8 治療院での新生活
ヒーラー1人につき1室があてがわれ、治療室となっている。治療室の中はきれいな白壁、その壁際に簡易の寝台、腰高窓が1つ南向けに。その窓際には書類作成用の机が据えられている。寝台はヒール等治療行為を受ける人が横たわるためのものだ。
今、寝台にはギルという小麦色の髪をした老人がうつ伏せで寝ている。腰が痛いと言い、以前から何度も通院して来ているそうだ。
まだ昼前、午前の診察時間帯である。
「痛いところ、腰のどのあたりですか?」
ティアはじっと、ギルの腰を眺めて尋ねる。
今は支給された水色のローブに身を包んでいた。胸元にはかつてのティダール王国の紋章である狼があしらわれている。
「右の腰だぁ」
情けない声で老人が答えた。確かに苦しそうだ。部屋に来たとき、初めて診るヒーラーとなる自分に不安げな表情を見せていた。
(腫れてないし、傷もない。姿勢はこの部屋にくるとき、とても悪かったけど)
見ただけでは分からない。多分、本人も痛いとしか分からないのだろう。分からないから治療院に来るのだ。
首を傾げつつ、ティアは老人の腰に手を当てて魔力を流し込む。まずはただ探るための、小さな魔力の波である。
(これだ)
右の腰あたりにどす黒い重たいものが鎮座している。
「ギルさん、腰の痛みってどんな感じですか?」
ティアは魔力を注ぎながら尋ねる。相手の反応も窺いながら。
「詰まるような、うずくような、ときどき、ウッと痛む」
うつ伏せのままギルが答えた。漠然としているが、分かるような気もする。
(やっぱり、じゃあ、これだ)
ティアは黒い毒のような部位に魔力を注ぎ込んで、解いていく。
十数分ほど、ずっと魔力を注ぎ続けていた。ようやく黒いものがすっかり消えてなくなる。
(でも、すごく小さい粒みたいのは消えない)
またいつか悪化すれば来てもらうことになるかもしれない。だが、だいぶ先のことだ。
「はい、終わりましたよ」
ティアはほうっと、息を吐いて告げる。額から汗も流れてきたのでローブの袖で拭った。
「お、楽になったのぅ」
用心深く、ゆっくりと起き上がりギルが言う。おそるおそる伸びをして、笑顔を見せた。
効果があったのなら、ティアも嬉しい。つい笑みがこぼれてしまう。
「お大事に」
嬉しそうに会計のため、待合室へと向かうギルの背中にティアは告げた。
入れ違いのように、水色の髪をした綺麗な事務のお姉さん、レンファが扉の前に立っている。事務員は当番制で各ヒーラーの様子を見回ることになっていた。今日はレンファが当番の日だ。
「すごいわねぇ」
感心した顔でレンファが言う。
治療のことを褒められたのだ、とはティアにも分かる。だが、皆やっていることだ。
「何がですか?」
首を傾げてティアは尋ねる。
「ギルおじいさんの腰。悪いのは前からで、正直、命に関わるようなものじゃないから、完治までしなくても改善が精一杯でね。誰も気にしてなかったのよ」
レンファが説明してくれた。
自分でも完治させられないことは今後出てくるだろうから、改善できるだけで済ませていたことも、ティアは理解できる。
「それを、すっかり治しちゃったみたいね。今のも、ヒールなんでしょ?」
レンファがさらに尋ねてくる。
ティアはコクンと頷いた。
同じヒールでも魔力の使い方が相手の症状によって異なってくる。
3日間治療していて、他のヒーラーたちはどうも違うらしいのだ、とようやくティアにも分かってきていた。患部に探りのように魔力を流す、ということも自分にしか出来ないらしい。
(最初は少し、失敗もしたけど)
探りの魔力波やとにかく治そう、でヒールを流したところ、とても痛かったらしく絶叫されてしまったのだ。
相手がいるのだから、相手の様子をよく窺わなくてはならない。少し考えれば当たり前のことが出来なかった。
「大人しくて心配してたけど、よくやってると思うわ」
ひとしきりレンファが褒めてから立ち去る。
