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瑠菜の弟子①

「瑠菜さん!」


急に呼ばれてびっくりしながら瑠菜は振り返った。横にいた楓李とあきもびっくりしている。


「珍しいね。瑠菜に声かける女の子なんて。」

「あっ、す、すすすいません。やっぱり私なんかが声かけるなんて…」


瑠菜がぽかーんとしている横であきが声をかけた。女の子もしどろもどろして、顔を真っ赤にしている。

おかっぱに切られた髪が少し乱れていて、息も切らしている。


「あ、ごめんごめん。そうじゃないんだ。」


女の子の様子を見て、あきが謝る。


「で?なんか用か?」


楓李がぶっきらぼうに言うと、女の子はヒィッといって後ろに下がる。

楓李は少しムッとしたが、いつものことなので気にしないようにする。


「ご、ごごごめんなさい。何でもないですゥ!」

「待って。」


頭を下げて慌てて逃げようとした女の子に、瑠菜は声をかけた。女の子はゆっくりと瑠菜の方を振り返る。


「新入りの子よね。あなた。」

「はいぃ…」

「あぁ。だからかぁ。見たことない子だとは思ったけど。」


あぁ。と、あきと楓李は納得する。


「あの、もう行っても良いですか?」


女の子は弱々しく、泣きそうな感じだ。


「どうしたの?なんか用事があるのでしょう?」


瑠菜はニコッと笑って女の子を見た。

細めた目で女の子の目を見る。


女の子は、今にも逃げ出しそうな感じだが、瑠菜に声をかけた手前逃げ出せなくなった。


「教えて?」


瑠菜が優しくいうと、女の子はやっと頷いた。


「瑠菜さんの、弟子にして下さい!」

「えっ?」

「おぉ…。」


瑠菜は一歩下がる。

楓李は目を見開いて、あきはニコニコとしている。






 

 

 その夜、瑠菜は悩んでいた。


 もともと、雪紀から弟子の一人くらい作れと言われていたため、ちょうど良い機会ではある。


「もうそろそろ作っても良いんじゃない?」


 共同スペースでため息をついていると、あきが瑠菜に優しく言った。


「瑠菜ちゃんは、未だに気にしてるんでしょう?」

「分かってるもん。」


 瑠菜にはもともと、何人もの弟子がいた。

しかし、全員逃げるようにやめていったのだ。

 瑠菜自身、来る者拒まず去る者追わずという性格だったため、全員さっさとやめていった。


 瑠菜は、もともと寂しがり屋だ。

今も昔も。

師匠の後をずっと追うような子供だった。

そんな子が、一人も弟子を作らないのはそのトラウマが原因だった。


「僕らといるよりかは、ずぅっと良いと思うよ。あの子を逃したら、誰かさんみたいになるよ。」


 弟子がいたときよりも瑠菜は上の位に就いた。

今でも、瑠菜に声をかける子分の子達はほとんどいない。

 瑠菜は何も言わずに部屋へ戻った。







 

(もしも、私に弟子ができたら。)


 瑠菜はそこまで考えて首を横に振った。


(考えるまでもない。不幸にするだけだ。)


 瑠菜の師匠の顔が脳裏に浮かんだ。

瑠菜は、頭を横に振って考えないようにしてから、自分の部屋の壁にかけてある丸い鏡を覗き込んだ。自信のなさそうな自分が映りピシッとしてもう一度覗き込む。


(私は女帝という名がどこまで似合うようになったのだろうか?)


 泣きそうな自分が映り瑠菜はまだまだだなと、一言声に出した。








 

