62 メルディフ家の令嬢
「お姉様、殿下はお返事をなんて?」
妹のリーリィ・メルディフが四阿にまで来て尋ねてきた。自分と同じ綺麗な紫銀の髪が風に揺れる。心配そうな青い瞳に映る自分の表情が実に落ち着いていることにカレンは満足した。
(こんなことで動揺するような自分でいたくないもの)
当代メルディフ公爵の長女カレン・メルディフはちょうどくつろいでいるところだった。頭の中ではしかし、思考を目まぐるしく巡らせている。今は自分の人生と次代のリベイシア帝国運営について、重要な局面を迎えていた。
メルディフ公爵家の壮麗な屋敷、その白壁が陽光を照り返す。少しずつ、暑い季節へと変わっていた。
強い陽射しにカレンは目を細める。リーリィが所在なさげに白い丸テーブルの向かい側に座った。
「とりあえずは、お越しくださるみたいよ?」
扇で口元を隠し、カレンは答えた。
妹のリーリィと同じく、紫銀の髪に青い瞳、整った容姿の自分。学業成績も貴族としての優雅な所作も今、生きている誰にも劣らないという自負はある。
(ティア・ブランソンさんには当然、負けてはいない。かつての、大聖女レティ様にだって、貴族としては)
公爵家筆頭メルディフ家の長女ということもあり、大聖女レティさえいなければ、文句なくルディ皇子の妃となるはずであった。
(いくら、レティ様を愛していたにせよ、死んでいなくなったからって、その穴埋めを妹にさせようだなんて)
カレンは大聖女レティ没後のルディ皇子の動向に眉を顰めてきた。
大聖女レティもその妹ティアのことも嫌いではない。
ルディ皇子の婚約者が大聖女レティであるから、父も自分も納得して身を引いた。
容姿と能力で並んでも、神聖魔術の面ではどうにもならない。自分は使えないのだから。ブランソン家も格で劣るながらも公爵家である。大聖女という特殊事情を覆すほどには、メルディフ家とブランソン家では、家格の差がなかった。
(そう、レティ様なら。私も憧れてたし、何度かは助けていただいた)
個人的なレティシア・ブランソンへの敬意もあって。
カレンも当時は何も思わなかった。ただ、たまたま当代メルディフ家の自分は皇帝妃になる巡り合せではないのだ、と言い聞かせ、思い定めてきた。
(でも、今は違う。大聖女レティ様がいなくなったから、次は私って。お父様の面子を保つことも、メルディフ家の力を次の皇帝の後ろ盾とすることの重要性も、みんな、分かってる。もちろん、私も)
ルディがレティを妻とすることの重要さは大聖女を皇帝が妻とすることの期待の裏返しだった。カレンはそこをよく理解しているつもりである。
「ねぇ、お姉さま」
リーリィか遠慮がちに切り出す。
いつもならニコニコして今、卓上にあるお菓子を頬張りだすのだが。
可愛らしくて明るい妹なのだった。
「これはまだ、公になってないけど、殿下にティアさんと復縁しようって動きがあるみたいだって」
どこからともなく噂を集めてくるのがリーリィである。
今回は特に酷い内容だ。あまりに重症なルディを思い、カレンは深くため息をつく。
「それは、まずいわね。殿下、分かってらっしゃるのかしら」
ブランソン家の格も悪くはない。
例えばメルディフ家に女児がいないなどの事情があれば、后妃を輩出してもおかしくはない程度には。
(でも、実際にはこの私がいるのよ?)
それこそ大聖女レティであれば、ブランソン家出身の皇帝妃もおかしくはない。自分だって納得していたぐらいなのだから。
「私、ティアさんが戻ってくること、それ自体は嬉しいのだけど」
喜びたいのに喜び切れない。複雑な表情をリーリィが浮かべる。
リーリィもティアと同年の16歳であり、学友であった。
「そうね、私もよ」
カレンは自らも心から同調して頷いた。
ティア本人のことはカレンも嫌いになれない。急遽、姉の代わりを押し付けられて困惑しただろうに、小柄で可愛らしく、妃教育などの作法もよく頑張っていた。
(正直、可哀想で代わってあげたいぐらいだったのに)
問題は一つ、ルディが自分を選ばなかったということだ。
「私、ティアさんのことだから、もう開き直って新しい人生を前向きに歩んでるって思うの。正直、また戻ってこいってなったら、迷惑だ、ぐらいに思うんじゃないかしら」
リーリィが小首をかしげて言う。
どこまで話が進んでいるのかもカレンには分からない。
だが、ティアを破談とした直後、積極的に妃候補を探していたルディが一切の誘いを断るようになった。
(まぁ、結局はあの人、誰であろうと大聖女レティ様と比べてしまって選べない。そんなオチになったのでしょうね)
手に取るようにカレンはルディの心境の流れを読み切っていた。
「そうね、あれだけ言われても自分を曲げない子だったものね」
大聖女レティの死後、ティアに向けられた祈りの強要は見ていて胸が痛くなるほどだった。また、他のことで何かを頑張っても、そこを捉えて聖女として落ちこぼれだと叱られていたのである。それでも頑として祈らなかったのだ。
(意思の強い子ではあったのよね)
そんな、ティアに対しては外野よりも身内の方が厳しいぐらいだった。
ルディが自分をちゃんと選んでさえいれば、カレンもティアに対して悪い印象はない。むしろ、あの大聖女レティの後釜を押し付けられて同情していたくらいだ。
(そして、私にはメルディフ家の長女としての覚悟も責任もある)
この期に及んでティアを戻すことの拙さをルディが気付かない。
(本当に殿下、分かってらっしゃるのかしら。あなたに言いなりなように見えて。実はあなたを見てるのは陛下のほうだってこと)
あまり妃探しで判断を誤るようなら、他を頑張っても見切られかねないということ。辺境にも遠縁ながら実力のある皇族がちらほらといる。皇帝が養子にでもして、さらにカレンを妻とすれば、皇位の継承権はどうとでもなるのだ。
(帝国の安定を思えば、ここは、メルディフ家と皇家の繋がりは必須でしょう)
ここにはいない、ルディにカレンは語りかける。
もともと嫌いではなかった。自分にとって結婚は政略結婚となるであろうことも、納得している。
「私にも落ち度が、まったくないではなかったけど」
嘆息してカレンは呟いた。もっと心からルディを愛し近づいていれば違ったのだろうか。人として自分は冷静でありすぎる、とカレンは自省する。
ティア破談のあとも、執着している、と思われたくなくて、ルディの方から来るのを待ってしまったのだ。
「私もまさか、またルディ様がティアさんに行くなんて、でも、愛してるようには見えないのに」
リーリィがお菓子の包を手で弄びながらこぼす。
「そうよねぇ」
相槌を打ちつつ、カレンは別のことを考えていた。
ルディのことはやはり嫌いではない。皇位の流れとしてもやはりルディが継ぐのが自然は自然だ。
「私も少し、考えなくちゃいけないわね」
カレンは深く、ため息をつくのであった。