また、しばらくしたら次の患者を送り込まれるのだ。ティアはほうっと一息つこうとする。お茶ぐらいは備えてくれているから飲もうかとも思ったのだが。
またドタドタと足音が響く。レンファが慌てた様子で駆け戻ってきた。ここ数日だけでもよくある光景だ。
「ティアちゃん、急患!毒にやられたって人、出来る?」
まだ解毒の治療をしたことはない。
(お姉ちゃんなら状態異常を治す術も覚えていたけど)
自分にあるのはヒールだけだ。即答出来ないティア。
「他のヒーラーも手が回らないのよ。おまけになんの毒か分からなくて、気がついたら森で倒れてたって仲間の人が担いできたの」
更にオロオロしながらレンファが補足説明する。魔力で探りを入れることができるのは自分だけだ。そして、空いているヒーラーも自分だけなのだろう。
(だから、レンファさんは私に)
ティアはレンファの意図を理解していた。
「やります」
一刻を争うのだ。ティアは頷く。
焦った顔のままレンファが身振りで入るように示す。廊下から男の人2人で、顔色の悪い人を運び込んできた。ひどく浅い呼吸。顔色もひどい。
レンファがまたどこかへ駆けていく。もし自分がだめなら取れる手立て。医師や薬師の解毒剤だ。その手配をつけに行ってくれたのだろう。
いざとなれば、の備えもしてくれていることに安堵と心強さも覚えながら、ティアは寝台に横たえられた男性の身体に魔力を流し込んでいく。
(これだ)
右腕の一点から悪いものが拡がっている。
ティアは魔力を触れさせた。先っぽに優しく触れるかのように。さらに魔力を様々に変化させてみる。どういった魔力によるヒールが効果的なのか。触りながら探っていく。
(拡がろうとしてる、させない)
探るだけではない。
更には魔力で伝播しようとする悪いものを頭から抑え込む。荒行なのでかなり痛むだろうが死ぬよりはマシだ。
集中力を要する作業の上に、悪いものがどこまで拡がると患者の命に関わるのかも分からない。もっと知識と経験が欲しいと思いつつも、ティアは魔力を流し続ける。
何度目かの試しになるのか。
(あ、消せた)
ついに毒の先端を留め、消すことのできる魔力の質が掴めた。
(これでいける)
ティアは感覚を自分に覚え込ませると、同じ要領で一気に魔力を流し込み、毒を傷口まで一気に押し返してやった。
「ぶはっ」
ビクン、と男性の身体が跳ねる。
荒療治が過ぎたのかもしれない。ティアは身を引きつつ見守る。
「はぁーっ、はっ、はっ」
意識を取り戻した男性が辺りを見回す。
ティアは汗だくになっていた。いつの間にか運び込んできた男性たちもいない。レンファと同じく駆け回っているのだろう。
「ここは?」
ティアを認めて男性が尋ねてくる。
「治療院です。毒を受けてたから」
どう説明するのが正解かも分からない。ティアは答える。
「そうか、ありがとうっ!」
大喜びで男性が自分の手を握る。ブンブンと上下に振られた。
そこへレンファが戻ってくる。医師らしき白衣の男性も一緒だった。
元気に手をふる男性を見て目を見張る。
「うそ、すごいわ。解毒まで出来るヒーラーなんて、今じゃ、そうはいないのに。せめて応急処置でもって、そんなつもりだったのだけど」
レンファが呆然としつつも、困惑するティアに気づくと喜ぶ男性を待合室へと引っ張っていってくれた。
むしろティアの肩の方がすっぽ抜けそうなくらいだ。若くて、もともとの体力があったからティアの荒療治にも耐えられたのだろう。
(良かった、出来た)
額から流れる汗を拭ってティアは喜ぶ。かなり魔力を使ってしまったので少し休まないとヒールも放てない。
レンファに臨時休憩の申請をいざというときはしてもいい、と初日に言われていたのだが。
「あ、ティアちゃん、お手柄だったわよ」
笑顔でレンファが戻ってきて告げる。
「でね、院長がちょっと用件あるから来てって。午前の診療時間ももうすぐ終わるから今のうちに行ってきて、そのまま休憩してきたら?」
院長からの呼び出しである。ティアは緊張しながら院長室へと向かうのであった。