 瑠菜が部屋に入った後、楓李とあきはシーンとした空気に包まれていた。


 二人は瑠菜の気持ちが手に取るようにわかっている。

そのため、どう口を開けばいいかと考えていたのだ。

その空気を切り裂くように先に口を開いたのはあきだった。


 「瑠菜はまだあの人を慕っているのかな?あの人のこと、どう思っているんだろうね。」


 あの人というのは瑠菜の師匠だ。

 もちろん、雪紀のことではなくもう一人の。

その人は、瑠菜の恩師ともいえる。

三か月前、つまり今年の三月から行方不明でほかの人は死んだといっている。


 「もう帰っては来ないだろうに。」


 瑠菜の師匠は女帝と呼ばれていた。

周りはその名に何の違和感も抱かなかった。

それくらいお似合いの名前だったともいえる。

そして彼女をひいきしたのだ。


瑠菜も彼女が大好きで、彼女もいつもひよこのようについてくる瑠菜ををかわいがった。


 「なんで、蒸発したんだろう。」


 あきはぼそぼそと疑問形ともいえない言葉を発した。

楓李は黙ったまま窓を眺めた。

黒い窓は鏡のように楓李を映していて外の様子は微塵も見せてはくれないが、楓李はずっと窓を見ている。


楓李も瑠菜と同じくその人の弟子だった。

その人から教わったことといえば、女への接し方や対応など、紳士ともいえる男の行動についてだった。

楓李はこれがすごく苦手で、いつも何を自分は教えられているのだろうと思っていた。

まぁそのほかのこともしっかり教わっていたのだが、楓李は覚えてはいない。

それでもその場にはいたため瑠菜がその人をいつも慕っていて、ついてさらいていたのもずっと見ていた。

何なら、瑠菜が女帝の名を継ぐと宣言したのも目の前の出来事だ。


 「ねぇ、楓李?聞いてんの?ちゃんと、答えてよ!なんで、あの人が蒸発したのか。」


 そんなのこっちが聞きたい。

 知るものか。

 いつも、楓李や瑠菜に何も言わず勝手に行動する人だったのだから。


 「いなくなる直前一緒にいたのは楓李でしょ?」

 「……。」

 「なんか言ってなかったの?」

 「前にも言っただろ?あの人は瑠菜を守れとしか言ってない。どこに行くとかは言ってない。」


 楓李はそういって自分の部屋に入った。

 あきも諦めて部屋に入る。

 昔からこの二人は真逆の性格だったため、会話が続かないのはいつものことと言える。

しかし、今だけは少し寂しさをあきは感じていた。








 

 「瑠菜ちゅぁーん?ちょぉっとぉ、いいかしらぁ?」


 瑠菜が本社に資料を届けに来ると会社の神様こと上代社長が瑠菜に呼び掛けた。


 「どうかいたしましたか?」

 「瑠菜ちゃんにねぇ、ちょこぉーっと相談があってね。少しいいかしら?」

 「はい、わかりました。ここでよろしいでしょうか?」

 「えぇ。」

 「どのようなご用件でしょうか。」


 瑠菜は満面の笑みで答えていたが社長の持っているものを見て顔色が変わった。

 とても見覚えのあるものだった。

いや、自分が慕っていた人のアクセサリーなど瑠菜からすれば見飽きるほど見たものにすぎない。


 「これが何か、わかるわよね?」

 「あ、……。」


 瑠菜は言葉が出なかった。


 「その様子だとまだ傷は癒えていないわね。」


 神様は瑠菜にそれを渡してこの話を終わりにしようとした。

それを許す瑠菜ではない。


もちろん、瑠菜は止めた。


 「どこにあった?」

 「あなたのことだから教えればそこを調べに行くでしょう?」

 「私一人いなくても仕事には響かない。いかない理由もない。」

 「悪いけどあなたに抜けられると困るの。」

 「困らない。」

 「危険でもあるし、行かせるわけにはいかない。」

 「どこにあったの?」

 「あなたのその今までの学んだことを誰かに引き継いだら教えるわ。」


 瑠菜はこの会社内ではなんだかんだで権力のある立場だ。

それでも今まで社長となった人にはどんなに年が下であろうと敬語で話すようにしていた。

その瑠菜がここまで言うのは珍しい。


 「もうあなたの所へ行っただろうけど、ある女の子ちゃんがあなたを慕っているのよ。」


 瑠菜は前に来た女の子が浮かんだ。


(あぁ、あの子か。)

