86 思わぬ来客1
ガウソルがドラコを閉じ込めていることで神竜騒ぎはかえってベイルの街では落ち着いた格好だった。あまりの早業だったので、ガウソルによる連れ去りを目撃した守備隊員もそう多くはない。
姿を一切見られなくなったことが、人々の高揚に水を差しているのだが、ティアの身辺が落ち着く、という嬉しい副産物をもたらしてもいた。
(とにかく、私は私の仕事をしなくちゃ)
ティアは平常のヒーラーとしての業務に戻してもらえている。それでも、時折、自分を見て拝むような素振りをする人があらわれるようになった。
(でも、私、ドラコが本当に神竜として、神殿とかに入ったらどうなるんだろう)
気分としては母親代わりである。一緒に暮らすべきなのだろうか。
(せっかく、ヒーラーとしての生活にも慣れてきたのに。お勉強だって始めたいんだけど)
ティアとしては治療院での自分の生活にドラコが入ってくるのだと、なんとなく思っていた。
もっとジェイコブから詳しく今後のことを質問しておけば良かったと思いつつも、やはり気持ち悪くもあって。
(あれ以上、なんか、話ししたくなかったな、あの人)
午前の診察も落ち着いた時間帯であり、ティアは物思いに耽っていた。
「一体、何しに来たんですかっ!」
平穏に運営されていた治療院に、鋭いレンファの叫びが響く。
ティアが来てからは初めてのことだ。思わず診療室をティアは飛び出してしまう。
(あの、ジェイコブって人かな)
レンファに対して気のあるようなことを言っていた。
さらには粘着質にも見えたから、言い寄りに来たのかもしれない。
「あっ!ティアちゃんは来ないでっ!」
レンファが自分を見咎めて告げる。
理由はすぐにわかった。来ていたのはジェイコブではない。もっと、ティアにとってまずい相手、紺色の制服に身を包んだガウソルだ。なまじさっきまでジェイコブについて考えていたせいで、錯覚してしまった。
レンファの鋭い一声の理由は、ティアに対するガウソルの態度に、レンファも危惧を抱いていたからなのだ、とティア自身も察する。追い返そうとしてくれたのだ。
(私も、正直、何を話してもこじれる予感しかしないけど)
廊下と待合室の間ぐらいに立ったままティアもガウソルを睨む。
事の経緯を知らない、一般の客たちが戸惑っている。
「探す手間が省けた。本人が出てきたんなら、いちいち取り次いで貰う必要はない」
ガウソルが無機質な目を自分に向けて言う。
甲冑狼にされる前はどんな人間だったのか。もっと話の分かる人だったのだろうか。ティアはつい考えてしまう。
「帰ってください。ティアちゃんに、あなたと話すことはなにもないんです」
硬い声でレンファが自分を守ろうとする。
話し合いの後、事がしっかり定まるまでティアにはガウソルと接触させないということになったのもあるかもしれない。
無駄に話がこじれるだけの上、ガウソルを刺激することとなって、悪い結果を招いてはならない、という意図である。
ただガウソルの方から治療院を訪れてくる、ということは想定の外にあった。
(私も、そっちから来るなら、逃げるつもりはない)
ティアはお腹に力を入れてガウソルをキッと睨みつける。
「そんなわけにはいかない。ことは一刻を争う」
心配そうなガウソルの口調に、ティアはドラコに何かあったのではないかと思わされた。自分の魔力やヒールを必要としているのではないか。
「レンファさん、ありがとうございます。でも、大丈夫です。私、この人の話を聞きます」
一筋縄ではいかないかもしれない。
だが、逃げるなり避けるなりして、もっと大事なものを見落とすようなことをティアはしたくなかった。
「ただし、この場で。私、人目のないところで、あなたと話をするのは嫌です」
そこはティアも不安で保険をかけるのだった。
「なら、単刀直入に言う。あれは邪竜だ。魔力を与えるのはやめろ。俺としてはとっとと、始末したいんだが、マイラがそれをさせない。だから次善の策として、あんたに忠告してやることにした」
自分の思っていたのとは全く違うことをガウソルが口にした。
邪竜という単語に僅かながら待合室にいた人々がざわつく。やはり何も知らない人たちの間ではガウソルも影響力を持ってしまう。
(本当に、だめなんだ、この人)
しかしティアとしては、ただげんなりとさせられてしまう。耳を疑ったのもほんの一瞬である。
「ドラコは邪竜じゃありません」
はっきりとティアは言い切ってやった。今更、ガウソルが戯言を言うのなど驚くにも当たらない、と自分に言い聞かせる。
「人の魔力を吸い取って攻撃した。どう見ても邪竜だろう」
本当に物事の一面だけしか見ないのだ。ガウソルが言い放つ。
なにか反論しかけたレンファにティアは落ち着いた視線を向ける。
「人助けのためです。あなたにだって、見えてたんじゃないですか?」
で、なければすぐに飛びかかってきて鷲掴みになど出来ないはずだ。
「ただの順番だ。もっと戦闘が続いていれば、あの場にいた人々を攻撃していたはずだ」
最後に力を振り絞って、ガウソルの仲間でもある守備隊隊員たちを助けていたドラコになんてことを言うのか。
許せなくてティアはわなわなと手を震わせてしまう。
(やっぱり、この人とじゃ、話にならない)
痛切にティアはそう思うのであった。