43 マイラの暗躍
ガウソルが家を空けがちになった。
(別に嫌われたわけでも、浮気でもないから、別にそれはいいけど)
マイラは一階部分の掃除を終えて思案する。手にはハタキ、腰には長剣を差していた。正午を少し過ぎたぐらいの時間である。
シャドーイーグルの目撃があったのだという。自分も戦ったことのある厄介な魔獣だ。強いのではない。厄介なのである。
(守るって立場だと、ね。シグも私も倒すだけなら簡単なんだけど)
頭上から降下してくる速度が尋常ではない。一羽一羽を相手にするのでも、鋭い爪や嘴が一般人には恐ろしく、致命的だ。さらには十数羽の群れを作る嫌な習性もあった。
(シャドーイーグル、人を守る立場だと面倒くさくて大変な相手。シグもそれはよく分かってる)
だから、文句1つ言わずガウソルも、連日に渡る森での哨戒任務に従事しているのだろう。今は守備隊をあげて、町へ近づく前のシャドーイーグルを、森の中で見つけて始末しようとしているのだ。
だが、一足飛びに街へ来てしまう可能性もかなり高い。だからマイラも武装しておくこととしたのであった。
(そして、問題はもう1つ)
マイラは地下室への階段を一瞥する。
(シグったら)
地下室には幼竜を監禁している檻が置かれている。終わったのはあくまで一階の掃除だけだ。
マイラは掃除用具を幾つか手にして階段を降りていく。
「ごめんなさいね。どうしてあげるのが一番良いのかしらねぇ」
檻の中、うずくまったままの幼竜にマイラは告げる。
自分が近づいても微動だにしない。ティアと引き離されてからずっと同じだ。まるで可愛げのない、『待っているのはお前ではない』と言わんばかりの態度なのだが。
(これって、相当まずいんじゃないかしら)
マイラは他人事のように思いつつ、檻の鍵を開けて中に入る。腹や背中が動いているから息をして生きているのだと分かるものの。
当初、ガウソルへの抗議で動かないのだとマイラは思っていた。今は少し考えが変わっている。
(多分、動かないでおいて、力の浪費を少しでも抑えようとしてるんじゃないのかしら)
いつも清潔さを保つようにはしている。どうにもならないのが食事だった。
(魔獣の生肉なんて食べるわけないでしょ。シグのお馬鹿)
マイラは心の内で毒づいた。
孵化してから何も食べていない。何を食べさせれば良いのかも分からなかった。
仏頂面でガウソルがどこで調達したのか。魔獣の生肉を本当に持ち帰ってきたのだが、早晩腐らせることになるのが目に見えているので、やめさせた。
(かといって、人間と同じ物を食べるわけもないし)
マイラは苦慮しているのであった。動かないのではなく、動けないほど、この幼竜は切羽詰まっているのではないか。
せっかく生まれてきたというのに、神竜である可能性もある、小さな命が危機にひんしている。
(でも、私も竜の子の世話の仕方なんて、分かんないし)
困り果てたマイラは昨夜、手紙を一通したため、午前中に郵便へと出したのである。
「終わったわ、せめて、住んでいるところぐらいは綺麗にしてあげたいけど」
一通りの掃除を済ませてから、マイラは地下室を後にする。声をかけても幼竜の動きはなかった。
せっかく鍵を得たのだから、と外に出してやろうと思ったのだが。
(動かないのか、動けないのか)
檻を開け放って声もかけてみたのだが、やはりまったく動かないのであった。
(私じゃ、どうにもならない。それはなんとなく、察しはついてるのよね)
卵を孵したのも、そもそもティアなのである。
(大聖女レティ様の妹、やっぱりただ、祈らない落ちこぼれなんかじゃないんだわ)
自分も大聖女レティを失ってからティアには見向きもしてこなかった、という忸怩たる思いはあった。気がついたときには落ちこぼれ、ということになって、追放されていたのである。
神竜を復活させた少女ともなれば一気にその評価を覆すことになるのだ。遅ればせながら可能な範囲で力を貸してやりたいと思う。ただし、ガウソルと揉めない範囲で、だが。
(でも、今はシグが意地張っちゃってるから、話が全く進まないのよねぇ)
頑ななガウソルを目の当たりにし、ティアとリドナーも行動を開始している様子ではあった。
