94 面会
部下に出し抜かれた格好だった。
ガウソルは留置場の壁をぼんやりと眺めている。石造りの頑丈な壁だ。自分ならば簡単に素手で砕くことが出来るのだが。
何をするでもない。ただ時間だけが過ぎていく。服装は紺色のシャツとズボンである。わけあって、普通に清潔でまともなものを身に着けていた。
「4番、面会だ」
気まずそうに若い看守が告げる。
どこかで1度ぐらいは顔を合わせたこともあるのかもしれない。
留置場の職員も守備隊の隊員であり、どこぞの分隊から異動してきているのだ。
「そんなことをする人だとは思わなかったです」
腹立たしげに看守が告げる。
沙汰を待つのが被留置者の身分だ。場内では手枷をされていないのだが、面会などで出るとなれば嵌められることとなる。
(まぁ、いいか)
ガウソルは答えず、手枷を外す必要の有無を頭の中で確認した。
16歳の小娘に暴行を加えたということで、軽蔑している者が多い。
確かに冷静になってみると、みっともないことではあった。もともと荒っぽい方ではあるものの。
(甲冑狼なら隊員同士で噛み付くぐらいは日常茶飯事だったからな)
噛み付く、というのは文字通り噛むのである。
だが、今は山岳都市ベイルの守備隊なのであった。
無機質な石造りの廊下を歩く。
(あのヒックスが、ティア・ブランソンの側につくなんてな)
長く一緒に仕事をしてきて、信頼関係があるものと思っていた。
(やつも、あの幼竜を神竜だと見た。そして、ティア・ブランソンを、貴族世界からの落ちこぼれとは見なさなかった、ということか)
自分としてはティア・ブランソンが落伍者であり、あのドラコとやらは邪竜なのである。
その見方を否定されるとなると王都デイダムから後の自分を全て否定されたようにすら思えるのだった。
(ティア・ブランソンが絡むとロクなことがない)
つくづく思い返して、ガウソルは腹立たしく思う。
胸ぐらを掴んだ時に身体を真っ二つに圧し折ってしまえば良かったのだ。
「全く、どいつもこいつも」
ガウソルは口に出して呟いた。
ティア・ブランソンの上辺の可憐さに騙されている。
「あの女の姉は立派な人だったが」
王都での戦いを懐かしくガウソルは思い返すのだった。全てが分かりやすかった時代だ。
やがて面会室の扉の前に着く。
「10分だ」
看守が告げる。
ガウソルは言われるまま、看守に従って面会室へと入る。
マイラが透明な壁の向こう、満面の笑顔で座っていた。
「だから言ったのよ?シグったら」
腰掛ける自分にマイラが以前と変わらぬ調子で切り出した。
毎日訪れてくれる。
「差し入れとか、何か要る物はある?」
さらに気づかって問うてもくれる。
今、身に着けているのもマイラが持ってきてくれた私服であった。
「特には」
ガウソルは椅子にかけて告げる。うっかり手枷を引きちぎらないよう気を付けながら、だ。真面目に勤めている看守が困ることとなってしまう。
「留置自体はまるで苦痛じゃない」
思うままをガウソルは告げた。
退屈ではある。一番生きていて良かったと思える瞬間は、人間を襲う魔獣に横から襲い掛かる瞬間なのだ。
「まぁ、そうでしょうね。あなたなら」
柔らかく微笑んでマイラが言う。同棲していたときとまったく変わらない表情をわざわざ見せに来てくれるのだった。
内心、救われたような気分であることにガウソルは驚いていた。
(まるで人間じゃないか)
結局は上手くやれないのだ、とティアの件では思わされたばかりなのである。
「俺は間違えたかな?」
ガウソルは自分でも驚くぐらい穏やかな声が出た。
「そうね、いろいろと」
事もなげに笑ってマイラが答える。
「でも、私は再会できて嬉しかったし、一緒にいられるから、とても楽しいわよ。今も今で、面会っていうのもありかな、って」
どうやらマイラにとっては、そもそも神竜騒ぎがどうでも良かったらしい。殺すな、というのも自分を気遣ってのことだった。
「マイラもあれを神竜だと思ったんだろ?」
なんとなくガウソルは尋ねていた。
「そりゃ、ジェイコブもそう言ってたしね。雨が降ってるか晴れてるかを聞くのと同じよ、シグ。あなたに対する好き嫌いとは別。どう見ても晴れてるのに雨が降ってるなんて言われたら、あなただって嫌でしょ?」
確かに見え透いた嘘を親しい仲で言われるのはガウソルも嫌だった。
「だが、俺はあれを神竜だとは思えなかった。ティア・ブランソンについての評価も嘘はつけない」
少し考えてからガウソルは告げる。
面会時間の残りが少し気になり始めた。
「そうね、私にはいつでもそう言ってくれていい。私も嘘の気持ちを言われるのは嫌だもの」
マイラが柔らかな笑みを保ったまま告げた。
いよいよあと数分というところで、ガウソルは壁に据えられた時計にちらりと視線を送る。
「別に、時間なんか気にしなくても。私もあなたも、その気になればこんな留置場、簡単に木っ端微塵にできるんだから」
昔から物騒な物言いを、好む傾向がマイラにはあった。
思い出すにつけてガウソルは笑いそうになってしまう。少しだけ恐怖に身体を震わせた看守が気の毒でもあった。
「ねぇ、シグ」
改まった口調でマイラが切り出した。
「なんで、大人しく捕まってるの?いいじゃない?別に思ったとおりにすれば」
ガウソルは少しだけ首を傾げる。いざ訊かれると即答しづらい。
「マイラがあれは神竜げだと言ったからな。矛盾してると自分でも思うが。なら、そうかもしれないし。暴行は実際にやった。ティア・ブランソンは確かに持ち上げて、骨が折れるなり窒息死するなり構わないぐらいの気だった。それが暴行だって決まりなら、そのとおりにしないと。俺たちは魔獣と変わらなくなる」
人の決まりを守らなくてはならない、というのもしつこく刷り込まれてきたことだった。
「もし、本当ならそれは殺人未遂です」
ぼそっと看守が呟いていた。
「私の言う事、聞いてくれてたなら、嬉しいわね」
本当に嬉しそうな顔をマイラがした。
「でも、それだけじゃないでしょ?あなた、また戦いがあると踏んでる、違う?」
まったく違わないのでガウソルは頷いた。
「シャドーイーグルの後はフクロドラゴン。確実にあの幼竜を目指していた。また、より強力なのが次はあらわれる」
神竜であるかの正否はともかくとして、甲冑狼としては魔獣の襲来を見逃すことは出来ない。だが、ガウソルとしては主となる邪竜のもとへ魔獣どもが寄ってきている、というほうがありそうな気がする。
「待っていれば、また戦える」
重ねてガウソルは告げた。
「そうね、リドナー君にティアちゃん、守備隊に治療院。あなた抜きのこの街に強力な魔獣の襲撃を阻む力があるかしら?」
マイラが笑って尋ねる。
あるわけもない。少なくともガウソルはそう感じていた。
「いずれ、あなたや私の力が必要になる。その時にまた、思い知らせてやればいいものね」
深い理解を示してくれるマイラなのであった。
面会時間終了を告げる鈴の音が鳴り響く。
ガウソルは看守に連れられて、また留置房へと戻るのであった。