 「弟子はいりません。楓李かあきにでも頼んでください。」

 「楓李ちゃんはだめよ。あの子ったらすーぐお弟子ちゃんと喧嘩するから。あきちゃんはお弟子ちゃんの数を減らしてほしい位なの。何よりあの子あなたに夢中だしね。」

 「結構です。」


 多分この人にここまで言えるのは瑠菜くらいだろう。

さっきのことも含めてるこの人にここまで言える人数は限られる。

みんなそれくらいこの人には逆らわない。

瑠菜がそのまま後ろを向いて歩き出すと社長はため息をついてから言って。


 「まだ姉さんのこと気にしてんの?」


 いつもとは違う。

低くさっぱりとした言い方だ。


 「師匠は帰ってきます。必ず。」


 瑠菜の口調も荒れる。

落ち着こうと必死なのは周りには気づかないだろう。


 「さぁな。どうだろうなぁ。もう、三か月だ。こはくのようにあっさり逝っちまったんだろ?」

 「えらく、ひどいことをおっしゃりますね。」

 「お前より有能だったから、俺は社長に選ばれた。」

 「お譲りして差し上げたとは、考えられないのですね。」

 「面倒な仕事を押し付けたの間違いだろう。」

 「さぁどうでしょう。何を言われても私は善意で譲ったとしかいいませけど。」


 二人の会話は、けんか腰だ。

 女帝と呼ばれる瑠菜と、社長である神様改め上代を周りはびくびくとしながら見ていたり、通ったりしている。


 昔からこの二人は仲が悪かったがいつぶりだろうか、ここまで言い合うのは。


 「ふん。善意っていうのは受け手で変わる。」

 「えぇ、元気で自分は若いと思っていらっしゃるご老人に、電車で席を譲った場合、それは、あなたは老人です、若くはありませんと言っているのと同じです。善意が受け手で変わることは私も承知です。」


 ほらなという顔で上代は瑠菜を見下した。


 「しかしながら、それは受け手の受け取り方であって、私の意志ではありません。」

 「君のは悪いだろ?善意に隠れた悪い気持ちだ。」

 「パッと見た感じ、善意はいいものです。それを疑うのは、あなたの心の汚さを表しているといえるでしょう。今のあなたはどんなにきれいなものを見てもきれいと思えない方と一緒です。そして悪意というものは、悪い心からくるものです。あなたは、私がそんな汚い心から譲ったのだとおっしゃるのですか?」


 瑠菜はそれだけ言うと、長めのワンピースのひだをふわふわとさせながらスタスタとある行った。

周りからの視線に気づいた上代は顔を真っ赤にさせながら慌てふためいた。


 「ち、違うからな!今のはあいつの虚言だ!」


 冷ややかな目が上代を包み込んだのは言うまでもない。




 




 

 瑠菜は仕事が終わって自分の部屋に行くと机の引き出しをガラッと勢い良く開けてそれを取り出した。


(いつぶりだろう。確か……楓李に見つかって、めっちゃ落ち着いた眼で見られて。)


 瑠菜はそんなことを考えながら、腕や足に一回、また一回とそれを滑らせる。


(あの時、楓李はやればいいって言ったんだよね。みんながやめろっていう中。あいつだけ。それが妙に居心地よくて、それから去年までやんなかった。)


 こはくの死と、瑠菜の師匠の行方不明とが立て続けに起きたことをきっかけに瑠菜はまたそれを始めた。

いろいろ瑠菜の中で疑問と後悔が浮かぶ。あの時、誰の言葉を聞かなければ。

あの時、もっとしっかりとあの人を見ていれば。

瑠菜は後悔してもしきれなかった。

 イチゴ色の液体が腕や足を伝って流れる。


(あぁ、生きてるんだな。なんでまだ生きてるんだろ。)


 安心と同時に嫌悪感が瑠菜を包む。

 自分が生きているのか、死んでいるのか瑠菜はたまにわからなくなる。

そう考えだすとどうしてもそれをせずにはいられない。

自分が消えてしまいそうで、自分を守りたくて瑠菜はそれをするのだ。

何分くらいその液体を眺めていただろうか。

外はもう暗くなっている。

瑠菜はハッとして自分の腕と足を見る。

そこには、古い縦模様の傷と新しくいまだにたらたらと液体を流す模様がくっきりと浮き出ていた。


(あちゃぁ。またやっちゃった。)


