9 派遣要請
敷地の広い治療院ではあるが、ティアも院長室への行き方だけはしっかりと覚えている。他の場所へ行くときは時折、迷ってしまうのだが。
「失礼します、ヒーラーのティアです」
扉の前に立ってノックをした。なんとなく茶色の木製扉ですら緊張させられてしまう。つやつやとして真新しい立派なものなのだ。
「よく来たね、お入り」
中から院長のライカが告げる。
ティアはしずしずと扉を開けた。大机に向かって書類を見ていたライカが顔を上げる。
「さすがに大聖女様の妹だね。レンファから聞いたよ」
挨拶も抜きにライカが褒めてくれた。
「いえ」
ティアは立ったまま俯いてしまう。
「解毒までやったってね。大したもんだ」
言われてもまだティアには他にどんなヒーラーの人がいて、どれだけのことがそれぞれ出来るのか分からない。一応、体の中と外、治す部位の得意不得意ごとに分けているらしい、とは薄々気付いてはいるのだが。
「腑に落ちない顔してるけどね。同じことが出来るのは2人か3人。それもヒールで治すなんて荒業はできないし、しないよ」
笑ってライカが言う。
荒業と言われてしまった。それでも一応、褒めようとしてくれているのだとは伝わってくる。
「あの、それでご用件って」
ティアは褒められ慣れていない。姉が死んでからは特に。
「なんだい、褒めてあげようと思った、ってのがそうだ、とは思わないのかい?」
苦笑いしてライカが言う。
なんとなく褒められるだけだ、とは思えなかった。だが、面と向かってはっきりとは言いづらい。
ティアはますます縮こまるばかりだ。
「まぁ、そうだね。用件っていうのはこれさ」
ライカが1枚の書類を見せてくる。
受け取ってティアは一読した。『派遣要請』と書いてあり、書類の下部には名前や詳細を記入する欄がある。
「これは?」
察しがついてはいた。それでもティアは尋ねる。
「近く、守備隊の連中がネブリル地方入りして魔獣の間引きをやる。それにヒーラーを派遣してほしいって嘆願さ。それに私はあんたを送りたい」
さらりとライカが言う。
つまり、『魔獣の出る危険な区域へ自分も行け』というのだ。
(やっぱり、これは処罰だもんね)
安全な場所で出来る仕事ばかりを回してもらえるなどとは甘かった、とティアは思った。
暗い気持ちが顔に出てしまったのかもしれない。
「勘違いしなさんな。あたしはあんたが適任だし、3日間見ているだけでもかなりの能力があるように思えたからね。派遣して経験を積ませたいのさ」
ライカが詳しく説明してくれた。
勝手に罰だと思いこんで気を使わせてしまったのだから、ティアはやはり反省である。
「守備隊の連中はガンガン怪我するからね。良い実地訓練になるよ」
更にライカが笑って補足する。かつてはライカ自身もヒーラーだったのだ、とレンファから聞かされていた。神竜が亡くなったことで、力を失ったらしい。
「ありがとうございます」
ティアは礼を言い、頭を下げた。
説明をしてくれたことに、である。暗い顔などしなければ説明の必要など無かったのだ。
「それに、うちの期待の新人に怪我させたかないからね。派遣先は第26分隊、ガウソルのとこだよ」
第26分隊と聞いて、思わずティアはリドナーのほうを思い浮かべてしまった。隊長の方は顔が出てこない。
「まぁ、あいつは多少、あんたに厳しくあたるかもしれないね。でも気にしないように」
確かに馬車に乗っていて救援されたときも、リドナーと違い、口も利いてもらえなかった。必要が無かっただけなのかもしれないが。
(そういえば、睨んでる人、いた)
無愛想な顔をこちらに向けていた。苦虫を噛み潰したような表情にティアには見えたのだが。
(リドナーさんが、あの時からグイグイくるから)
頬に熱いものを感じてティアは俯いてしまう。また、リドナーの方を思い出してしまった。
「まぁ、ガウソルんとこの、若いやつとのことは知ってるがね。そこは気を引き締めな。お互い。戰場は誰にとっても危険なんだから」
真剣な顔を作って、ライカが言う。
「今更、貴族だ何だ、なんてのは、あたしも置いといていいと思うから。ここ新天地であんたが恋愛するのも自由だけどね。あたしは5年前の戦いも王都で見てきた。あんたのお姉様が亡くなった戦いだよ」
当時16歳だったレティに対しても、思い出の中だけの人であっても丁寧な話し方をライカですらするのだ。
また、姉の偉大さを思い知らされるような格好だ。
ティアは居住まいを正す。
「あたしら、ヒーラーがいても助からない命はあったし、死んだやつを生き返らせてもやれない。それでも、限界はあってもできることを目一杯やって、助けたい。そういう経験をしてるとね」
ライカが薄く笑った。
「あんたにとって酷でも、大聖女レティ様の代わりでいてくれたら、なんて思っちまうときもある。ヒーラーが来てくれて助かってるはずのあたしですら、ね。他にも立場によっちゃ、もっと、そう思っちまう奴もいる。あんたの身元を黙っていよう、っていうのは、無理な期待からあんたを守るためでもあるってのは、頭に置いといておくれよ」
ライカの心には姉のレティとの記憶が残っているのだ。
痛切にティアは思う。
ふと、気付いた。
「じゃあ、今回の魔獣討伐でお世話になるガウソルさんていうのも」
自分に辛く当たるかもしれないという。まさにそういうことなのではないか。
「悪い男じゃない。偏屈な変わり者だけどね。あんたを大好きなリドナーの親代わり、正規に養父なんだっけかな、確か。この町じゃ英雄みたいな男さ。本人は気付いてないけどね」
二人とも親子というほどには歳が離れていないように見えた。
「やつはこの町にあんたが来ることになったこと自体が気に入らないだろうね。その代わり、昔にあんたが姉の後釜で皇子と婚約したって時はホッとしてたね」
聞けば聞くほどガウソルと今の自分が会うと怖いことになるそうな気がする。追い出された実家やルディ皇子と同じ考え方をしている人なのではないか。
「まぁ、リドナーの奴が間に入るんじゃないかね。ガウソルの均衡を保っているのはあいつだし。他にはヒックスもいるから何とかなるかねって」
楽観的にライカが告げる。
ガウソルと一対一で対峙する必要もないから、分かった上で自分を送り込もうというのだろう。
「それに現にね。あんたに会いたくて、リドナーは今日も顔を出してるんじゃないかい?」
冷やかすようにライカがいたずらっぽく笑う。
「す、すいません。仕事中なのに、私、その」
ティアは恥ずかしかった。
「やることはきちんとやってる。胸張って食事ぐらい一緒していいよ。まぁ、好きでもないやつに付き纏われてるんなら別だよ。あたしがおっ返してやっから」
ふん、と鼻を鳴らしてライカが言う。
ベイルに来てから気にかけてもらえて自分は果報者だ。思いつつティアはライカの前を辞し、自らの治療室に戻るのであった。




