87 思わぬ来客2
「ドラコはそんなことしません。今までだって一度も」
ティアはそれでもガウソルに断言した。
いつの間にかレンファがいなくなっている。何をしに、どこへいったのか。
「俺が檻に入れていたからな」
涼しい顔で言い放つガウソル。
まるで話が噛み合わない。挙句の果てには軟禁を正当化するようなことまで言われてしまった。
「檻から出してみたらいいじゃない」
ティアは掠れる声で告げた。
「見てなさい。それでも、ドラコは人を傷つけない」
はっきりと言い切れる。何度も人を傷つけることの出来る機会が、ドラコにはいくらでもあった。その能力があることも先日判明したのだが、現に誰も傷つけてはいない。
「人の命を試しに使うな。不謹慎な娘だ。姉とはまるで違うな」
大真面目な顔でガウソルが言う。
「あなたに姉の何が分かるのよ」
一緒に長く暮らしてきたのは妹の自分だ。
(ほんの数日しか、いくら激闘だって言ったって)
まるで何かを代表しているかのように尊大なガウソルの態度にどうしようもなく腹が立つ。
「信仰は俺たちとは別だが、自らの命を使って、ティダールを救ってくれた。あのまま邪竜王を倒せずにいたら、どうなっていたか」
やはり何も動揺せずガウソルが言葉を発する。感謝していると言う割には声に何の感情も滲んでいない。
会話しようと選択したことをティアは後悔していた。
「本来なら俺がすべきことで、出来なかったことだ。だから、俺には、その非があるのは認める。だが、人柄は別問題だ。あんたと違って尊敬に値する。あんたは出来ることしかしていない。出来ることの中でたまたま挙がった成果を言い訳の道具にして、あぐらをかいている」
ガウソルからはどう自分が見えているのか、今、はっきりと分かった。
(何も、知らないくせに)
一人一人の怪我に病気に毒、いちいち向き合って、自分は都度感覚を探りながら治療しているのだ。
それは楽なことではない。当然、間違いは許されなかった。人命がかかっているのだから。
(私にだって、負ってきた責任がある)
まだ日は浅くとも懸命にやってきた自負がある。
後ろめたいことは何もない。
「あなたとなんか、話しにもならない」
低い声でティアは告げた。自分にこんな声が出せるのか、と思うほどに冷えた声だ。
「ドラコを売ってください」
ティアは皆で話したことをそのまま提案してしまった。
もう、ガウソルと会話をしたくないし、接点も残したくない。
(リドだって分かってくれる)
一部始終を説明すれば、いかにガウソルとは話にならないかリドナーも理解してくれるだろう。
ただ、それは話にならないという点だけだった。
「なんだ、結局、金か」
軽蔑しきった声でガウソルが吐き捨てる。
(私の、馬鹿)
すぐにティアも自らの過ちに気づく。
感情的になり過ぎた。今ならば分かる。自分が買い取りを持ちかけるのと他の誰かとでは意味合いがまるで変わり、さすがのガウソルでも嫌悪する、ぐらい容易に辿り着ける結論だった。
「親元にでも縋って金を工面してもらって邪竜を買い取るのか。邪竜を愛玩しようだなんて、いかにもお貴族様の発想だ」
妙に筋が通っているので、本当に自分が悪く思えてしまう。
「逃走したらどうする?暴れたら?俺は簡単に倒せるが、あんたはどうなんだ?止められるのか?邪竜を」
挙句の果てにはドラコが邪竜であることも確定事項のようになってしまった。
「まぁいい。マイラには悪いがやはり、あれは始末しよう」
さらに話が悪い方へと進んでいく。
「金で買い取ろうなんてのは、まだいいか。金で人を雇って盗み出すかもしれんし、どういう手を取るか知れたもんじゃない」
結論付けてガウソルが背中をむけた。
自分のせいでドラコを殺される。
