96 思わぬ来訪者
父の誕生日パーティーを終えた3日後、カレンは父のロイスと妹のリーリィとともにメルディフ公爵邸の本館で寛いでいた。ちょうど昼食をとった直後である。
「まったく、ティダールを取り仕切る、指導者みたいなのがいれば、私もやりやすいのだがね」
ロイスがぼやく。
連日、ティダールからの客が絶えない。様々な用件で別の人間がいちいちあらわれて、違う話をしていく。さすがの父も疲れてしまうようだ。
「王族が消えたのよね。有力な貴族たちも飛竜との戦いで命を落としたのだ、と私も聞いてますけど」
国が滅んだので仕方がないとはいえ、誰も取り仕切れる人間がいないというのもティダールの大きな問題だった。
カレンも疲労を感じている。自分は自分で、父に代わって誕生パーティーの出席者への感謝の手紙を何通も認めていたからだ。
妹のリーリィもちょうど学院の試験期間だったということで疲労している。メルディフ公爵家の父娘は三者三様に疲れているのだった。領地を切り盛りしている母だけはのんびりしているのではないかと、勝手に恨めしく思う。
「失礼します。カレンお嬢様、ジャイルズと名乗る方が。特にご予約ではないとのことですが」
遠慮がちなノックとともに初老の執事が娯楽室に入ってきて告げる。
(あら、そっちが来たの?)
内心の驚きを隠して、カレンは微笑む。
「ほら、父さんの言う通りだったろう」
得意げに父のロイスが言う。
ルディの腹心、事務職人のジャイルズだ。
国立高等学院では目立たなかった存在であり、学業に秀でていた、ということもない。だが、卒業後、ルディ皇子に取り立てられて変わる。とにかく事務仕事が早く正確であり、勉強ではない知性が実に優れていた。
(そういう人を見出す力は、殿下はお持ちなのよね)
カレンですら時折、舌を巻くほどだ。
(ジャクソン護衛長の方かと思っていたけど。その辺りは私も女なのかしら。人を見る目がないわね)
カレンは残念でほうっと息をつく。
「賭けは父さんの勝ちだね。まぁ、お前の努力が1つ実を結んだようで嬉しいよ」
どこまでも自分には甘くて優しい父が告げて、娯楽室を後にする。
話一つで、あの頑固なルディを動かせるとは自分も思っていない。周囲の誰かでも、たとえ1人ずつでも現実が見えるようになれば上々と踏んでいた。だからルディが手籠めにされた、という見当違いな言いがかりを勝手に警戒して腹心を連れてくるのは、むしろ都合が良いくらいだったのだ。
(真摯に話して、情にも訴えて、だから、一本気そうな武芸者のほうかしらって)
どちらが来てくれるのが良いのか。今の段階ではまだ分からない。
「ありがとう、応接室に通して、お待ちいただいて」
カレンは父に仕える執事に柔らかい口調で依頼し立ち上がった。
「かしこまりました」
恭しく頭を下げて執事が辞去する。
「お姉様?」
妹のリーリィが訝しげな顔をした。よく知らない男に会おうというのが不審なようだ。
「急だけど、なかなか重要なお客様だから」
笑って告げるとカレンは応接室へと向かう。どこから手配されたのか、メイドのリゼが廊下で合流した。
「ジャイルズ様というのは、あの?」
リゼが遠慮がちに尋ねてくる。好奇心に負けたようだ。
「ええ、想像しているとおりのことよ」
希望が見えてきて、前向きな気持ちでカレンは答える。
応接室に着くと、長身のジャイルズが窮屈そうに身を縮めてソファに座り、出されたコーヒーを舐めていた。
「急な訪問、申し訳ありません」
弾かれたようにソファからジャイルズが立ち上がる。
濃い青色の髪をした痩せた男だ。ひょろりとしていて、自分よりもかなり背が高い。
「何か、殿下からの用件かしら?」
違うだろうと分かっていながら、とぼけてカレンは尋ねる。
「いえ、なんと申し上げるべきか」
案の定、ジャイルズが困った顔をする。
いざ、自身とルディのことと言っても、カレンにとっても話の進め方が難しいのだった。
「私は先日のお話で目が覚めました。大変、申し訳ありません」
独断で来たのだろう。状況を前回の話をきっかけとして見られるようになって焦りを抱いた。そんなところではないかとカレンは思う。
「謝って頂くようなことではありませんわ」
そっけなくカレンは告げる。
ジャイルズが身をすくめた。頭を下げたままだ。
「でも、分かってくださる方があらわれてくれると、私もホッとします。殿下の周りには失礼ながら、言いなりの愚かな人しかいないのかと心配になり始めていたぐらいですもの」
口調を和らげてはみたものの、恨み言をつい交えてしまう自分にカレンは苦笑した。
「カレン様が真摯に語ってくださったおかげで私も目が覚めました。国や民のためを思えば、最善はティア嬢を呼び戻すことではありません」
硬い表情でジャイルズが断言した。
「ただ、私からの説得で果たして殿下にご納得いただけるのか」
言葉を濁すジャイルズ。
いざとなれば選択肢としてジャイルズからの説得も必要かもしれない。だが、部下からの諫言をするのであれば数人がかりが良いだろう。
「あなたも私の言葉を理解してくれました。そこはとても嬉しいし、ホッとしました。でも」
カレンは険しい顔で告げる。
「はっきり言って、私は殿下に好かれていない」
売り込んでもらうにしては、自分も諫言が過ぎたかもしれない。
ジャイルズとしても否定しようのないことで俯いてしまう。
「私に協力出来ることは限られておりますが、今後は、微力ながら国のため力を尽くす所存です」
誠実な味方が出来たのだ、とカレンも思うことにして頷いた。
「あなたの生真面目さは存じていましたし、信用もしておりますわ。でも、結局は私と殿下の問題ですから」
カレンはため息をついた。
今回の諫言にせよ、ジャイルズとジャクソン、どちらもがだめでもルディ皇子自身が理解してくれれば、それで解決したのである。
「殿下は近く、ティダール地方を巡視なさるおつもりです。実は先日ティア嬢に手紙を出したのです。恩赦をするので戻るようにと」
声を落としてジャイルズが告げる。
「そうなると、巡視の最終的な意図も透けて見えますわね。でも、各地への政務もしっかりと実施なさるおつもりなのでしょう?」
ティアのことさえなければ、実に効果的な施策だとカレンも認めざるを得ない。父も同様だろう。
(こういうところなのよね)
カレンはソファの背もたれにもたれて思う。
「ティダール地方への施策としては実に的確です。現段階でも実りの多いこととなるでしょう。しかし、ティア嬢の関係は」
ジャイルズが言い淀む。
「大き過ぎる失点ね」
カレンは言い継いでやった。
まだカレンも知らない目論見をいち早く持ってきてくれたようだ。
「情報には感謝します。では、逆に私から」
カレンは思案して口を開く。
「ティダールの地で、ティアさんが神竜の卵を孵したらしいということを、あなたと殿下はご存知?」
ジャイルズが目を見開く。絶句してしまったらしく答えは返ってこない。
「もし、私を支持してくださるなら、この情報を上手く利用して殿下の愚挙を止めてくださる?」
カレンは細々としたことをいくつかジャイルズと詰める。
「ティアさんを無理に戻すのでは、ティアさんと殿下を含めて、誰も幸せにならない。よく肝に銘じておいてね」
最後に言い含めることをカレンは忘れなかった。