 瑠菜は慣れた手つきで液体を止めてそれを隠すように真っ赤な服に着替えた。

赤黒い服はイチゴのような液体を目立たせない色だ。


(また、お兄に怒られちゃうな。この後行きたいのに。)


 瑠菜は水でイチゴ色の液体を流す。

きれいになったのを確認して、机に滴ってしまった液体を拭いて部屋を出た。









 

 雪紀はその時ベランダでタバコを吸っていた。

 コンコンとノックが部屋に響き渡り、何も言わない間にちいこい女の子がドアを開けた。


 「お兄、いる?」


 その女の子はひょこっと顔を出して部屋の中を確認している。


 「女はいねぇから、安心しろ。」


 女の子はほっとしたようにニコッと笑った。

 前に、女を部屋に連れ込んだ時のことをまだ覚えているらしい。


 「どうした?瑠菜。」

 「また吸ってんの?体悪くするよ。」

 「好きなことして死ねるなら本望だ。」


 雪紀が言うと瑠菜はほっとしたような、あきれたような顔つきへと変わる。


 「あー、煙たい。煙たい。」


 そういいながら瑠菜は雪紀の隣にしゃがんだ。


 「なんかあったんだろ?」


 瑠菜はニッコニコの笑顔で雪紀を見るだけだった。


 「ねぇ、一本くれない?」

 「お子様にはまだ早い。それにお前むせんじゃん。」

 「前はくれたくせに。」

 「あれは、お前が……。」


 雪紀は反論しようとして気づいた。


 「また、切ったのか?自傷行為に走るなって何度も言っただろ?」

 「ちゃんと消毒したナイフだもん。」

 「そういう問題じゃねぇだろ。」


 すかさず突っ込みを入れながら、こめかみを抑えた。


 「なんかあったんだろ?言え。」

 「何も。」

 「何もなくて体に傷つけるか?普通。」


 瑠菜は何も言わずに、スーッと雪紀のたばこの煙を吸ってから大きく吐いた。


 「なんもないよ。ただそういう気分だっただけ。」


 瑠菜は少し頑固なところがあった。

 人見知りはするし、頑固だし、雪紀はそれでずっと苦労をしてきた。

 雪紀はこれ以上聞いても無駄だと思い話をずらした。


 「なぁ、お前が俺と付き合ったのって、こはくに振られたからか?」

 「違うよ。」

 「この前の女、遊びだって言って出てったんだけど。」

 「お兄は女運ないねぇ。」

 「はぁ。まともなのが高二の七歳下のガキって。」

 「ガキってひどいなぁ。雪紀は元カノさん関係で私に近づいたんでしょ?」


 雪紀はびっくりした。

 瑠菜と雪紀は七歳差で兄妹のようなのような関係だ。


瑠菜は悩み事があるとどうしてもここへ来たくなる。

昔から何かあるたびに雪紀のたばこの煙の臭いとともに考えていたから、そのせいだろう。

 そんな瑠菜でも、雪紀の元カノについては全く知らなかった。

なんなら、出会う前のことを全く知らない。


「本当に、元カノさんと何があったのよ?」

「なんもねぇよ。」


 雪紀はぶっきらぼうに答えてその場を立ち去った。


(逃げた。)


 瑠菜はずっと気になっていた。

 雪紀の元カノについて、元カノについていくら聞いても教えてはくれない雪紀について。

 瑠菜は、小さい脳みそをフル回転したのちに、考えることをやめた。

いろいろなことが瑠菜の頭の中をぐるぐると回った。

過去のことをはじめとした瑠菜の少ない記憶。


 「おにぃ。……。わたしは、どうしたらいいの?」


 伝えたいことと、伝えたくないことがぐちゃぐちゃになった瑠菜は無意識に声に出していた。先ほどまでの声とは打って変わって、弱弱しさと幼さを感じる声だった。


 「私に、弟子なんて育てられるわけないよぉ。弟子なんかとったら、その子がかわいそうすぎる。ダメ。弟子なんて作れない。」

 「瑠菜。」


 雪紀は小さい子をが泣きじゃくっているのをなだめるように瑠菜の頭に手をのせた。


 「瑠菜。意外とそんなことないかもしれないぞ?俺もいい弟子に出会えて元気をもらえたし。それにさ、俺なんて紙にやること書いてそいつらガン無視で自分はどこそこ行ってただろ?」


