51 襲来1
まだ幼いとは言え、竜などを外に出しては騒ぎになるのではないか。
外に出てからティアはそこに思い至った。浮き浮きする気分に身を任せたことを束の間、反省する。
(でも、もう、来ちゃったし。外にも出ちゃったし)
ティアは気を取り直すこととする。
幸い、人の往来が少ない。ほとんど出歩いている人はいなかった。離れたところで、コソコソ遊んでいる少年が3人ほど見えるばかりである。
ティアは猫の子か何かのように幼竜を抱っこしているのだが、こちらには少年たちも見向きもしない。
「ピッ」
初めての大空を、幼竜が空と同色の澄んだ瞳で見上げる。
圧倒されたように、遠慮がちに鳴き声を漏らす。
「びっくりした?世界って広いんだよ」
優しく顔を近づけてティアは囁く。
自分も世間が広い方では決してないのだが、少し先輩ぶりたいのであった。
「ピィッ」
神妙な顔つきでもう一度、注意深く鳴く幼竜。恐る恐る辺りを見回した。いかにも警戒している様子が可愛らしい。
また『怖くないよ』と告げかけようとして、ティアは名前すらないことに不便を感じる。
「名前、ないとなんか呼びづらいね。名前、どうしようかな」
しばし、ティアは思案する。
一呼吸遅れて、マイラも家の外に出て来た。火の元やらなにやらをきっちり片付けてきたらしい。昔から妙なところで几帳面であったことをティアは思い出す。
「そうだ、ドラコッ!ドラコって呼ぶね」
ようやく思いついてティアは告げる。ドラゴンの子供だからドラコだ。名前の響きもティアはなんとなく気に入って満足した。
「ピッ」
耳をピンと立ててドラコが鳴いた。どうやら気に入ってくれたらしい。
「それ、その子の名前?安直な名前ねぇ」
呆れ顔でマイラが告げる。自分では何も思いつきもしないくせに、だ。
「いいんです、本人が気に入ってるんだから」
憮然としてティアはむくれた。
「多分、その子、あなたがつければガウソル2世って名前でも喜ぶわよ」
マイラが負けじと痛烈な皮肉を返してくる。
考えうる限り最悪の名前ではないか。名前を聞くだけでも腹が立つ。
(ガウソルさんが私たちに嫌われるようなことしてるって、そういう自覚がマイラさんにもあるなら、もっと止めてくれればいいのに)
更にティアは思い、もっとムカムカとしてしまうのであった。
「ピイイィッ」
ドラコもたてがみを逆立てて怒っている。
「あら、ガウソルって誰のことを言ってるのか、その子、分かるのね。やっぱり賢いわ」
悪びれもせずにマイラが言う。
「本当に神竜の子かもしれないわよね、不思議だもの」
しげしげとドラコを見つめているマイラ。
神竜の子ということになれば、今の扱いをしているガウソルの立場がまずくなる。だから、肩入れしてくれているのだ、とティアもリドナーから聞いていた。最後のところではドラコや自分よりもガウソルを選びそうな危うさはある。
(神竜かどうかなんて、私には関係ない。この子が神竜じゃなくても、私、大事にする。私の魔力で、この子は生まれてきてくれたんだから)
ドラコが絡むと少しおかしくなる自分の思考。執着心が強すぎる気もする。
(干渉、されてるのかな。ライカ院長とかリドの言う通りなら。でも、嫌な感じしない)
ティアはドラコのたてがみを手遊びしつつ思う。
ずっとドラコはされるがままだ。ついさっきまで怒っていたというのに、今ではすっかり落ち着いている。
退屈なのではないか。遅れてティアは気付く。ずっと地下の檻に押し込められていたところ、せっかく広い外に出てこれたのだ。
「少し、飛んでみたら?楽しく遊んでて、いいんだよ?」
見ている人もいないのだ。
(そもそも見られたって、何も悪いことないし)
若干、開き直っているような心境の自分にティアは苦笑する。
「ピッ」
もう一度、注意深く辺りを見回して、ドラコが身体を起こす。
恐る恐る、翼を動かして宙に浮かぶ。
(鳴き声だってこんなに可愛いのに、でも、何年かしたらすごく大きくなるのかな)
ティアとても竜の生態に詳しいわけではない。
治療院での仕事が忙しく、ここまで調べる時間もなかった。ただ、何かの資料で目にした神竜の姿は家よりも大きかった記憶がある。
(お休みの日に図書館で調べてみようかな)
山岳都市ベイルにも大きな図書館があるのはティアも把握していた。ちょうど山岳都市ベイルでも下層域にあるので、少し治療院から距離があるのだ。
「ピッピッピッ」
ドラコがさえずりながら自分の周りを飛ぶ。少しずつ外の雰囲気にも慣れてきたようだ。
更に楽しくなってきたのか、屋根の上に登ってみたり、植木にぶつかってみたりしている。
「こうして見てると、竜っていうより、愛玩動物なのよねぇ、うちにいるときは置物だったけど」
苦笑いしてマイラが零す。
少し、空が翳ったような気がした。
(雲かな。変ね、風もないのに)
ティアは違和感を覚える。
マイラの表情も一瞬で険しくなった。素早くあたりを見回し、目を見開く。
「危ないっ!」
マイラが鋭い声を上げる。
同時に駆け出してもいた。
剣を抜き放っている。何をしようというのか。ティアはとっさのことでただ固まってしまう。
風のようにマイラが速く駆けて、ドラコの真下に仁王立ちした。やはり上を向いている。
「雷光っ!」
戸惑う間にマイラが電撃を空中に放つ。
空にはまだドラコがいる。いつの間にか調子に乗って、屋根にほど近いあたりにまで浮かんでいた。
「何をっ!」
ティアは声を上げる。
電撃がドラコに向けられているように見えたからだ。
だが、すぐにドラコではなく、その更に上から急降下してくるものを狙っていたのだと気付く。
大きな影。視界のはるか外から、あまりの速度で急降下してきたのであった。
「グエエエエッ」
苦悶の声を上げてシャドーイーグルが墜落してくる。
「はっ」
力なく落ちてきたシャドーイーグルの首を斬りつけてマイラがとどめを刺した。
自分より大きな魔獣をあっさりと倒してしまう。改めてマイラの実力を目の当たりにした。実力者の一人で間違いないのである。
「まったく、シグったら何をやってんのよ」
マイラが鋭い眼光で周囲を見回しつつ呟くのであった。