6 ベイル守備隊第26分隊隊長ガウソル
元聖女ティア・ブランソン公爵令嬢を結果的に救助してから5日が過ぎた。
ガウソルは部下のヒックスとともに書類仕事に追われている。といっても、自分はあまり役に立たない。苦手なのである。
「隊長はいいですから。誤字が無いかだけ、よく見といてください」
あまりに有能なヒックスが苦笑いして言うのだった。言われはしたものの、今までヒックスが誤字脱字の間違いをしたことはない。酷い時には自分の方が直そうとして間違える。
「すまんな」
一応、ガウソルは頭を下げる。
魔物の多いネブリル地方と境を接するのが山岳都市ベイルとその近郊だ。本当は町の外へ出ての警戒活動に専念したいところ、余分ごとが降って湧いたのだった。
(あいつめ)
心の内でガウソルは毒づいた。
馬車救援の直後、もう一人の部下リドナーがチンピラ4人と揉めている。一人には手も出したらしい。絡まれた少女を助けるためだったということで、報告書で済んだのだが、報告書をガウソルが上司として作らなくてはならなかった。場合によっては始末書、さらには処分も免れられない事案だ。
(その、少女というのがティア・ブランソンだときてる)
そして、本人は自身の作るべき書類だけを作って、さっさとどこかへ逃げたのだった。
(たぶん、治療院だな)
昼飯時である。ティア・ブランソンも昼食休憩の時間帯ではないか。いつも昼の時間帯は治療院が閉まっていた気がする。
「まぁ、人助けではあったらしいですよ」
ヒックスが苦笑いして告げる。今は現場の見取り図を作ってくれているのだった。報告書に添付するのだ。
「あぁ、下心丸出しのな」
憮然としてガウソルは頷いた。
道に迷い、裏路地に入ってしまったティア・ブランソンを助けるためだったという。世間知らずの元公爵令嬢様では何が起こってもおかしくはないから、善行ではあった。
(だから、良いことをしたんだ、とは俺も思うが)
助けに入ったこと自体はガウソルも不満はない。
そもそも本件が発覚したのも、当のやられた本人たちが菓子折りを持って、ここ第26分隊の詰め所へ詫びを入れに来たせいだった。薬が効きすぎた、というだけのことである。菓子も美味かった。
「当の本人は遊びに行ってるんだぞ?」
結果、自身の監督責任の方が問われることとなってしまった。そして、作るべき書類が本人より自分の方が多いとはどういうことなのだろうか。まして、自分は書類を作るのが、本当に上手くない。ヒックスに手伝ってもらうしかなかった。
(この間も総隊長に怒られたしな)
窃盗事件の見取り図を、頑張って自力で作ったところ、足りない所だらけだったらしい。ヒックスも後で知って苦笑いしていた。そして代わりに作ってくれている。見てもいないのになぜ自分より上手く書けるのだろうか。
(怒られたところも、よく分からんかった)
ヒックスと同じく、要領のいい今頃リドナーは『巡回』と口実を作って、治療院の辺りをうろちょろしているはずだ。本当に見え透いている。
「まぁ、やつはまだ若いし。実際にあのお嬢ちゃんは別嬪だったから。それになんか若え衆の間じゃ噂になってるんでしょ?可愛くて腕の良いヒーラーが来たって」
ヒックスももう30代の半ばになっている。赤毛の痩せた男であり、剣以外にも弓の腕が良く、実戦でも重宝する存在だ。
(なんで、平の隊員をしていたんだろう)
首を傾げてしまうぐらい、有能なのだった。
本人が言うには「所帯を持って死にたくないから後ろにさがる口実が欲しかっただけ」とのことだが、実際は仲間思いの良い部下である。
「そういうことに、俺は興味がない」
ガウソルは報告書の文面に集中しようとした。ヒックスやリドナーと違い、目を通すだけでも難事業なのだ。
「またまた、隊長だって若いんだから本当は一人ぐらいどこぞかに」
当のヒックスが、とんでもないことを言い出して集中を邪魔する。
「どこにそんなのがいるってんだ、まったく俺をリドナーのやつと一緒にするな」
それでもあしらってガウソルは話題を戻した。
ヒーラーとしては優れているらしい、というのも初耳だ。
「よっぽど、惚れ込んじまったんでしょうなあ」
ヒックスが他人事のように言う。
(いくら惚れたって、或いは惚れ合ったって駄目だろうよ)
