61 ヒックスからの報告
ヒックスはティアに礼を述べた翌日、守備隊の本営に赴いていた。
(リドナーのやつが惚れ込むのもよく分かるな)
ヒックス自身はもう、ティアに肩入れすると決めている。
いつも出勤するやしているガウソルの事務的な手伝いを一切やらず、訝しげな当人には『所用です』とだけ告げて詰め所を出た。
(自由に活動させないには一番良い)
そうすれば、ガウソルを事務仕事に釘付けにしておける。 真面目は真面目なので、苦手でも終わるまで仕事を放置しないからだ。無駄に我慢強くもあるので放り出すこともしない。
(で、今度は終わること無い、果てしのない訂正が待っている、と)
可哀想だが事務仕事をすればするほど、仕事が増えるのもガウソルなのであった。
だが、ティアへの借りを返すのには必要なことだ。ヒックスは思う。まして神竜への不敬は捨て置けない。
(まぁ、うちの息子もそこは気性が良くてよかった)
無事、ロイも直接ティアに礼を言うことが出来てヒックスはホッとしている。出来れば神竜自身にも礼を述べるべきではあったが、それを出来ないのはロイ本人のせいではない。
(つくづく、良い娘なんだが)
総隊長ヴェクターの下へと急ぎつつ、ヒックスは思う。日中、ヴェクターが各隊への巡視を始めてしまうので、朝の時間帯を狙ったのだ。
そこまでして対応を急ぐのは、一刻も早くティアのところへ神竜を戻してやりたいからだ。ヒックスを利用しようという様子も、恩着せがましいところもないティアに報いたいからなのだった。
「しかし、なんであんな良い娘をがリドナーなんかと付き合っているんだか」
思わず声に出して呟いていた。
リドナーも悪い男ではないが、もったいない気もする。
『リドナー』、『付き合う』という単語ですれ違う若い本隊の守備隊員が何人か自分の方を向いた。
最近、巷で評判の可愛いヒーラー・ティアのことだと分かる人間には分かるのだろう。
(いけねぇ。そんなんじゃなくて、問題はうちの隊長と揉めてるってことの方だ)
ヒックスは逸れた自分の思考を矯正しようとした。
(そして、マイラさんも俺にとっちゃ恩人ではあるが)
妻のユウリを救ってくれたのが、ガウソルの同棲相手である魔法剣士マイラなのだ。迂闊にガウソルを害すればマイラの方を苦しませる恐れもあった。
「いや、だが、それでも」
ヒックスは天秤にかけて結論を出したのであった。
(軟禁されてるってんだから、神竜様の方を先になんとかしねぇと)
だから今、ヴェクターの下を訪おうとし、やっとヴェクターの執務室の前に到着した。
多少、話がややこしくなるかも分からない。息を1つ吐いてヒックスは覚悟を決めた。
「失礼します」
告げてヒックスは扉を叩く。
中から人の気配が間違いなくするのに、いつまで経っても返事がない。
「総隊長、失礼します」
ヒックスは思い切って少しだけ扉を開き、中に向けて告げる。
「あぁっ、ヒックスか。すまない、気がつかなくてな」
うつむいていたらしいヴェクターが弾かれたように顔を上げる。難しい顔で何事かを考えていたらしい。
「こんな時間に珍しいな、どうした?」
更にいかつい顔で苦笑して尋ねてくる。考え込んでいたことが気まずいらしい。
「総隊長、お耳に入れたいことが、また」
単刀直入にヒックスは告げる。
いつもの自分の話し方ではない。
ヴェクターが片方の眉を上げた。自分が平静ではないと、話し方1つで伝えた格好だ。
「なんだ、らしくないな。本当にどうした?」
座ったままのヴェクターがきちんと察して水を向けてくれた。
「ティア嬢と神竜様の件で」
自分の中ではドラコと呼ぶらしき幼竜は神竜様で確定しているのだ。あえてヒックスは言い切った。