苛立たしげに昨日、ガウソルが幼竜を眺めていたので分かる。守備隊で何か言われたのではないか。神竜かもしれない竜ともなればティダールの有力者たちも興味を示す。一刻も早く確認の上、公にしたいはずだ。
(今ならまだ、違ったとしても傷は小さいし)
ガウソルの協力があれば全てが丸くおさまる。
たとえ不興を買ってでも、リドナーたちに味方をしておいた方がガウソルの為になるのだった。
そのリドナーが帰ってきて、階段を上がる足音が響く。
昨日、夕方に出勤していたのをマイラは確認している。夜勤明けだろう。
「お帰りなさい」
マイラは家の外に出て、リドナーの背中に呼びかける。
「あ、マイラさん」
リドナーが複雑な顔をする。
果たしてマイラが自分たちの味方なのかどうか。判断がつかないのだろう。
「お疲れ様、シグはまだ、仕事よね?」
恋人の勤務ぐらい頭に叩き込んでいる。マイラはあくまで確認のために問う。
「何か用ですか?」
硬い顔でリドナーが訊き返してきた。
警戒心と竜の子の安否を尋ねたい様子とがないまぜだ。
「竜の子なら動かない。生きてはいるんだと思う。息してるみたいで、お腹とか動いてるから。でも、ティアちゃんと離されてからずっと同じよ」
ゆえに、マイラは竜の様子について教えてやった。
「いいんですか?隊長、怒るかもしれませんよ」
リドナーが驚きで目を見張り、直後、怪しんできた。
(無理もない、わね)
リドナーたちから見れば自分はガウソル側の人間だ。
「私もあの竜から邪悪な気配は感じない。なんでもね、好きだからって賛成してればいいってもんじゃないの」
未来の養子にマイラは諭すように告げた。
自分の感覚にマイラもそれなりに自信を持っている。
(あれが神竜だと思う。そして、ティアさんとも繋がっているなら、将来、シグの立場はまずいことになる)
おまけにティアが勘当されたようではあっても公爵令嬢だったこともまた、不利に働くかもしれない。
「竜のこと、教えてくれるためにわざわざ出てきてくれたんですか?ありがたいけど。でも、それなら、隊長をなんとか説得してくださいよ」
口を尖らせてリドナーがもっとなことを言う。
「怒ってるシグに正面から話してもだめよ。あなただって分かってるでしょ?」
マイラは苦笑いして告げた。リドナーにも分からないはずはないのだ。まして、ガウソルに嫌われないことがまず大前提なのである。
「私もシグを探すために、ティダール中を飛び回っていて、人脈も出来たの」
訝しげな顔のリドナーに対し、マイラは切り出した。
かつて自分はガウソルが身を寄せるなら甲冑狼であった経歴から、魔術師の元だろう、と思っていたのである。だからティダール崩壊後、片端から魔術師に会っていたのだ。
神竜の神殿で神官をしていて者もいた。手紙を出した相手でもある。
(手紙には神竜様の御子が生まれたって言い切っちゃったけど、ご愛嬌よね)
興味を引くためには多少の大袈裟は許される、とマイラは判断したのであった。
「神竜についても分かりそうな人にね、ことのあらましを伝えて助力をお願いしてるの」
マイラは肩をすくめて告げる。
「俺たちに味方して、助けてくれるってことですか?」
確認の仕方がまだ若い。思わずマイラは笑みを浮かべてしまう。
「私とシグのために決まってるでしょ。私の方で専門家に見せてシロクロつけたほうが早いの」
ガウソルの立場のこともあるし、水入らずの同棲生活に神竜とはいえ、幼竜が邪魔だという本音もあった。
「俺たち、しばらくシャドーイーグルの捜索で出ずっぱりになります。隊長もしばらく帰れない時期が続きます」
ためらいがちにリドナーが切り出した。いずれ、自分もガウソルから伝えてもらえるに決まっている内容なのだが。
「すごく寂しがってるから、ティアちゃんを神竜様の御子に会わせてあげてください」
リドナーから懇願された。
「いいわよ」
すんなりと了解してやると、またしてもリドナーからは驚いた眼差しを向けられる。
「私もまた、ティアさんと竜の子とのつながりを確認したいから、ちょうどいいわ」
こうして、マイラはガウソル不在の間に、とてもガウソルから嫌われている少女を家に上げる約束をしてしまうのであった。




