7 皇子の心持ち
もっとよく考えて婚約すべきだった。
「レティ、私は君を失い、さらには君の妹を傷つけることまでしてしまったよ。すまない」
リベイシア帝国の皇城、自室にて第1皇子ルディは大聖女レティの遺影を前に呟く。もう夜半、部屋には従者も誰もおらず独りである。
生きていればレティも同い年の21歳だった。そしてとっくの昔に結婚していただろう。
世継ぎを求められる皇太子でありながら21歳にもなって未だ独身なのは、レティを失い、そして後釜にティアの成長を待っていたからだった。
(そして、まったく成長しなかった)
どこか幼い見た目だけではなく、姉と比べて幼いと感じられる人間性も。思い返すにつけて、苦いものがまた蘇ってくる。
5年前、魔王とも称されるほど強力な魔獣、邪竜王が隣国のティダール王国を襲った。ティダールの軍隊も奮戦していたが、空からの不意討ちであったこと、真っ先に国の象徴ながら年老いていた神竜を討たれたことで劣勢となる。
(神竜はティダールにとって、我が国の大聖女と同じようなものだったからな)
神竜の加護と豊富な鉱物資源、さらには進んだ魔導技術によって、小国ながら栄えていたのがティダールである。
(その神竜も天寿を迎えつつあった、というのだから、やはり狙われていたのだろう)
高位の魔獣は人間並みに知性が働くという。
ルディは今も他の似たような魔獣がネブリル地方から襲来するのではないかと警戒を絶やせないのだった。次期皇帝として、父の判断を待たずに下せる判断や施策は自分でどんどん打っている。
(レティ、君もまた)
自分の婚約者だった大聖女レティも救援に向かった。ティダールが落ちれば次はリベイシアだ。放置などは国防上出来なかった。そして、あまりに強力な邪竜王との戦いでレティは命を落としたのである。
「ティアはティアなりに優れた素質のある子なのだが」
見ているこちらが微笑ましくなるほど仲の良い姉妹だった。
姉を失ったことで信心も失ってしまったティア。神に祈らず、力を借りることなくヒールだけでも使えるのは、間違いなく持って生まれた力が優れているからだ。
「私も義妹としてしか、その延長でしか見られていない。そんなことはなかったか、と本当は思うんだ」
悩むと考えをまとめるべく、いつしかルディはレティの遺影に語りかけるようになっていた。写真の中のレティは16歳のままだ。現在のティアと同年のはずなのだが随分と大人びて見える。
自分もまた大聖女レティを忘れられていない。未練たらしいといえば未練たらしく、反省すべきところではあった。
「あの子は追放するしかなかったんだ」
ポツリとルディは呟く。
ブランソン公爵家。有力ではあるが、男児に恵まれなかった。それでも大聖女レティと自分との婚姻で皇帝の外戚となれるはずが、長女にして大聖女とも呼称されたレティの落命で、現公爵夫妻も肩を落としたという。
それでも次女のティアに期待をかけていたところ、ヒールしか使えない、信心もないということで、他の貴族に付け入られる隙となった。傍から見ればただ、神への不敬と怠惰にしか見えないティアの状態。
ただ一方で、本人が思い直してくれさえすれば解決するようにも思えたのだが。
一向に状態は良くならず、ブランソン公爵家と自身への風当たりも厳しくなる一方だったのである。
(そして、とうとう私にも庇いきれなくなった)
ルディとて次期皇帝なのだ。自分の元へ嫁ぎたい令嬢も嫁がせたい有力貴族も、幾らでもいる。
「だが、そうだ。そもそも君を失ったから、と君の妹を。同じく素質がありそうだから、と婚約したのがそもそも軽率だったんだ」
ティアにしても義理の兄としか見ていなかった男が、姉の死を境に自身の婚約者となってしまったのだ。
だから婚約者として式典に伴っても祝い事の席への出席でも、お互いに違和感があった。目立った落ち度がその面でティアにあったわけではない。神に祈らないこと以外はむしろ、懸命に、よく努力していたようにすら思う。
(だが残念ながら、何をしてもレティよりも見劣りしてしまうのも確かだ。とても心許ない。次の国母としては)
すらりとしてどこか凛々しさのあったレティに対して、可憐で小柄なティアはどうしても子供っぽく見える。