その上で一連の出来事をヴェクターに伝える。
最初は訝しげだったヴェクターの表情が話を進めるに従って、険しいものへと変わっていく。
「つまり、件の神竜様はティア嬢の近くにいれば、神聖魔術まで使えるのです。いつまでもガウソル隊長の気まぐれで引き離していて良い存在ではありません」
最後にそう、ヒックスは締めくくった。もっと人々の役に立てる、ティアとドラコの組み合わせなのだ。外向けには説得力のある話し向けではないかと思う。
「正確にはヒールという形でティア嬢から委譲された魔力を使い、神聖魔術ホーリーライトとして放った。そういうことらしいぞ」
一通りを聞き終えてからヴェクターが笑って告げる。
「なんで総隊長がそんなことまで?」
驚いて思わずヒックスは尋ねていた。どうやって探っていたというのだろうか。目まぐるしく思考を巡らせる。
ロイから聞く限りの状況では目撃者などそういなかったはずだ。
「あぁ、お前の話にも登場したマイラ殿が直接、昨日ここに来てな。教えてくれたよ」
険しい顔をしていた理由がようやくヒックスにもわかった。既に自分の悩んでほしいことで悩み始めていたところだったのだ。
「しかし、彼女はガウソル隊長側の人間でしょう?」
なぜティアに肩入れするようなことをしたのか、ヒックスには理解が出来なかった。
「ことがことだからな」
肩をすくめてヴェクターが言う。
「遅かれ早かれ、ガウソルがどう言おうと、正式に調査が実施される。そうなれば、ドラコとやらは神竜様の御子と断定されかねない。彼女はそう確信していて、そうなるなら、今の内から自分がティア嬢たちを助けておいて慈悲を乞おうと考えている。ガウソルのために、な」
よほど、マイラがガウソルに深く惚れ込んでいて、ゆえに深く物を考えているのだ、とヒックスにも分かった。ガウソルの代わりに情勢とその行き着く先を見据えているのだった。
「俺も息子の件で確信しました。息子を救ってくれたのは神竜様で、このままではいけません」
ヒックスは一歩踏み出して告げる。
「分かってる。信頼の置ける2人の人間からの報告だ。俺も見過ごすわけにはいかん」
ヴェクターがため息をつき、トントンと指で机を叩く。
「では」
話が自分の進んでほしいところに落ち着こうとしている。
守備隊本営の騒がしさを背中で聞きつつ、ヒックスはヴェクターを見据えた。
「俺は早速、明日、ガウソルのやつと話をしてとっちめる。当初の予定よりも厳しめにやる」
ヴェクターとしても神竜の存在は大きい。もともと信仰の対象であり、魔獣襲来の頻度も強度も変わってくるからだ。
「それに、明日をやり過ごされても、神竜の神殿で神官をしていた人物をマイラ殿が紹介してくれた。もうベイルに近づいているそうだ。有無を言わせず確認にも応じさせるさ」
着々と話は進んでいたのだ。
ティアとドラコのことを思い、ヒックスは安堵する。
「そこまですりゃ、ガウソル隊長も納得するでしょ」
笑ってヒックスは告げた。
「安心するのは早い」
苦虫を噛み潰したような顔でヴェクターが言う。
「あいつの考え方は俺でも理解は出来ん。そして腕力だけは並外れているんだ。人間相手なら最低限の礼節は守ると信頼できるが、本人がただの竜と思ってるからな。激高して幼竜の首などへし折りかねん」
嫌なことをヴェクターが告げる。
「それは」
絶対にやらない、とまではヒックスも言えなかった。
戦う時のガウソルは恐ろしい。それはヒックスにも頷ける。
「だから、ヒックス、お前はよくガウソルを見ておけ。そして時には愚痴を聞くなり相槌を打つなりして毒を抜け。それがお前の役どころだ」
こうして、最後にヒックスは厄介な役どころを仰せつかり、守備隊本営を後にするのであった。