 雪紀は瑠菜に確認するような形で聞いた。


 雪紀も瑠菜にとっては師匠だ。

楓李、あきも瑠菜よりも後になるが、雪紀に弟子入りした。

そして今は、しー君ことしおんも育てている。

仕事の手伝いをしながら、やり方や規則を学ぶのが、弟子の役目だ。

増やせば増やすほど自分の仕事が減るので、多く作る人も多いが、その分教える時間が増える。

弟子が弟子を教育するとどうしても間違ったことが広がってしまうので禁止だ。

もし見つかれば、その主と弟子が全員この仕事を辞めさせられてしまう。

弟子の失敗は主の失敗という考え方なのだ。

しかも、瑠菜や楓李のように複数の主を兼業しているように回る弟子も少なくない。

そこから主になった人の情報が漏れることもある。


主の世界は階級式だ。

そういう弟子を持つと裏切られたときに蹴落とされたりもする。

 特に、瑠菜はもう蹴落とそうとする人が出てきてもいい階級だ。

瑠菜自身仕事もできないほうではないため、持たないほうが安全である。


 「一人くらいいいんじゃないか?弟子なんて一人いれば十分だ。俺やあいつみたいに多く作る必要なんてねぇし。それに、そいつが兼業しているかは調べればすぐにでもわかることだろ?」


 瑠菜にとって師匠からの助言だ。

 瑠菜の師匠二人は仲がいいほうだった。

 だから瑠菜も兼業できたのだ。









 

 次の日、瑠菜はもちろん寝不足だった。


 (考えすぎもよくないな。)


 と瑠菜は思った。

 いつも通りピシッとしているし、長めのスカートをひらひらとさせながら二つに結んだ髪を揺らしている。

周りから見れば、カッコいい、きれいの部類に入るだろう。

 しかし瑠菜自身は、大口開けてあくびをして、そのままふかふかな場所に大の字で寝たいと考えている。

 もちろん、いつも周りにいる楓李やあき、雪紀以外はそのことに気づかないだろう。

 そんな時、瑠菜のもとにまたあの子が来たのだ。


 「瑠菜さん、瑠菜さん。弟子にしてください!」

(あれから毎日来るのよね。この子。えっと、なまえは……)


 瑠菜は人の名前を覚えるのが、普通の周りの人間よりも比較的苦手だった。


(あー、もう。わかんないや。……あたまがぼうっとして……)

 「ちょっ瑠菜さん?瑠菜さん!」

(……この子、弟子にしてもいいかな……。)

 「瑠菜さん!」

(……あんまり……大きい声出さないでよ。……頭にすごく響くわ……。)


 瑠菜は自分の言葉が声になっていないことに気づくと、すっと力が抜けるのが分かった。








 

