

 すると、今まで人形のように動かなかったそれがびくりと動いた。


 「こんにちは。」

 「あっ……うぅ。あぁ……。」

 「瑠菜!……っ。」


 瑠菜を追いかけるようにしてきた楓李もそれの姿を見てぎょっとする。

 それは人間だった。

 髪は伸び放題で、とても痩せている。

 顔すらもまともに見えない。


 「虐待か?」

 「ち、違うわよ。本当に人手が足りなくて……。その子も私たちには近寄らないし、なつかないから。私があそこに行くとすごく怖がっちゃって………………。」

 「教育係とかは?」

 「みんな怖がってやらなかったの。やっても、泣かないし笑わないこの子を無理だって言って辞めちゃって……。……コムさんだけ、この子もなついてたんだけど……。」

 「それで瑠菜に?」

 「……。」


 ハカセはすごく申し訳なさそうな様子で下を向く。

 楓李もハカセを見てから女の子の方をしっかりと向いた。

 色も白く、生きているのか死んでいるのかわからないような表情をしている。


 楓李はため息をつきながら女の子の前にそっと立膝をついて目線を合わせる。


 「俺は楓李。よろしくな?」

 「私は瑠菜だよ。大丈夫、怖くないからね。」


 瑠菜は女の子を抱きしめて、背中をトントンと優しくたたいている。


 女の子もとても心地よさそうにしている。

 髪はぼさぼさで少し汚く見えて触ることをためらってしまっていた楓李は、本当の意味で瑠菜はすごいなと尊敬した。

 自分だったらハカセたちと同様、ある程度の距離を最初からとってしまいそうだ。


 「瑠菜、説明はちゃんとするから、もう……。」

 「この子も……この子の名前は?」

 「わからない。コムさんなら……いや、もう知ることもできないな。」

 「じゃあ、みなこちゃん。みなこちゃんも一緒に行っていいわよね?」

 「え……、あ。も、もちろんです。……じゃなくて、勝手にしてちょうだい。」


 ハカセは少しためらったが、ここで断ってしまうとまた楓李や瑠菜から文句を言われそうだったため断れなかった。


 いや、瑠菜の気迫に少し負けてしまったところもあったのかもしれない。

 なぜなら、瑠菜の今の表情は今までに見たことがないくらいに真剣だったから。

 ここで断ってしまうのが怖かったのだ。


 瑠菜と喧嘩になって勝てる見込みがある人は楓李と雪紀だけだ。

 しかもここに唯一いる楓李は瑠菜とは互角くらいにしかなれない。


 そんな中で瑠菜の怒りを自分に向けるのは、悪魔に魂を差し出すのと同じくらい怖い。

 ハカセがそんな恐怖からひきつった顔で立っていると、瑠菜はゆっくりと歩きだした。

 みなこはあまりにも長い間動かなかったため歩けないのか、瑠菜に抱きかかえられている。


 (コムさ……んに、似ているな。)

 「何してるの?早く。」

 「あ、あぁ。」


 瑠菜はみなこを抱きかかえたままハカセの方を振り返る。

 痩せてはいるが、小さい瑠菜によく抱えきれるなというような大きさのみなこ。

 改めて、年はどれくらいだっただろうかと、ハカセは久しぶりに研究対象のファイルを開く。


 「やわらかいせんべい……味がそこまで濃くない赤ちゃん用のやつ買ってきてもらえる?」

 「あ、はいっ!わかりました。」


 瑠菜はハカセの弟子である梅香にお金を渡しながら言った。

 それを見たハカセは顔を真っ赤にさせて瑠菜をにらむ。


 「ちょっと、私の弟子なんだけ……。」

 「毎日何も食べてないの?この子。」

 「……コムさんがいなくなってからも数日間はパンを食べてたけど。」

 「半年……?いや、それは……。」

 「水なんかは飲んだりしてたんだろうけど、食べ物は?」

 「教育係が与えてたけど、一口くらいしか食べないから……。」

 「もっと早く呼んでくれればよかったのに。」

 「あなたは忙しい人だし、最近弟子もできたでしょう?」

 「別に……いや、この時期で正解ね。そこは感謝するわ。」


 瑠菜は何も言えなくなった。

 二週間前まで瑠菜はコムについて調べるため、部屋にこもっていたのだ。

 もしその時期にこの依頼が来ていたとしても瑠菜は断っていたかサクラにお使いとしてこさせてしまっていただろう。

 そうなったらまず「この子誰?」から始まり、雪紀たちが施設などに連れて行っていたはずだ。

 そうなると瑠菜はこの子を見捨ててしまうことになる。

 瑠菜がそんなことを悶々と考えていると、玄関の開いた音がした。


 「買って来ました……。」


 息を切らした梅香が大きな声で言う。


 「あ、ありがとう。早かったわね……。」

 「あたり……前です……。」

 「疲れたでしょう?ここに座って。」


 相当急いできたらしく、梅香は倒れこむかのようにハカセが用意した椅子に座る。

 ここから近くの店まで三十分はかかると思っていた瑠菜は思ったよりも早く帰ってきた梅香にびっくりする。


 (相当走ったんだろうなぁ。)


