83 話をつける
初めてティアは山岳都市ベイル守備隊の本営を訪れた。忙しなく守備隊の人たちが動き回っている。何をしているのか詳しくは知らないティアとしては、『動き回っている』としか他に思いようもなかった。
ライカやレンファも一緒なので丁重な態度で総隊長ヴェクターの執務室にまで案内される。
(リド)
久し振りに会う気がする恋人を見て、ティアは湧き立つ心を抑え込んだ。
微笑んでリドナーが小さく手を振る。
リドナーの他にはヒックスとヴェクター、なぜかマイラと窓際に見知らぬ黒いローブの男性が立っていた。自分たちも含めて8人もの男女が狭い執務室に詰め込まれている。
「色恋沙汰はまた後にして、ね?」
冗談めかしてレンファが耳打ちしてくる。
狭いのだから、リドナーにも丸聞こえなのではないかと思う。ティアは恥ずかしさに俯いてしまった。
「ヴェクター総隊長、要請していた件はどうなっているのか?」
自身の夫に硬い声でライカが尋ねる。公的に話をつけると言っていただけあって、治療院院長として話をしようとしているようだ。
「申し訳ないが、あくまで所有はガウソルだ。納得させるには」
気まずそうにヴェクター総隊長が答える。ティアとしては面識のない男性だが、いかにもいかつい武人という風貌だった。それがライカの前では縮こまっている。
「納得なんて要らないだろう!何をぬるいことを言ってんだい!あんたの部下だろう?取り上げちまえばいいだろ!」
ヴェクターの言葉を遮ってライカが一喝した。
一度、怒鳴られたことのあるティアとしてはすくみあがってしまう。
「うちの子は随分、おたくのその部下に、理不尽な目に遭わされてるんだよ?」
さらにティアを見て、ライカが言ってくれた。『うちの子』という言い回しが何よりティアとしては嬉しい。治療院の皆は自分にとって新しい身内なのだ、と改めて思える。
『そーだそーだ』と他人事のようにリドナーが囃し立てるのもどこか可笑しかった。
「その件については既に謝罪を」
さすがに夫なだけあって、ライカの一喝にも怯まずにヴェクターが言葉を返そうとする。
「奴に直接、ティアに頭を下げさせな!うちの子は神竜の卵を孵した。それだけでも大手柄だってのに、また1個、手柄を今回、増やしたんだよ」
一方的に指を立てて、ライカが言う。ティアとしてはどれの何を言っているのか、さっぱり分からないのだが。
(私のために、すごい怒ってくれてるのは、有り難いけど)
さすがに感情的になり過ぎだ。ティアですら思うほどだった。
「分かった、分かったから、少し落ち着け、ライカ」
同感だったらしく、とうとう苦笑いして、ヴェクターが口調を崩した。
「これが落ち着いていられるかい、ティアがちゃんとしてないならともかく。通す筋をこっちはきちんと通してんだ。あんたらも誠意を見せな」
ライカが指を突きつけてヴェクターに迫る。
「うわっ、ほとんど夫婦喧嘩だよ、こんなの。俺等は仲良くしようね」
ちゃっかり、リドナーが隣に立って告げる。
「まったく、気の強い女しかいないのか、ここは」
マイラの隣に立つ黒いローブの男も零す。
「え、え、え、大丈夫なの?これ、放っておいて」
夫婦とはいえ、守備隊総隊長と治療院院長なのだ。正規の揉め事なのではないかとティアは心配になる。
「大丈夫よ、いつものことだから。あんなやりとり、家で済ませておけばいいのにね」
レンファも涼しい顔で告げる。
「今回だって、半分はうちのティアがあんたらの尻拭いをしてやったようなもんじゃないか」
ライカがティアの方を向いて勝ち誇ったように言う。
「半分は言い過ぎだ。それにガウソルのやつが街へ来る前のレッサードラゴンどもの大半を一人で倒してるんだ。それを言うならな。それにあんな数のレッサードラゴンが襲ってくるなど予想できるかっ」
ムキになってヴェクターも言い返す。確かに倒した数だけならガウソルに勝るものはいないのだった。
(でも、街を守るための守備隊なのに、どこまでも追っかけていったみたいだけど)
役割や周囲を省みなくなったそうだ。
自分やドラコのことがきっかけなのか、ますます偏屈になったらしい。
「あの」
いつまでも埒のあかないやり取りに業を煮やしたのか、黒いローブの男が遠慮がちに口を挟む。
小声だが、うまくライカとヴェクターのやり取りの合間に言葉を差し込んだ。
「そこを上手くやるのが、あんたらの仕事だろっ!怪我人ばっか出して!治すあたし等の身にもなりな」
無視してライカがヴェクターに言い返す。
ヴェクターも何か言い返そうと口を開く。
「報告を。そのために、場を設けていただいたわけで」
目深に被ったフードのせいで表情を窺い知ることは出来ない。声の感じから思っているよりも若い人かもしれない、とティアは思った。
「そうだね、ジェイコブと言ったね。とっとと報告しな」
自分の言葉でやり取りを終えたいのか。ライカがジェイコブの方を向いて告げる。ヴェクターが少し口惜しげだ。
(なんだか2人とも子供みたい)
ティアは戸惑いつつもジェイコブと呼ばれた男性を見る。やはり黒いローブしか分からない。
「まず、私は先代神竜様のもと、魔術師をしておりました、ジェイコブと申します。神竜様の許可を賜り、かつては身体や魔力の検査など従事しておりました」
ジェイコブが自己紹介をする。名乗ってもなお、フードを脱ぐことはしない。
落ち着いていて、冷静な語り口だ。
一同を見渡して聞く雰囲気であることを確認している。
(この人が、竜の専門家?神竜様に仕えていたっていうんだから、そうだよね)
ティアは思いつつも自分に据えられたジェイコブの視線に気づく。いつの間にかフードを取っていた。まるで研究対象を見る学者のような眼差しで落ち着かない。
「シグロン、あぁ、失礼、ガウソルのところにいる幼い竜ですが。ガウソル本人はあれをホワイトドラゴンと言っていますが、神竜様の御子で間違いないかと」
おもむろにジェイコブが断言した。
ひゅっと誰かが息を呑む。それだけの意味のある、重たい言葉だった。
ティアもなんと言っていいか分からなくなる。
「無論、居宅を訪れてちらりと見ただけですから、論拠は限られますし、もう少しじっくり見たかったところもありますが。まず、間違いないかと」
つらつらとジェイコブか述べ立てる。
事実を消化している内に、ティアはすっと肩の力が抜けていくのを感じた。
(これで、ガウソルさんからドラコを引き離して、私も一緒にいられるようになるのかな)
神竜だということで、事態が好転することをティアは期待しているのであった。