90 マイラの結論
マイラは知らず殺気を発していた。
腰が砕けそうになるティアをリドナーが支える。
「マイラさん、何を企んでるか知らないけど、それ、絶対にだめですよ」
リドナーが牽制してくる。ただ、声が震えていた。
(あなたに私を止める権利は何もない。当然、実力も、ね)
一言でマイラは心の内で却下する。
先手を打って斬りかかるなり剣を抜くなりしてくれれば、大手を振って返り討ちにしてやれるのだが、などと頭の隅では考えていた。
(ついでに、あの生意気で忌ま忌ましい子竜も消し飛ばしちゃおうかしら)
古臭い石の球からあんなものが生まれたからコトがややこしくなったのだ。
意趣返しにはちょうどいいかもしれない。
ガウソル逮捕の原因を作った小娘ティアの前で、大事だという子竜を、加減した火炎球で散々になぶった上でトドメを刺してやる。
暗く楽しい想像にマイラは束の間、耽った。
(この子も腕は立つし、いずれ、私を超える才能はあるけど。今は私のほうが圧倒的に上)
更にリドナーを見て、マイラは思う。
素質はあるのだが、まだ強敵との戦いという面での経験が絶対的に足りない。自分には魔術という飛び道具があることも大きな差だ。
(あなたが頑固で愚かだから、恋人も大事なペットも失うってわけ)
感情のこもらない視線をマイラはティアに向けた。
ガウソルに代わり、ドラコを始末してからリドナーを斬り殺し、ティアを人質にしてガウソル解放を迫る。
マイラの中で最悪の考えが固まったところだった。
「ピッ!ピッ、ピィーッ」
甲高いさえずりが響く。
ふと、マイラは我に返った。
「ドラコッ!」
ティアが嬉しそうに声を上げる。
さらには靴を脱ぎ捨てて許可なく家に上がり、マイラの横を抜けて、檻の外へと駆け寄った。
「あの、マイラさん?」
遠慮がちにリドナーが話しかけてきた。
「ええ、あれを灰にして、あなたを斬り殺して、ティアちゃんを拉致しようと思ったけど、何か?」
怒気を八つ当たりで滲ませて、マイラはそのまま告げてやった。さぞ自分は今、怖い顔をしているのだろう。
恐怖でリドナーの顔が強張る。
(もう、『ちゃん』でいいわよ、シグ、逮捕されちゃったし。レティ様、死んじゃうし)
なんとなくマイラはティアに対して思った。
「おっかねぇ人、本当に。ガウソルさんといい、マイラさんといい」
全部を告げた、ということは、最早そうするつもりは失せたということだ。リドナーも理解して苦笑いである。ただ、額の冷や汗は消せない。
自分にその気があれば、本当に実現されてしまう、と今更ながら自分たちの迂闊さに気付いたようだ。そして少しでも気が変わればまた生じる危険なのである。
「自分たちは立派に生きてます、やれてます、なんて思ってるかもしれないけど。全然、そんなことはない。足りないところだらけで、自分達がわかってないだけ。恥さらしながら生きてるんだって自覚なさいな」
具体的に誰に対して何を言っているのかも分からないまま、なんとなくマイラは苦言を呈した。
全部たまたまだ。悪い方に全部が転んでいても何もおかしくはなかった。自分の気分1つで、やるつもりでいたし、気分がただ変わっただけだ。
「良かったっ!ドラコッ!無事で」
鉄格子越しに喜び合う一人と一匹を見て、改めて、マイラは毒気を抜かれた。
(野暮よね、私も。喜ばしときゃいいのよ、こんなの)
自分は何を邪なことを考えていたのか。ただ、自分の気分が悪くなるだけのことをするところだった。
(別に、シグと一緒になりたいのなら、こんな神竜やらティアちゃんやらなんて、どうでもいいのよね、ほんと)
我に返ったマイラ。
「マイラさん」
ティアと同じく勝手に上がったリドナーが促すように名前を呼んだ。
「分かってるわよ。図々しいわね」
舌打ちしてマイラは返事をすると、懐から檻の鍵を取り出して開けてやった。以前とは違い、油を差しておいたので簡単に開く。
「ピィー」
弱々しくも嬉しそうにティアの胸に飛び込んで、身体を擦り寄せるドラコ。
どこか羨ましげな助平のリドナーのことはマイラも無視する。
「ここは、あなたたちの家じゃない。とっとと出て行きなさいな」
マイラはそれでも硬い声で2人と一匹に告げる。
特にドラコは言われなくても出て行きたくてしょうがないのだろう、となんとなく思う。
自分なりに悪くないようにしてきたつもりだが、頑是ない神竜の御子にしてみれば、ティアから引き離されて、ただ閉じ込められていただけの場所なのである。
「マイラさん、あの、お願いが」
迷ったように、遠慮がちにティアが切り出した。
甘え過ぎだ。言いたいことを察してマイラは腹を立てる。
「嫌よ、そんなの。シグを逮捕しておいて。そうならないように、きちんとしてれば、私も違ったかもしれない。でもね、もう、こうなるように、あなたたちがしてしまったの。全部、1人前に自分でやれるって、そう思うなら、そうしなさいよ、って話」
ティアが言いかけたのは、成竜になるまで、ある程度育つまでドラコを守ってほしいということだろう。
フクロドラゴンに襲われていた。シャドーイーグルのときも狙われていたような様子がある。
「お願いします、まだドラコは子供で」
ティアが懇願してくる。さすがに今のリドナーだけでは心許ないとわかるようだ。
頷けるわけもなかった。
「それはあなたたちの都合。私には関係ない。私がこの街にそもそもいるのも、シグに会いたかったから。大好きだったから。そして再会しても変わらない。私にはやっぱり優しくて大事な恋しい人なのよ。それを逮捕したことは許さない」
マイラは自分の立場をはっきりと知らしめる。
「ガウソルさんは」
リドナーも口添えしようとしてくる。
神竜もこの街も、あるいはティアもリドナーも自分たちの実力が欲しいのだろう。それを理解出来てしまう自分に、マイラは苛立った。
「良い悪いじゃないのよ。したいかどうか。私にとって、あなたたちはもう、手を貸してあげたくない存在。でも、生かしてはおいてあげる。お情けでね。それで良しとしなさいな」
遅まきながらティアが気付いて身を震わせる。
一歩間違えばどうなっていたのか、ようやく分かったのだ。
「はい、分かりました」
消え入りそうな声でドラコを抱いてティアが立ち上がる。
(さて、どうしようかしら。シグならこんな街の留置場くらい、いるのが嫌なら簡単に出ちゃうのよね)
マイラはもう別のことを考えていた。
甲冑狼であるガウソルの価値観は独特だ。別に逮捕されても構わないから逮捕されているのだろう。
(暴行罪自体は、実際にやったから納得しちゃった。そんなとこかしら。で、神竜自体も留置されるから目も行き届かせようがないし、どうでもよくなったのね)
大体をマイラは理解した。
(なら、私はただシグの出てくるのを待つだけ。勾留は長くなるのかしら?法律はどうだったかしら。調べつつ、見張りつつ、ね)
ティアとリドナーが逃げるように去っていく。
マイラとしてはもう、恐れる事態は1つだけだ。
「とりあえず、ここでシグとはぐれて、また国中を探し回るのだけはごめんよ」
言い捨ててマイラは簡単に身繕いをするなり、ガウソル宅を後にして留置場を目指すのであった。
もう、ティアも神竜もリドナーのこともどうでもよくなっていた。