相手は公爵令嬢なのだ。まかり間違えて交際したとしてもどこかの段階で身分の違いが顔を出す。
腕前が良いというのも考えものだ。あまり知られてはいないが大聖女レティの実妹なのだから。
(むしろ、こんな町にヒーラーとして送られてくることのほうが問題だ。本来なら当代の大聖女として姉の代わりをしてなきゃいけなかったんだから)
ガウソルは思うのだった。課題の難易度を下げてもらえたことで優秀に見えている、というところではないか。
自分なりに情報は追っていて、全体的にティアの存在は隠されてきたように感じている。
(こうなる可能性があったからだな)
早い段階で大聖女としては力不足であることをリベイシア帝国の上層部は察していたのではないか。
「いずれ、こっぴどく振られるさ。可愛いヒーラーがいつまでも守備隊の一剣士を相手にしてくれるわけもない」
言葉にもして、ガウソルはヒックスに告げた。
「分かりませんよ、男女のことは」
その面では年長者のヒックスにたしなめられてしまう。
一般論ではそうでも、相手は元公爵令嬢だと知っていたら当然違う結論にヒックスも至るはずだ。
曖昧にうなずくにガウソルも留めておく。
「そんなことより、近々、ネブリル地方近郊で魔獣の討伐をやるらしい。忙しくなるぞ」
ガウソルは告げる。一旦、作っていた報告書を脇に置く。
ネブリル地方から侵入してくる魔獣の数がますます看過できない状態となっていた。先日の乗り合い馬車襲撃のような騒ぎこそ起こさせていないのだが。
「なら、なおのこと、リドナーのやつにも働いて貰わないと」
苦笑いしてヒックスが告げる。
確かにリドナーの剣技は役に立つ。
自分と剣撃の訓練を続けているうちに卓越した遣い手になっていた。さらにちゃんとした剣技の師匠をつけると目覚ましい上達もして。
(最後にはあいつ、師匠超え、してたもんな)
我がことのように嬉しかったのをガウソルは今でも覚えている。
いつまでもリドナーの報告書ばかりに構っていられないのも、仕上がるまでに長く時間のかかっている理由ではあった。
兵糧に始まり、通常に使う武器に予備の武器、ヒーラーの手配、申請までガウソル自身がしなくてはならない。つまりヒックスに手伝ってもらうこととなる。
(そう考えると本当に大変なのはヒックスなのかもしれない)
だが、仕事の早いヒックスが大変そうにしているのを見たことがない。なぜ平の隊員なのかと思わされるぐらいに優秀なのだった。
「すいません、戻りました」
実力的には副官のリドナーがニコニコしながら帰ってきた。
「お前な」
どうたしなめたものか、ガウソルも悩む。
他の部下が巡回中、軽く恋人と会う程度ならそこまで叱ってはいない。暗黙の了解というやつだ。
「隊長、ティアちゃん、凄いんですよ。あの子、ヒールで何でも治しちゃうんだから」
勢い込んで説明してくるリドナー。
たしなめる前に先手を取られてしまった格好だ。
「ヒールだけしか使ってないのか?」
ガウソルは自身も違和感を覚えてリドナーの話に応じてしまう。
「そうですね。なんか他のヒーラーさんとはちょっと違うんですよね」
リドナーも首を傾げる。
ヒックスの冷やかすような苦笑いをガウソルは無視した。
「多分、魔力の扱いが上手いんだろうって、事務の人は言ってました。俺にはよく分からないけど。隊長なら、何か分かるんじゃないですか?」
意味ありげにリドナーが笑う。
自分のことを以前から知っているのはリドナーだけだ。ヒックスのいる場所で自分がその話題に乗るわけがないことも。
「俺が分かるわけないだろ。そんなことより、女に現を抜かしてる場合じゃない。近々、ネブリル地方で魔獣の討伐をやるんだからな」
ガウソルは釘を差しておく。
「分かってますよ。仕事はちゃんとやります」
真面目な顔でリドナーが言う。
確かに本当にしなくてはならないところは、実にしっかりするようになっていた。ティア・ブランソンとのことで文句を言わせない。そのためなのだとすれば、やはりガウソルは複雑なのだが。
「仕事以外でもな。心配になるんだよ。分かるだろ」
ため息をついてガウソルは告げる。
「それは、よく分かりますよ。隊長は親父みたいなものなんたから」
しみじみとリドナーも告げるのであった。