42 守備隊隊長ヴェクターとの面談
山岳都市ベイル守備隊本部は街の中腹部に位置する。いざとなれば本部から応援の隊員を街のどこへも急いで送り出すための立地なのであった。
山岳都市ベイルの中では広い練兵場に営舎が5つ並ぶ。中心の営舎が一際大きく、事務職掌も司り、その一室が守備隊長の執務室である。
(本当にこれでいいのか?いや、他に無いよな)
象牙色の外壁を目の当たりにするとヒックスはいつも漠然とした緊張感に襲われる。自問自答しながらも用向きを告げて、隊長への面会を求める。
いつもどおり、ほとんど待たされることなく、通された。
「ヒックスか」
色白だが、風雪を感じさせる厳しい顔の男性。執務室で机を前に座っていた。白髪交じりの短髪と相まって厳しい印象を人に与える。
守備隊総隊長のヴェクターだ。
(かなり唐突な来訪だと思うんだが)
驚いた様子のないヴェクターに対し、ヒックスは訝しく思う。
何のことだかと言わんばかりの顔だ。
「すいません。どうしても報告と相談をしておきたいことが」
緊張しつつもヒックスはヴェクターに切り出した。
第26分隊では年長者の方だが、ヴェクターも40過ぎであり、さらには先輩なのだ。もっと若い頃には散々に怒鳴られている。
射すくめるような眼差しも変わらない。あの、ガウソルに正面から意見できる数少ない人間でもあった。
「その前に、先日の魔獣討伐、よくやったな」
あらゆる褒め言葉の前に、ヴェクターからの褒め言葉をもらった。
「悩みのタネだったドクジグモに外縁部に出てきた大物。いずれも見事だった」
笑顔を作ってヴェクターが告げる。鋭い容貌に、いかにも作られた、という笑顔であるため、ヒックスは褒められた気がしなかった。
「ガウソルの奴はどうだ?」
更に話題がガウソルへと飛んだ。
自分がしたい話がまるで出来ない。
「相変わらずです。外縁部じゃ、俺らが寝てる間に手強いのを間引いてたみたいで」
心の内でため息をつき、ヒックスは答えた。
分かる範囲でガウソルが独自に倒した魔獣も報告してある。ガルムトカゲの他、グライタイガーなどという奥地の大物も仕留めていたようだ。
(あんなもんが、ベイルの近くに出てりゃ確かにオオゴトだったな)
ガウソルの有用性を改めてヒックスは認識するのだった。
「そうか。ヒーラーの小娘と何やら揉めている、なんて感心できない噂もあったんだが」
ティアのことをヴェクターが言っているのだと、ヒックスにはよく分かる。知らないわけもない。治療院にも伝わってしまっただろう。
いつもは多少不満があっても適当にガウソルもヒーラーには高評価を送っているのだが、今回は『可もなく不可もなく』などと言っているのだから。
(治療院の方は腕の良いのを送り込んだ気のところだろうから。一応、取りなすつもりで、俺から報告書は出しておいたんだが)
リドナーの解毒以外はそこまで派手な働きではなかったが、よく頑張ってくれていた、と思う。可憐な見た目とは裏腹に行軍にも、しっかりついてきていたのだから。
(すーぐ疲れた、なんて泣き言ばかりのやつがしょっちゅうだってのに)
ヒックスも苦笑いするのであった。
「どうやらヒールしか使えない、なんてのが気に入らなかったみたいですが」
怒鳴っていた内容は一応ヒックスも聞いている。
「そんなの、大概のヒーラーはそうだろう?」
至極、もっともな指摘がヴェクターからは飛んでくる。
「まぁ、そのティア嬢へのガウソルからの評価には異議申し立てがライカからは届いてる」
無表情にヴェクターが言い放つ。
治療院院長ライカと守備隊隊長ヴェクターとは夫婦関係である。
妻から正規の異議申し立てを受ける、というのはどういう気持ちなのだろう。思わずヒックスは想像してしまった。
(ま、俺とユウリの間じゃ考えられないな)
自らの家庭環境と比較して、ヒックスは勝手に惚気けるのであった。
「ティア嬢のことも考えて、俺の方からも報告書を送っておいたんですが。駄目でしたか?」
代わりにヒックスは尋ねた。仲間を助けてくれた相手だ。ヒックスも悪い感情はない。
