46 再会
扉に表札がつけられていた。『ガウソル・マイラ』と可愛らしく手書きされている。どう考えても書いたのはマイラであり、同棲出来ていることへの喜びが溢れ出しているようにティアは思う。
決意したとおり、休日を活かしてティアはガウソル宅を訪れていた。1人、私服で町を出歩く勇気がなくて、いつものヒーラーとしてのローブ姿である。
(あんな人のどこがいいんだろう)
心底うんざりしながらティアは扉をノックする。
「ティアです」
自分なりに声を張って、ティアは訪いを入れた。
昼日中ではあるが、シャドーイーグル警戒の広報が出ているせいか人通りは少ない。自分も幼竜のことがなければ決して出歩きはしなかっただろう。
「いらっしゃい」
中で人の歩く気配がすると思ったときにはもう、扉が押し開けられていた。
マイラが笑顔で出迎えてくれる。
「あの、あの子は?」
挨拶も抜きで切り出してしまった自分にティアは驚く。一応、皇都にいたころには后教育も受けたのだ。自分では礼儀知らずではない、つもりだったのだが。
包み込むように優しい眼差しをマイラから向けられる。
「あなたがシグに追い出された日から変わらない。ずっと檻の中でうずくまっているわ」
マイラが状況を教えてくれる。
理性ではティアもマイラなりに破格の気遣いをしてくれているのだ、と分かっていた。
(ありがたいって思わなきゃなんだけど)
まだガウソルを『シグ』と呼んでいる。そちらへの好意も距離感も変わらないまま、自分の味方もしようとしてくれているのだから。
「檻に入れてるんですか?あんな小さくて、何も悪くない子を」
しかし、自分の声をついて出るのは咎めるような声と言葉なのであった。本来、ガウソルに直接叩きつけるのが適当な言葉だ。
「シグがね、檻だけは逃がすわけにはいかないからって。私も乱暴な、直接の暴力だけは防ごうって決めてはいるんだけどね」
苦笑いとともにマイラが告げる。檻はマイラ的には許容範囲らしい。
自分を追い返したときの剣幕をティアは思い出す。ドクジグモを倒したときの異様な投擲も。
『ガウソルを抑える』と笑顔で告げられた言葉だが、並大抵の苦労ではなかったはずだ。非常時でありながら、ヒーラーである自分の首根っこを掴み上げるような人間なのだから。
(私じゃなくたって、そもそも女性の首を掴んで持ち上げるなんて最低)
マイラには、当然ガウソルもそんなことはしないのかもしれない。だが、やはりどこが良いのか分からないとともに、マイラに怒りをぶつけるのは八つ当たりだと気付く。
ティアは大きく1つ息をついた。
「ごめんなさい、取り乱して。私も、なんか変なんです」
ときおり、妙な焦燥感に駆り立てられるのだった。
「自覚があるだけいいわよ。私の大好きな誰かさんは本能のままに生きてるから、ほんとう大変」
笑いながらマイラが言い、おもむろに居間の床板を剥がしにかかる。
驚いている間に板が剥がれ、地下への階段が姿をあらわした。
(借家にこんなことしていいのかしら。絶対、後付だよね、これ)
ティアは自分の常識ではありえない光景を前にして思うのだが、口には出せなかった。余計なことを言って竜の子に会えなくなる方がまずい。
「この階段の下がシグの掘った地下室。竜の子は多分、あなたを待ってたんだと思うから。さ、行きましょ」
いつ点けたのか蝋燭の明かりを手にしてマイラが告げる。
急な土を固めただけの段差。幅が狭くてティアはともすれば転げそうになるも、下に回ったマイラが助けてくれる。
なんとか降りきった先に広がる狭い空間。
ど真ん中に据えられた黒い鋼鉄の檻の隅に猫ぐらいの大きさの生き物がうずくまっている。