 目を覚ますとそこは、瑠菜の部屋だった。

 ベットの上で寝かされていたのだ。


 「あれ?」

 「目、覚めたか。どうだ?調子は。」

 「わたし……?」

 「貧血と寝不足。無理しすぎだ。自分でもわかってんだろ?」


 楓李が横で分厚い本を広げていた。


 「あぁ、そういうこと。」


 昨日の自傷行為の傷が開いて血が出ているのを見て、昨日も相当な量が出ていたのを思い出す。


 「またやり始めたんだな。」


 楓李は分厚い本を机の上に置いて、瑠菜をこぶしでこつんと軽く小突いた。

痛くはないが、子ども扱いされているような気がしてしょうがない。


 「包帯代えるから腕かせ。」

 「開通しちゃった。」

 「もともと閉まってねぇんだよ。」


 瑠菜は痛がるそぶりもない。

楓李はその姿に少し疑問を持った。

いつもなら少しの怪我でもお風呂に入らないという瑠菜がいたがらないのは珍しい。

 というか、普通じゃぁないのだ。


 「瑠菜?痛みは?」

 「ない。」

 「吐き気は?」

 「ない。」

 「頭痛は?」

 「ない。」

 「感覚は?」


 そこまで聞かれて瑠菜は血の出ていないほうの手を握ったり、開いたりしている。


 「ありゃ。」

 「感覚は?」


 楓李が少し強く言うと、瑠菜はてへっというように舌を出して答えた。


 「ないです。」


 瑠菜は過去にもこういうことがあった。

 いじめに耐えた結果、びっくりするくらいアレルギーが増え、ついでに感覚がなくなったのだ。


ひどいときには目も見えなくなるし、五感のどこかが欠けるのがよく感じるほど生活に支障が出る。


 楓李は頭を抱えた。


 「自分が倒れるほどきつくなってることにも気づかないわけだな。」


 瑠菜の支障で苦労するのは見たり聞いたりという基礎的な日常生活だけではなかった。

怪我や体調不良に気づきにくいという点でも苦労する。

普通の人ならうなされるほどの熱が出て立てないほどのきつさでも、運動したりそのままにしてよくこじらせてしまうのだ。

しかも本人に無理をしているという自覚がないのも問題だ。

 包帯を巻きなおし、楓李が二回手をたたくと扉がガチャっと音を立てて開いた。


 「入れ。」


 楓李が言うとおずおずと、先ほどの女の子が顔を出した。


 「だ、大丈夫ですか?瑠菜さん。」


 その子は本当に心配しているようだ。

しかし、なぜか入り口から入っては来ない。


 「入ってもいいわよ。ここは私の部屋だし。」


 瑠菜に言われてその子はやっと部屋に足を踏み入れた。

ゆっくりと部屋に入り、端っこで固まっているその子を瑠菜は懐かしく思った。 


 「この子はサクラだ。ほかに主はいない。まぁいうとのらだな。誰もまだ手を付けていないから教えがいはあるだろうよ。」


 楓李が軽く説明するとサクラは恥ずかしそうにしたり肩をびくつかせたりしている。


 「おいで。」

 「えっ?」


 瑠菜に手招きされてサクラは素っ頓狂な声を上げた。


 「おいで。サクラ。」

 「は、はいっ!」


 怖がっているのだろうか。今にも倒れそうなくらい震えている。


 「サクラ。サクラが、楓李を呼んだの?」 

 「はい。」


 瑠菜の優しい声掛けに力が抜けたようにサクラは返事をした。

今にも泣きそうだ。


 「ありがとう。感謝するわ。」


 瑠菜がサクラの手を取ると、サクラはびくりと肩を跳ね上げた。


 「あ、あの……そ、そそそそんな。」

 「サクラを弟子にしたいわ。そのほうがみんなも安心するでしょうし。」


 いうまでもないが瑠菜が言うみんなとは、瑠菜にかかわる人のことだ。

 瑠菜はちらりと楓李を見て続けた。


 「それに、今日の仕事はできそうにないし。急で悪いけど今日から、手伝ってもらえるかしら?」


 瑠菜はにこりと笑ってサクラを見た。


 「は、はい!」


 サクラもうれしそうにうなずく。

 それをため息交じりに楓李は見ていた。


 「とりあえず俺が契約書出しておくから。資料をこいつに持たせればいいか?」

 「ごめんね。えぇ、そうしてちょうだい。よろしく。かえ。」

 「おまっ、その呼び名……。」


 楓李にそう伝えた後、瑠菜は目を輝かせながら指示を待っているサクラに向き合った。


 「じゃぁ、今日の仕事を言うわね。まず、資料室から資料を取ってきてちょうだい。大切なものだから気を付けてね。そしてこの屋敷の掃除と、玄関の前に水を撒いてちょうだい。今日は暑くなりそうだから少しでも涼しくなるように。」


 そこまで言って気づいた。

 さすがに言葉じゃこれ以上伝えられそうにない。

 瑠菜は引き出しの中からペンと紙を出してやることを一から書き出した。


一つ増えるごとにサクラの顔が青白くなったのを瑠菜は見ないふりをした。


 

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