「あれのおかげで、守備隊宛の抗議じゃなくて、ガウソル宛なのさ」
破顔してヴェクターが言い切った。
役には立てたらしい。ヒックスはホッと胸を撫で下ろす。
「だが、それも少し古い話でな。今度はこんな依頼が来た」
1枚の書類をヴェクターが座ったまま差し出してきた。
受け取ってヒックスは目を通す。ティアの孵した神竜を引き渡すよう求めるものだった。個人のことではなく、山岳都市ベイルどころか、ティダール全体のことだから協力してほしいという。
(そりゃそうか)
驚くよりもヒックスは納得していた。
目撃していたリドナーが自分に相談をしている。卵を孵した張本人であるティアも信頼できる相手に相談をしていて当然だ。ティアにとっては治療院の院長ライカがその相手だったのだろう。
「あまり驚いていないな」
ニヤニヤと笑ってヴェクターが言う。
「普通、神竜の段階で相当驚くと思うんだが」
どうやら自分の反応を面白がっているようだが、特に後ろめたいこともないのであった。
「リドナーのやつから、ティア嬢のこれについて相談を受けたんですよ。今回伺ったのは、俺もこの話をしたかったからで」
自分も当然、隠すつもりはないのだった。むしろ、いくつかの段階を話す手間が省けて良かったと思う。
「あぁ、あの剣の上手い若手か。ガウソルの養子で、確かティア嬢と交際し始めた、とか身上報告が上がってきてたな」
数百人いる守備隊の中でヴェクターから覚えられているだけ、やはりリドナーも腕が立ち評価も高いのである。
「で、お前はどう思う?」
無造作にヴェクターが尋ねてくる。
「難しいでしょう。個人の権利ってもんがある。ガウソル隊長の所有権ってのも守られなきゃ、ティダールは無法地帯だ」
腕組みしてヒックスは答える。裁判長ウィマールという厳格な人物も山岳都市ベイルの司法にはいるのだ。
「卵を孵したから竜の子もティア嬢の物ってことにはならないでしょう」
現在はリベイシア帝国の法律でティダールも治められているのだが。いずれにせよ、個人の所有権は守られている。
「だが、治療院の言うことももっともだ。ティア嬢やリドナーの話どおりヒールで孵ったんなら普通の竜じゃないぞ」
ヴェクターが指摘する。
可能性が少しでもあるのなら、正式に検査をしてみたいというのが、治療院や守備隊の希望なのだろう。
(そして、普通なら、この依頼には応じるんだが)
ヒックスにもよく分かっていた。ティアが絡む以上、ガウソルからの了解も得られない。
だから治療院として、まずは依頼してみてガウソルの出方を見た。少しずつ取れる範囲で取れる手段を強めていくつもりなのだ。
「それでも神竜様だとして、ティア嬢の物じゃない。卵を孵したことと、これからの対処は別問題。あくまで彼女は情報提供者の扱いじゃ?」
強いて言えばもし神竜ならばティダール全体のものであるべきだ。
「ライカのやつは、どうも、その神竜にティア嬢が必要だと考えている感じだ。卵を孵したから、何か関係がある。この後の成長にも」
ヴェクターもまた悩ましげに言う。魔術についてはライカの方が詳しい。分かりきったことだ。
2人で腕組みしたまま沈黙してしまう。
「とにかく、ガウソル隊長から竜の子を取り上げて、元神官とかそういうのに見せないと何も分からず動きも取れねぇですよ」
ヒックスは嘆息して告げた。ティアが絡んでいるから、尚の事、ややこしくなっているのだ。
「そうだな。まず専門家だけは手配しておいて。あとはあの頑固者を説得しよう」
ヴェクターも考えがまとまったらしく頷いた。
だが、ヒックスも頷いて辞去しようとしたところ、手振りで呼び止められた。
「だが、もう1つ、厄介なことがある」
机の引き出しを開けて、灰色の羽を取り出した。
ヒックスも見たことのある羽だ。
「そいつは」
嫌な感情を隠すこともできない。
「お前たちの後に魔獣討伐に入った分隊が外縁部で見つけてきた。シャドーイーグルの尾羽根で間違いない」
シャドーイーグル、極めて厄介な魔獣だ。あまりの事態にヒックスは絶句するのであった。