5 ベイル治療院院長
「院長、リベイシアの皇子殿下の紹介で新しいヒーラーの子が到着しました。凄腕ですよ!」
レンファがノックしながら、興奮冷めやらぬ、といった口調で告げる。
紹介されて、ティアとしては縮こまってしまうのであった。ただヒールをかけただけ。ここの治療院にいる先輩たちなら誰でも出来るのではないか。
(それに、聖女の人たちなら治療とかよりもっと)
攻撃の神聖魔術で魔獣を駆逐することも出来る。自分には出来ないことだ。まして、姉に比べれば自分など、と思ってしまう。
「どうぞ、入っておくれ」
落ち着いた声が中から応じてくれた。
レンファがそっと木製の扉を開く。
正面に黒塗りの大きな机、初老の女性がこちらを向いて座っている。
「失礼します」
ティアは頭を下げて告げる。自分のことなのだ。レンファに甘えて会話を全部押し付けるのは間違っている。
自分の顔を見て、院長がなにか腑に落ちたような顔をした。
「なるほどねぇ、あんたが。あたしはここの院長のライカ。ライカ・カーマイルだよ」
薄い金髪の女性だ。気の強そうな眼差しが自分にしっかりと向けられていた。座ったまま名乗る姿には、院長と言われて納得できるだけの貫禄があった。
「レンファ、あんたは仕事に戻んな。紹介状は目を通しておくよ。ま、どうせロクなもんじゃないだろうけどね」
いたずらっぽくライカがティアに目配せしてくる。ライカに言われたことで、一礼してレンファが立ち去ってしまう。
心細いのをティアは抑え込んだ。
「私はティアと言います。ここで、働かせてください。一生懸命、頑張ります」
生計を立てるためにも働かなくてはならない。ヒールだけは使える、そんな自分の力を活かすために、ここで使われたい、という気持ちがあった。
「言われなくてもね、ヒーラーの数は、この街じゃいつも足りない。大歓迎だよ」
苦笑してライカが告げる。
「しかし、それにしても、ティア・ブランソン。大聖女レティ様の妹とはね」
告げられて、ティアは身をこわばらせる。
ティダールに来てから初めて直接、言及されたのだった。
「あんたがここに着く前にね、下話くらいは来てるよ。そりゃ公爵令嬢様ってだけでも大騒ぎなのに、大聖女レティ様の妹となればね」
苦笑いしてライカが告げる。自分の持ってきた紹介状よりもはるかに分厚い資料を、バン、と音を立てて机上に投げ捨てた。
「祈りを捧げずヒールしか使えない、聖魔術やら破邪の魔法やらは使えない、と」
ライカが座ったまま腕組みして告げる。言葉を切って、値踏みするように自分をじろじろと見つめてくるのだ。
「裏を返せばヒールだけでも使えるならね。ここの仕事じゃ十分だよ。レンファの言ってた治療が、実は出来ないとかでも構わないね。怪我を治せるだけでも使い道がある」
ニヤリと笑ってライカが言う。
「魔獣どもと戦うのは別な連中がするさ。あんたも含めて、あたしらは治療行為に専念すりゃ良い」
自分にとっては、とても有り難い言葉だった。
黙ってティアは頭を下げる。
「その代わり治療行為に妥協はない。あんたの全力全霊を引きずり出してやるから覚悟しな」
まだ、実感の湧かない部分はあるが、ティアの耳にも正論に聞こえた。
今度は素直にうなずく。
「ふん、あり得ないぐらい頑固だ、なんてあったけど。殊勝な態度だね。気に入ったよ」
悪い人ではないようにティアの方こそ思った。
「その、受け入れて下さって、ありがとうございます。私、勘当もされてるから、もう行き場もないんです」
心のままに、ティアは礼を告げた。
「まあ、大聖女の姉にかけてた期待をそのままぶん投げられりゃね、嫌にもなるだろって、あたしも思うが。政略結婚なら他に使い道もあっただろうに、余程、あんたの周りは苛立ってたみたいだね」
苦笑いを浮かべてライカが言う。
「だが、大聖女レティ様の妹だってのは黙ってた方が良いだろうね。ティダールじゃ、その身元はちょっとした騒ぎになるよ」
思いも寄らぬことを言われてティアは目を見開く。
もともと触れ回るつもりもないのだが。わざわざ隠せというならまた別だ。
「ここじゃ、神への信仰は薄いけど。代わりに神竜信仰が盛んだからね。大聖女レティに感謝してるのは良いけどさ。今度はその妹なら竜のかわりをしてくれ、なんて担ぎ出すやつがいてもおかしくない」
真面目な顔でライカが告げる。
姉の代わりでも荷が重いというのに、竜の代わりなどまっぴらご免だ。
コクコクとティアは頷く。
「幸い、細かいところは似てても、あんたと大聖女様は印象があまりに違う。人相書きも出回ってないし、黙ってれば大聖女様と結びつけるやつはそう多くないだろう」
ライカの言葉どおりだった。皇子との仲があまりうまくいっていなかったので、公的な場所にも連れ回されなかったのだ。
(それで、助かった、なんてことになるなんて)
当時はただどうしていいか分からなかったのだから。
皇子と仲が良くなかったことを気に病みつつも、姉の婚約者以上にも、どうしても思えなかったのだから。
(祈らなかったこととは別に、私に落ち度があるのなら)
自分はどうしたいのか。誰にも言っていなかった。というよりも言えなかった。深く考えて来なかったからだ。
だから、婚約破棄されてからずっと自分に問い続けてきた。
「私は姉みたいには出来ません。でも、何もしたくないとか、そんなことはなくて」
ティアは顔を上げて告げる。
「ここで私の力が役立てるなら頑張りたいです」
自分の置かれた場所は決して悪い場所ではないだろう、と考えれば考えるほどやり甲斐のあることに思えた。
どうしても譲れないのは、神に祈りたくない、という一点だけだ。それをせずに頑張れる場所へ送られたのならむしろ僥倖だ、と思うべきだった。
「そうかい、なら宜しく頼むよ、ティア。あたしはあんたに敬称はつけない。他の子たちにもつけさせないから、そのつもりでね。ただのヒーラーとして扱うよ」
ライカが断言してくれた。
言われずとも当然のことなのだろう、とティア自身ですら分かる。わざわざ言ってくれるのは優しさだ。
ティアはただ頷く。
「あと、家がない以上、寮に入ってもらう。ネイフィって娘と相部屋だよ。仕事やら生活やら細かいことはその子に聞くといい。優しい娘だよ」
何もかも手配してもらってばっかりだ。
心苦しく思いつつ、ティアはただ頭を下げることしかできないのだった。