45 一人残されて
外で子供たちが遊んでいる。
ティアは治療院の診察室から向かいの公園を眺めていた。ティダール地方では5日に一度、『眠りの日』という休養日が定められている。学校なども休みなのだ。
ただ、治療院だけは逆に当番制で、開けておいている。いつもどおりなら人の動きが活発になる分、けが人も多いからだ。故に治療院では、当番勤務のヒーラーたちが眠りの日の翌日を休みとされていた。
ティアは今日、当番なのである。
「今日は静かで寂しいわねぇ」
事務職員のレンファがやってきて告げる。水色の髪を背中側で一つ縛りにしていた。今は昼休みであり、ティアのところへお喋りに来てくれたのである。
「いつもなら、もう来ているものね」
続けてレンファが言う。
話しているのはリドナーのことだ。2日続けて、やってこなかった。ティアが山岳都市ベイルに来てからは初めてのことだ。
(逆に今までが来過ぎだったんだけど)
ティアも寂しさを覚えつつも苦笑いしてしまうのだった。
「彼、今、頑張ってるんです」
微笑んでティアは答える。
シャドーイーグルという恐ろしい魔獣が群れで出たのだという。危険で重大な業務についている。だから自分も頑張らなくてはならないのだ、と言い聞かせていた。
「鳥型の大きな魔獣だから、とても危ないのよ」
レンファも相槌を打つ。
守備隊の名で警戒報も出されていた。
山岳都市ベイルは他の都市よりも城壁も強固なのだが、飛来されては意味をなさない。かつて王都デイダムも飛竜に対して同様だったのだという。
(リド、大丈夫かな。心配)
いかにリドナーでも頭上から降下してくる敵の相手は難しいのではないか。自分を庇ったからだとはいえ、ドクジグモの攻撃も樹上からだった。
「ごめんごめん、大丈夫、リドナー君は強いから」
心配が顔に出てしまっていたのか。レンファが危ないと言っておいて、すぐに力づけてくれた。
「そうですよね。マイラさんと剣の稽古してるときも、目で追えないぐらい速くて」
ティアは笑顔を作って告げる。
ほとんど勝ててはいなかったが、動きが卓越しているのはティアにもよく分かった。
「あぁ、あの人ね」
マイラの名前を出されて、レンファが露骨に嫌な顔をする。
「えぇっ、レンファさんもなんですか?」
ティアは半ばうんざりしながら告げる。同室のネイフィも話をうっかり振ろうものなら、グチグチネチネチと始めるのであった。
(あんな人のどこが良いのかしら)
ティアは思わず首を傾げてしまう。酷い扱いしか自分はされたことがないのである。
「そりゃ、ベイルの街じゃ憧れの的よぉ?それなのに、昔の知り合いだかで図々しいったら、ないわよ」
ネイフィとまったく同じことをレンファが言う。
多分、皆、遠巻きに見ているだけだから良いのだ。
(山とおんなじ。遠くから見てる分には良いけど、近づいたら登るの大変)
我ながら上手い喩えだ、とティアは微笑んでしまう。
「戦友だそうですけど、でも、苦労もしてるみたいですよ」
細かいところを伏せて、ティアは言うに留めた。
頭の中では別のことを考え始める。
(あの子、大丈夫かな)
白くて可愛い、あの幼竜のことである。本当はいつまでもただの『幼竜』ではなく、名前もつけてあげたい。
(リドが、無事だよって教えてくれたけど)
マイラが教えてくれたのだという。
さすがに理不尽すぎるガウソルの所業を前に同情してくれていて、幼竜の消息をリドナーに教えてくれるようになったのだ、と。
ただ、リドナー本人もシャドーイーグルの捜索に出てしまい、またティアには情報が入らなくなった。
(でも、元気は無いって)
ティアはレンファから受け取ったハムサンドを齧りつつ思う。
レンファもハムサンドを食べながら自分を見ていた。目が合うと苦笑いだ。
「元気ないわね、大丈夫?」
笑顔に心配を滲ませて、レンファが尋ねてくる。事務の仕事をしながらもヒーラーたち、一人一人を実によく見ているのだとティアもわかってきた。
ただ、そんなレンファにも、同室のネイフィにも幼竜のことは話していない。
「大丈夫です、ごめんなさい」
ティアは微笑んで告げる。ちゃんと力を込めて笑えただろうか。
「そう?ここ何日か元気無いみたいでネイフィも心配していたわよ」
あまり上手に笑えていなかったようだ。
さらにはネイフィにまで心配をかけているのだというおまけつきである。
「お仕事、だめでしたか?」
ティアも自分なりに危惧はしているのだった。苦情も何も直接負傷者や患者からは言われていない。言われないようにもしているのだが。他人から見てどうなのか。
「ううん、そこは大丈夫よ。いつも頑張れてると思う。ただ、ふとした時に何か上の空に見えるのよ」
レンファの言う通りだった。ティアにも自覚はある。
(今なら、会えるかもしれない)
それでも例えば今のように幼竜に関する思考が唐突に割り込もうとしてくる。
リドナーの話ではガウソルも森の中に張り付けなのだそうだ。家も空けて、マイラに任せきりで。
(そうだ、マイラさんもあの子のことでは私に味方してくれてるんだし)
あれだけガウソルに惚れ込んでいてなお、味方できないぐらい酷い扱いなのだった。
地下に檻を置いて閉じ込めているのだとも。
(本当に酷い人、まだ、あんなに小さいのに)
思うにつけてティアは居ても立っても居られなくなってしまう。
パチンッ、と顔の前で手を叩かれた。
「あっ」
ティアは驚いて我に返る。
気付くとまた、じとっとした目でレンファが自分を見ていた。
「ほら、お話してたのに、また、すぐに上の空」
コツン、と頭を優しく叩かれてしまった。
「ごめんなさい、もっとちゃんとします」
ティアは素直に謝るしかなかった。
どうにも卵を孵してからというもの、落ち着かないのである。ライカの言う通り、魔力を通したことで何か繋がってしまったのではないか。
「いいのよ、でも、相手もあるお仕事だから無理をするぐらいなら素直に不調は教えてね」
レンファが言い、更に二言三言、交わしてから診察室を後にした。
綺麗な姿勢の良い背中を見送りつつ、ティアは残りのハムサンドを食べきってしまう。息を1つつく。
(本当にあの子と私は繋がっていて、この落ち着きのなさは。そして、私はあの子の辛い状況を知っている)
ティアは食べ終えてから午後の診察が始まるまでの間、考え込んでしまう。
(あの子が私に助けを求めているんだわ)
だが、怪我や病気で困っている人も見捨てられない。それぐらいの理性はしっかりとまだ、働くのだった。
(明日、行ってあげよう。絶対に)
ガウソルもいない、自分も休みという好機を活かそう、とティアは決意するのだった。