そこすらもいつしか気に入らなくなって、自分はティアとともに行動する機会を減らしてしまったのだが。
結局、ブランソン公爵家や自身への非難を躱すため、ティアを破談にし、山岳都市への追放そして勘当という処罰を与える形しか取ることが出来なかった。
ティアの人生を振り回したことへの申し訳無さだけは込み上げてくる。だから、さほど悪くない紹介状だけはしっかり持たせて送り出してやることにした。
今頃は少しでも心安く新しい生活を受け入れてくれていれば良い。
コツコツと静かに窓を叩く音が響く。こんな訪いの仕方をするのは一人しかいない。
「入ってくれ」
ルディは静かに告げる。
窓が外から静かに開かれ、若い女性がするりと部屋に入ってきた。茶色の短髪、引き締まった細身の身体に青い軽鎧を纏う。凛々しい色白の美女だ。腰には白い鞘に納めた剣を差している。
「殿下。無事にティア様はベイルの治療院にたどり着きましたよ」
女性が窓を内側から鍵を閉めて告げる。
「そうか。すまない、マイラ。苦労をかける」
ルディは女性剣士マイラを労う。他にも各地で剣を振るってもらっている中、『世間知らずのティアを見守る』という私事を依頼してしまったのだった。
「いえ、私も心配でしたから。私にとっても、他人の妹御ではないのですから」
かつて、大聖女レティの護衛剣士として共にティダールでの戦いに赴いたマイラである。大聖女レティの妹ティアについて、思うところもあるのだろう。
(ティダールでの戦いでは、レティとともに邪竜王に立ち向かった一人だからね)
実力は間違いがなく、秘匿での頼み事もしやすいのであった。
「世の中、捨てたものではないですよ」
たおやかに微笑んでマイラが告げる。
「何度か危なっかしいところもありましたが、助けてくれる人が別にいて、ティア様はご無事だったのですから」
おや、とルディは違和感を覚えた。
いつもは淡々と報告するだけなのだ。表情もどこか明るい。レティが死んでからは笑うことも滅多になくなったのだ。
「何か君、いつもと違うね」
なんとなくルディは告げる。こういう時の自分の勘はよく当たるのだ。外したことがない。
「ようやく、見つけたんです」
たおやかな笑顔のままマイラが告げる。まるで恋する乙女のようだ。年齢は自分やレティと同年である。
ただ、ルディとしてはまだまるでよく分からないのだが。
「何をだい?いや、誰を、なのかな?」
ルディはさらに聴き直す。
「ずっと、探していた人をやっと」
言われてルディも思い出す。
5年前の邪竜王との戦いの後にマイラが気にかけていた人物がいたことを。
「たまたまティア様を見ていて、そしたら」
目には涙すら浮かべていた。5年間ずっと、マイラが探し続けていたことをルディも知っている。
「ティダールの軍人だったね」
邪竜王と対峙したのは大聖女レティだけではない。現地のティダール軍人もまた、戦っていたのだと聞く。
マイラが嬉しそうに頷く。
「だから、私、もう一度、ベイルへ行ってまいります」
笑顔のままマイラが宣言した。
たしかにもう任務どころではないだろう。
各地で魔獣の出現が増えている。腕利きの剣士であるマイラにも頼みたいことがいくつかあったのだが。
(他を手配しよう。それかいざとなれば私が出向けば良い)
自分の用事で各地を回るときも、人探しも兼ねていたのだ、ということはルディも察している。
「本当に間違いないのかい?」
ただ、人違いでは困る。自分にとっても利益のある話ではあるのだから。
「はい」
ただ勢い込んで頷くマイラ。
もう頭の中はいかにして、その人物に接近するかしかないのだろう。
ルディは苦笑いだ。
かつてティダールには極めて精強な部隊がいた。
空から邪竜王たちに襲撃されても一歩も引かずに戦い、時には圧倒していたという。当時、空を埋め尽くさんばかりの飛竜に奇襲されたのだった。
(私も大変興味深い)
邪竜たちとの壮絶な消耗戦の末、全滅した、と言われているのだが、ただ一人、マイラだけは否定していた。
「あの人が死ぬわけない、そう思っていて。そして、私が彼を見間違えるわけ、ないんですから」
そして、マイラがわざわざ窓を開け直してまた夜の中へと姿を消すのであった。