「ピッ?」
ふさふさのたてがみのついた首をもたげる。キョロキョロと見回す素振りをし、青い瞳がティアを捉えた。
「ピィーッ!」
甲高い鳴き声を上げて、白い竜が飛び立つ。まだ短い翼を懸命に羽ばたかせて、勢いよく檻に身体をこすりつける。
「ちょっと!私が声かけてもまったく動かなかったのに現金ね!今、扉を開けるから大人しく待ってなさいなっ!」
苦笑いしてマイラが竜の子に文句を言う。
ティアも待っていられなくて、格子の合間から手を伸ばし優しく首筋を撫でてやる。
竜の子がしおしおと地に降りると、自分もしゃがみ込む。
ガチャガチャと耳障りな音が続く。錠前にマイラが鍵を差し込んで回そうとしているのだが、上手くいかないのだ。更に『もう、シグったら、なんでバカになってる鍵を持ってきたのよ。ぶっ壊しちゃおうかしら?』などと悪態をつき始めている。
「良かった、大丈夫だった?」
ティアは格子越しにおとなしく撫でられるがままの竜の子に語りかける。
しばしして、ガチャンッと音を立てて錠前が開く。
「今日一番疲れた。なんなのよ、この鍵。こんど油差しとかなきゃ」
まだマイラが鍵の文句を言っている。道具が上手く動かないと気がすまない性分らしい。
だが、ティアと竜の子にはどうでも良いのだった。
「ピィ」
弱々しく鳴く幼竜。
ティアは自ら檻の中に入って、小さな体をぎゅっと抱き締める。
何をすればいいのかは分かっていた。
(この子は私を待ってた。助けも求めてて。親もいなくて)
だから自分は親代わりなのだ。
ティアは魔力を両腕に集めて、ヒールという形で流し込んでいく。
「不思議ねぇ、ほんと」
檻の格子に寄りかかってマイラが呟く。
どれだけ魔力を注ぎ込んだのか。
(疲れた)
ティアはほうっと一息つく。覆いかぶさるようにしてヒールをかけていたのだった。若干背中も痛い。
元気を取り戻した幼竜が調子に乗って飛び回る。
(この子は私の魔力を食べてる。それで私が)
竜という生き物がどう育つのか。まだ謎が多いのだとはティアも調べて知っている。
「ピッ、ピッ、ピィーッ」
楽しげに拍子を取って鳴きながら、また自分の顔に飛びついてくる。
「もう、ほんとに甘えん坊なんだから」
さすがに顔への密着は苦しい。ティアは、幼竜をその脇から掴んで抱っこにしてやった。
神竜という感じが逆にしてこない。
(そもそも、私にとってはどうでもいい、そんなの、本当は)
また背中を撫で撫でしながらティアは思うのだった。
自分にとってはただ可愛らしく、たてがみのふわふわした生物である。
(余計なことでかえってこの子が酷い目にあうくらいなら)
思っていて、ふとティアは気付く。
「あっ、そうだ。あの、怖い人いない、今ならお外にだって」
ティアは遠慮がちにマイラに切り出した。あまり調子に乗って図々しいと、怒らせて今度は自分ごと檻の中かもしれない。
「えぇ、いいわよ」
危惧に反して、マイラが快諾してくれた。
「やっぱりね、孵してくれた人がママなのよ。また、正式に出してよくなるまでは、戻って貰うことにはなるけど、今日ぐらいは」
これがマイラにとっての線引きらしい。
ガウソルの監視下にある限りは基本、幼竜の居場所は檻の中なのだ。
辛く悲しい気持ちにまたティアは襲われるも、こらえた。
(マイラさんがこうしてくれるだけ、マシなんだから)
そもそものガウソルが許せないものの、確かに今はどうしょうもない。
ティアは竜の子にも笑顔を作ってみせた。
「分かりました。ね、お外を見せてあげる。あなたが驚くぐらい広いの」
自分たちのこの選択が裏目に出ることをティアはこのときはまだ知る由もなかった。