81 ジェイコブ到着
金を稼ぐ術など知らない。
山岳都市ベイルのふもとまで歩いてきて、馬車代も惜しんだため、徒歩で山を登ることとなった。時間も体力も使った上にすっかり汗だくだが、ようやく今、ベイルの城壁を見上げている。
「まさかまさか、持つべきは友人ということか」
無地の黒いローブ、フードを目深に被り、顔の肌を見せない。
神殿の慣習として、神竜の白さと清純さを際立たせるべく、仕えている人間は黒くなくてはならないとされていた。自分よりもっと信心深い同僚の中にはわざわざ肌を日に焼く者までいたものだ。
(まぁ、神竜様は気にもされてなかったが、人間の勝手な信仰だ)
そう思っていたし、或いは白く清純であると、神であると思わせて人間のために神竜を働かせる。そんな打算もあったのではないか、と穿った見方もしていた。
「おまけに甲冑狼も。あのシグロンが生きていたとはな、いやはや」
シグロンを思い出す。しばらく考えて、自分の名前がジェイコブであることも記憶から引っ張り出してきた。
久し振りに人里を訪れた以上、ただの黒い人というのはまかりとおらないだろう。名乗る名前が必要だ。
神竜か代わるものを探して旧ティダールの各地を渡り歩く中、自分の名前など名乗る機会も無くて忘れかけてしまう。他に考えなければならないことがいくらでもあるのである。
王都デイダムで暮らしていた頃は来訪することを夢にも思わなかった、辺境の山岳都市ベイルだ。
石積の階段を汗を拭きながら上る。忌まわしいことにすっかり暑い季節なのだった。石の照り返しすらも暑い。
守衛に誰何されるもかつて研究職だった身分が役に立ち、少々の確認で入城を許可された。マイラ辺りから街の有力者への下話もあったのかもしれない。いかにも怪しい身なりの自分にしては手続きが滑らかだった。
マイラに言われていた住所地を手紙に添えられていた地図を頼りに目指す。奇異の眼差しには慣れている。
気にせず歩き回ってやがて目当ての貸家に辿り着いた。
「いらっしゃい」
ノックをすると私服姿のマイラが出迎えてくれた。腰に剣を差し、黒いズボンに派手な桃色のシャツ姿だ。濃い色合いを異様に好む。服装の感覚が昔からおかしいのである。
(変わらんな)
どこか射すくめるような眼差しが友人ながら好きにはなれない。美形だが吊り目気味でいかにも気の強そうな容貌だ。苦手なのである。
ジェイコブは愛想笑いを浮かべた。あまり上手くはないだろう。
だが、今回は極めて有益な情報をくれたのであった。
「ジェイコブか、生きていたのか。久しぶりだな」
マイラの後ろから無愛想な元甲冑狼のシグロンが姿をあらわす。深い紺色のシャツを着ている。
(そういえば、こんな顔だったか)
鎧姿ではないのがどこかジェイコブにとっては目新しかった。久しぶりで会うせいもあるかもしれない。
(あぁ、今はガウソルと名乗っているのだったか)
黙ってジェイコブは頭を下げる。まだ一言も喋っていないのだが、2人とも昔からそうだと知っているから気にも止めない。
気まずそうにマイラが片目をつぶる。
(用件があるなら口で言え)
あまり愛嬌を自分は感じない。ただ推察はする。
(確かシグロンと神竜様は折り合いが悪いとな)
今更、神竜と折り合いが悪いなどどジェイコブには理解出来ないのだが、甲冑狼の考えは自分にも理解がつかない。
(そんな甲冑狼に惚れるのだから、この女も変わっている)
ティダールの民で甲冑狼を恋愛対象として見た女性など前例がないのである。
甲冑狼はティダールにとって、ただ強力な武器だった。狂気の魔術を使う関係で頭の中に幼い内に魔法陣を刻み込んでおくのだ。
考え方が偏ったり人格に難が出たりするのはそのせいだろう。そこの研究はまだ発展途上だった。
ジェイコブもガウソルに魔術を施した張本人の一人だ。
「珍しい竜がいるとマイラから聞いた。昔からの仕事の関係で気になってしょうがない。神竜じゃないかとな」
玄関に立ったまま、ジェイコブは用向きを告げた。
マイラの目配せが気になる。
「変わらんな。とりあえず俺は知らない」
ガウソルが首を横に振った。おそらく嘘はついていない。
(つまり、シグロンはその竜を神竜だとは思っていない)
甲冑狼の思考は誰にも読めない。最初からなぜガウソルがそんな結論に至ったのか、ジェイコブにはさほど気にならなかった。
(と、いうより、普通の甲冑狼は何も考えない)
ただ戦うためだけの集団だ。人間を襲う魔獣を襲うように刷り込まれている。そこに集中して他のことは考えない。
(で、なければ、人の身で魔獣と身体能力で渡り合うのは難しい)
ジェイコブはガウソルを見て思う。
甲冑狼の中でも異質の存在だった。当時は最年少だったが、魔力量が図抜けていたせいか理性を施術後も残しており、話が出来るし、よく考える。
だが、なまじ話をできて思考も出来ることがガウソルにとって良いことなのかはジェイコブには分からなかった。
「立ち話もなんだから、あがって、お茶ぐらい飲んでいきなさいよ。お互い、久し振りなんだから」
微笑んでマイラが促す。
ガウソルも頷いて自分を招き入れた。
「有り難い。歩き通しだったんでな」
ジェイコブも大人しく応じることとした。
通された居間の真ん中には鋼鉄の檻が置かれている。その檻の隅には小さな白い竜がうずくまっていた。
「あれは?」
昂る気持ちを抑えつけてジェイコブは尋ねる。
「ホワイトドラゴンの幼体を飼ってる。油断してると噛みついたり引っ掻いたり神聖魔術を撃ったりしてくるから、檻に入れて保護している」
真顔でガウソルが答えた。
(何がすごいって、シグは本気だってことだ)
周りから神竜の御子だ、と言われていても頑として認めないのだという。
それはそうだ。
(シグは甲冑狼なんだからな)
一度でも良いと思ったものは良いままだし、悪いと思ってしまえばそれまでだ。
死ぬまで変わることはない。
ホワイトドラゴンの幼体などではないことぐらい、自分の目では一目瞭然だ。
他の竜とは異なる点が幼竜の段階でいくつも見て取れる。
(しかし、それを俺が言ったところでシグは頷かんよ)
ジェイコブは思いつつ、じっと神竜の子を万感の思いで見つめる。
ティダールに神竜が帰ってきた。あの廃墟から卵を回収してきたというのは、さすがガウソルである。間違いのない功績なのだが。
「どうした?ジェイコブまであれを神竜の子だって言うのか?」
訝しげな顔でガウソルが尋ねてくる。
マイラが奥で苦笑いだ。
「まさか」
別に神竜だと強弁したところで、ガウソルの自分への心象が変わるわけではない。
それでも一応、合わせておいた。至る結論が読めないというのは、本当に厄介なことだ。下手をすれば自分で救い出した神竜の御子を、自分にしか理解出来ない理由で殺しかねない。
(そう、シグロン自体は揺らがない。疲れるのは振り回される周りの方なんだから)
ジェイコブは椅子に座りつつ考える。
(とりあえず、神竜様の御子は見つけた。神殿が要るな)