「待って、ごめんなさい。お願いだから、それだけは、やめて」
惨めな気持ちでティアは懇願してしまった。ガウソル相手には一番したくない行為だ。
「自分が何を言っているのか、分かってるのか?邪竜の命乞いだぞ?大聖女レティの実妹が?」
呆れ果てた口調でガウソルが告げる。
反論したい点はいくらでもあったが、ドラコの命を握られているのだ。
「お願い、します。ドラコを殺さないで」
本気を出されればひとたまりもないのだ。
自分に正当性があると思い過ぎた。だから、強気に出てしまったが、そこの有利不利を忘れてはならない。
今、ドラコの命を握っているのはガウソルなのだ。
「本当に、大聖女レティの妹なのか?こんなのが?」
ガウソルがしばし、思案する。
本当に何を考えているのか読めない。どんな結論にたどり着くのか、ティアは怖くてならなかった。
「まぁ、使い道、か。あの竜の命も役に立てねばならんか」
勝手に納得するガウソル。
「なら、神に祈れ」
思わぬ言葉にティアは思考が停止した。
「は?」
間の抜けた声を上げてしまう。
「神に祈ればいいだろう?どうかドラコとやらが殺されませんように、会わせてもらえますように、ってな」
残酷な言葉が頭の上から降ってくる。
「そうすれば、運良く会わせてもらえたり、殺されずに済んだりするかもしれんぞ?神頼みっていうのにも意味はあるもんだ。信心が戻ればレティ様並の魔術が使えるようになるかも知れない。そうなった時には邪竜に縋ろうって気持ちもなくなるだろう」
最悪の結論だ。
ティアはガウソルの意図を察した。始末したい邪竜の命を使えばティアを更生させられるかもしれない、と考えてしまったのだ。
「今、眼の前で神様、お救いください、と祈ってみろ。良い結果に繋がるかもしれない」
ドラコに会わせない、殺そうとしている本人の言葉だ。
だが、祈らないと本当に二度と会えなくなるかもしれない。
招いたのも自分の軽率な失言のせいだ。
(祈ら、なきゃ?でも、そんな、私、もうお祈りなんて)
神は助けてくれなかった。ティアは思う。自分で自分を助けられるのが人間だ。そして、悪いことをもたらすのも人間であり、今回はガウソルである。
人間の自己責任であり、人間自身の努力で自らを助けることが出来るのだ。そう生きていきたい、と思い始めていたというのに。
「さぁ、祈れ。辿々しくても勘弁してやる。俺はそこまで残酷じゃない」
何食わぬ顔でガウソルが言う。
しばし、沈黙する羽目になった。
「その程度か。信念も曲げられない程度の思いで命乞いしたのか」
肩透かしを食ったような顔でがガウソルが背中を向ける。
「待って!私っ」
行かせればドラコを殺される。
ティアは引き止めた。
「私、祈っ」
決定的なことを口に出そうとしてしまうティア。
「待って!駄目だよ、ティアちゃんっ!忘れたの?信心がないけど清らかな魔力のティアちゃんだから、ドラコが卵から孵ったこと。祈ったら、女神信仰になったら、今度は魔力をあげられなくなるかもしれないんだよっ」
リドナーが自分とガウソルの間に割って入る。
ティアもハッとした。会わせてもらえても魔力の供給が出来なければドラコを救うことは出来ない。
「信心がない方が良いんならますます邪竜じゃないか」
また性懲りもなくガウソルが口を挟む。
「だめ、ティアちゃん、その人の話、もう聞く必要ないんだから」
レンファも戻ってきた。いなくなっていたのは、助けを呼ぶためだったらしい。なぜだかヒックスもいる。手には巻いた書類を握り締めていた。
「隊長、そこまでです。俺もこんな手を使いたくなかったんだ」
意味深なことをヒックスが告げて話を切り出すのであった。
8月13日分でしたが、私の設定ミスでアップされてしまうという。




