89 マイラの豹変
マイラはガウソルの家に一人でいるところだった。何やら難しい顔をしてガウソルが出て行ったのだが、最近の情勢を思うにつけて違和感はない。
(行き先ぐらい、聞いておくべきだったかしら)
居間でぼんやり神竜ドラコを眺めつつ、マイラは考えていた。
ドラコをガウソルから守るのは周囲が思うほど大変ではない。自分の目がある限りガウソルも強引に始末しようとはしないからだ。
(もし、私に嫌われたくないっていうのなら、嬉しいけど)
一人、身悶えしていたところ、ノックの音が響く。
(誰かしら?)
マイラは立ち上がり玄関へ向かう。なんとなくティアだろうと予感があったのは、ずっと動かなかったドラコがピクリとしたからだ。
なんとなく、嫌な予感がする。
「シグは?」
挨拶も何もかもを抜きでマイラは問うた。
扉を開けるとリドナーとティアの2人が並んで立っており、ただならぬ顔をしていたからである。
「逮捕されました」
リドナーがそっけなく告げる。
その言葉にマイラのすべてが自身の中でひっくり返った。
「今ごろはヒックスさんに連行されて留置場です。本人も犯罪には納得してました」
さらに加えてリドナーが説明した。
逮捕と聞いて、とっさに思ったのは、とうとうガウソルがティアを殴ったのではないかということ。だが、どう見てもティアの身体に異常がない。華奢なティアなどガウソルに殴られれば無事にここへは来られないだろう。
「どういうこと?もっと詳しく説明しなさい」
声を硬くしてマイラは応じた。
ここに2人で来た、ということはガウソルの逮捕に乗じて、神竜ドラコを引き取りに来たということ。
今まで協力的だったマイラならば応じると思っているのだろう。
(でも、シグを逮捕したって言うのなら話は変わる)
自然、心の内が冷えて石のように硬くなる。戦闘前のようだ。自分でも驚くほどだった。
そもそもいざとなったら取りなすつもりで肩入れしてきたのである。取りなす暇すら自分に与えないのは、とんだ裏切りではないか。
(そう、私はシグが無事だから、あんなに冷静だったんだ)
客観的に見られていたから、協力的でいられたのだ。浅ましいという思いも、一瞬のことで、渦のように荒れ狂う激情に消される。
「ティアちゃんに祈りを強要しました。ドラコをだしにされて、さすがのティアちゃんも屈しかけて。そこをヒックスさんと俺で過去の暴行罪を持ち出して逮捕しました」
リドナーも強張った表情で淡々と説明する。
恋人を傷つけられたのだから気持ちはマイラにも理解は出来た。自分も今、ちょうど同じだからだ。
束の間、天を仰ぐ。やはり許せない。
(確かにシグなら、それぐらいはやりかねない。でもね)
分かった上で交際、同棲している。
だが、今度は自分にとってガウソルが大事な人間なのだ。人には立場がある。
「逮捕ですって?そこまですることないでしょう?」
自分の口をついて出たのは2人を責める言葉だった。刃のように硬く冷たい。殺気すら滲んでいた。
ティアが身をすくめる。
(何のために今まで、間に入ってきたと思ってるのよ。逮捕する前に私に話を通すべきでしょ)
マイラは2人を交互に睨みつける。この逮捕などという最悪の事態を避けるためだ。決裂させるくらいなら自分に話をすべきだった。
「何度もシグに助けられてきたんでしょう?この町は。神竜が生まれたからっていきなり恩知らず?許せないわよ、私はそんなの」
マイラは思ったままの言葉をそのままぶつける。
自分が知るだけでもガウソルがかなりの数の魔獣を倒してきたから、山岳都市ベイルは平和を享受出来ているのだ。
「ガウソルさんは祈りを強要したんですよ。そんな個人の心の中まで束縛する権利、無いでしょ」
負けじとリドナーが言い返してくる。かなりのところまでガウソルがティアを追い込んだということぐらい、悄気げたティアの表情を見ればわかるのだが。
(魔獣云々の問題に、そんな正論が通じるとでも?)
心の自由はたしかに尊重されて然るべきだが、そんな論議は命の保証があるから出来るのだ。
「それとこれとは話が別よ。私は逮捕という手段の是非を聞いてるの」
そっけなくマイラは返した。
頭の中は目まぐるしく回転している。
(どうするのが最善かしら?こうなった以上、神竜だろうがなんだろうが、ドラコを守る意味、まったく無いのよね)
ティアを見て、さらに居間の方をちらりと一瞥してマイラは思う。
まだティアもリドナーも靴すら脱いでいない。
自分のこの反応を2人は予期していなかったのだろうか。
(そんなわけないわよね。シグへの好意、あまりに露骨な私の気持ち。皆に気付かれてる)
まだ日が浅いものの、街を歩いていても、若い年頃の女性たちから鋭い視線を感じることが何度もあった。
魔獣相手に強く戦果を挙げていて、男らしく端正な容姿のガウソルに対し、憧れに近い気持ちを抱く婦女が多いこともマイラは理解している。
そこへ降って湧いたのが自分だった。
(あの性格を全部理解していた人間は皆無でしょうけど)
だが、自分には優しい恋人だった。フクロドラゴンの時も気にかけてくれていたのには、胸が熱くなったほどだ。
(さて、と、そんなシグのためだもの。かつての主君の妹さんでも、私、容赦するつもりはないのよね)
マイラは思うのだった。一時はまた『様』づけで呼んでいたことも、こうなるとまた夢のようだ。
腰にはいつもどおり、片刃剣を差している。山岳都市ベイルに来てからは自分も戦う羽目になることがしばしばだったからだ。
殺気に気付いたのかリドナーがさりげなくティアを守るように立ち位置を変えた。
(この娘を人質にすれば、シグの名誉回復を図れるかしら?)
リドナーを無力化し、ティアを守備隊の本営に連れて行く。
多少目立っても良い。刃をティアの背中に向けておく。
実行したとして、良心の呵責はない。ティアには非がある。自分の存在を知りながらガウソルと和解せず、頑固に自分の意志を変えなかった。
(そう、悪くない、被害者です、みたいな顔してるけど、あなたはシグに対しては、立派に加害者なのよ?)
マイラはだんだん腹立たしくなってきた。
少しでも冷静になるきっかけがあれば、すぐに気づける歪んだ思考ではある。ティアのことを、『ガウソルの加害者にしたからマイラの被害者としてよい』などという論法が成立するわけはないのだから。
それでも今のマイラはガウソル大事のあまり、まったく気付かないのであった。