 楓李がそんなことを思ってじっと梅香を見ていたら、ハカセにキッとにらまれてしまった。

 瑠菜はそんな楓李を無視して梅香からビニールの袋を受け取り、中からおせんべいを出した。

 子袋にせんべいが一枚入っていたので瑠菜はそのままみなこに渡す。


 「はい、みなこちゃん。」

 「あ、あぁ……うぅ?」

 「あ、ごめんね。開けてあげないとだよね。」

 「あ、瑠菜。その子……。」

 「ん?な……っいっ!」


 みなこが袋のままかぶりつこうとしているのに気づいて、瑠菜はすぐに取り上げて開けてあげる。

 何なら、袋まで食べないように袋からせんべいを出して渡した。


 しかし、みなこは瑠菜から勢いよくおせんべいを取り上げてしまい、おせんべいが少し割れて下に落ちた。みなこはそれすらも食いついて必死だ。


 「ハカセ、この子は何ができて、何ができないの?」

 「……トイレは自分でさせてるわ。さすがに部屋を汚されるのは……ちょっと……ね?」

 「他は?」

 「何も教えてない……というより、長い期間毎日教えることできないから、習慣にならないのよ。」


 瑠菜は何となく理解しながらもう一度みなこを見た。

 楓李が落ちているおせんべいを拾っている間、ずっと瑠菜の膝の上で新しいおせんべいを食べている。


 「瑠菜、大丈夫か?」

 「大丈夫よ。ちょっと切っただけ。」


 瑠菜の手には血がにじんでいる。

 せんべいを無理やり取られた時に切れたらしい。

 みなこは髪もだが、爪も切られていないらしくガタガタだったり伸び切ったりしていた。

 それが少し瑠菜の手をひっかいたのだ。


 「ごめんなさい。ちょっと救急箱……。」

 「大丈夫だって。相当おなかがすいてたんでしょう。それを食べ終わったらきれいにしてあげる。あ、温かいお茶もらってもいい?」

 「今、沸かします!」

 「あ、ごめん。ぬるいほうがいいのよ。」

 「へ?わ、わかりました。」


 瑠菜はそう言ってみなこをなでていると、楓李がみなこを瑠菜から取り上げた。

 そして、椅子の上にみなこを座らせる。

 瑠菜はそれを見て自分の膝の上を叩きながらみなこを瑠菜の膝に乗せるように言う。


(こいつ……なんでこんなに普通なんだよ。)


 楓李はそう思いながらも瑠菜の膝の上にみなこを座らせた。

 みなこはその間ずっとせんべいを食べながらも楓李を嫌がり右へ左へと体をひねる。

 しかし、瑠菜の膝の上に座った瞬間におとなしくなった。

 それを見て、その場にいた全員が目を丸くする。


 「……やっぱり、コムさんに似てるのかしら。」

 「違うわよ。私がコムさんに教えてもらったことをしてるだけ。」


 最初に声を出したのはハカセだった。

 そんなハカセに瑠菜は落ち着いた声と笑顔で反論しながらみなこを抱きしめる。


 「……その子は……、コムさんの遺品みたいなものなんだ。もし、私に何かあったら瑠菜にこの子を見てほしいと言われた。」

 「コムさんが……。ふぅ、わかったわよ。」

 「でも、そいつは言葉すらもまだ……。」

 「大丈夫。しゃべれなくてもちゃんと理解してるわよ。」


 瑠菜はそう言ってみなこの頭をやさしくなでながら「ねぇ?」とみなこに言う。

 みなこは首を少しかしげてまたおせんべいへとかぶりついた。

 小さいせんべいなのにまだ少しずつかぶりついている。


 「瑠菜、こいつなかなか食べ終わんねぇけど……。」

 「……歯医者の必要もあるかもね。」

 「それでこのせんべいを頼んだのか。」

 「いや、これは私も好きだから。買ってきてもらって食べなかったときもったいないじゃない。」


 瑠菜はそう言っておせんべいを一つ食べはじめる。

 楓李は乳幼児のような歯がなくても食べられるものだからてっきりみなこのためだと思っていたが、本当に瑠菜も好きなようだ。

 ついでに楓李も一つだけ食べてみたが、味気なく調味料が少しほしいと思った。


 「それも持って帰ってよ?私たちは食べないから。」

 「やったぁ!ラッキー。」

 「いや、お前がお金渡して買ってこさせたんだろう。」

 「そうだっけ?あ、ストローある?」

 「わっ、あ。も、持って来ます。」


 瑠菜はストローを刺したぬるいお茶をみなこに近づける。

 みなこはコップを持っている瑠菜の手をつかむようにして、ストローからお茶を飲む。

 その姿を見てその場の全員が本当にぬるめでよかったと思った。

 ごくごくとすごい勢いでみなこはお茶を飲んでいて、もし熱いお茶なら口の中やのどをやけどしていてもおかしくはない。


(いろんなところに気を配れるんだよな。こいつは意外と。)


 楓李はそんなことを思いながらコーヒーを飲んだ。

 そんなに長くいたわけではないが、もう冷めきっていてアイスコーヒーになっている。


 「あ、この子アレルギーとか病気は?」

 「ない。……いや、栄養失調とかは出てるだろうが、調べても基本は健康体だ。発達障害は私たちの責任だしな。」

 「これからゆっくり教えるか。」


 瑠菜はそんなことを言いながら笑って大きく伸びをした。

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