41 護りたいもの
ヒックスは宿直につき、丸一日勤務して、翌日の昼前に帰宅した。山岳都市ベイルの中腹にある小さな戸建ての住宅だ。月賦で返済している借金で立てたものである。妻と自分、それに10歳の長男と3人で暮らしていた。
(あぁ、ねみぃな)
泊まりの夜勤を終えた後である。朝方には仕事終わりということになっているが、定時に帰れたためしはない。残務を片付けていると、大概、昼頃の帰宅となってしまう。まして、あのガウソルの下支えをしているのだ。
「ただいま」
疲労を感じつつも、ヒックスは挨拶を欠かさない。夫婦同士、そして家族での決まり事だった。
「お帰りなさい」
妻のユウリが出迎えてくれた。紺色の髪の、自分より5つも若い女性だ。いつも早めの昼食を自分の帰宅にあわせて準備してくれている。白いエプロンを身に着けたままだ。家の中からはいい匂いもしてくる。
「まったく、身体に堪えるぜ、夜勤は」
ボヤきつつヒックスは靴を脱ぐ。ガウソルの体力が羨ましい。数年の付き合いになるが、疲れた顔など見たことがなかった。
「ご飯食べて、少しお昼寝しなさいな」
ユウリに言われるまま、ヒックスは食卓につく。
夜勤明けではあまり、重たいものを食べられなくなっていた。ユウリも分かってくれている。魚と野菜のスープにパンである。
(さーて、どうしたもんかな)
黙々とスープをスプーンで口に運びつつヒックスは思案した。
当然、今現在の悩みのタネはガウソルと神竜のことだ。
(さすがに手に余るな)
本当に神竜だとしたら大事件であり、本来は眉唾物なのだが、相談してきたのがリドナーなので案外事実なのかもしれない。ティア絡まりのこと以外では今まで至って真面目だった。
(だが、本件は若干、そのティア嬢も絡むんだよな)
自分の恋人が凄いことをした、と思い込みたがっている可能性もないではない。
(ないでもないが、そんな感じでもなかった)
取調室でのリドナーの様子をヒックスは思い返していた。おかしなところは特段、なかったように思う。
「どうしたの?悩みごと?」
いつもどおり、対面に座って自分の食いっぷりを眺め、微笑んでいたユウリが訝しげな顔をしていた。
「仕事のことでな、ま、自分でなんとかするさ」
さすがにユウリにも相談の出来ることではなかった。そして、本当は仕事のことでもない。
「それより、ロイは?」
10歳になる息子のことをヒックスは尋ねる。
「学校よ。今日も元気に行ったわよ。また、友達と遊んでから帰ってくるんだろうから、夕方まで静かじゃないかしら」
微笑んでユウリが答える。
机に座って勉強するよりも、外で友達と遊び回っているような子供だ。子供らしくて良いと思う。
「最近は魔獣の動きが活発だ。必ず暗くなる前に帰ってくるよう、言っとかないとな」
パンを齧りながら、ヒックスは告げた。
もし、神竜だという幼竜が成長したなら、山岳都市ベイルももっと平穏になるのだろうか。暗くなっても魔獣だけは心配しなくとも良いように。
(長い目で見りゃ、当然、隊長よりも神竜様のほうが。長年、ティダール全体を守っていた、存在なんだからな)
ヒックスは思案していた。
食事も終えている。
(もし、ガウソル隊長か神竜様かを選ぶことになったら?)
大型の魔獣も、ときには魔王級の強力な魔獣も単独で倒してしまうガウソルだ。他に変えがたい人材ではあるが、神竜に至っては人々の心の拠り所だったのだから。
「ええ、私からも言っておくけど」
ユウリがたおやかに微笑んで自分の後ろに回る。座ったままの自分を優しく抱擁してくれた。
「何だ、どうした?」
突然の愛情表現を内心喜びながらヒックスは尋ねた。重たい考え事をしていると、なんとなく察して力づけようとしてくれているのだ、と分かる。
「お疲れ様、いつも。どこぞの誰かさんみたいに超人でもないのに。街を守ってくれてる、大事な人」
耳元で囁かれた。
ヒックスも座ったまま身をよじると、華奢なユウリの肩をもっと抱き寄せる。
ロイが生まれてからはこうした露骨な愛情表現もお互い限られた機会にしか出来なくなっていた。
「ロイは元気な子だから。時々すごく心配だけど。私もよく気をつける。だから、あなたも戦いの時、よく、気をつけてね」
城壁の内側にいれば山岳都市ベイルでの暮らしは基本的には安全だ。そのために自分たちも魔獣を駆逐して回っているのだから。
(だが、最近は大型の魔獣が多い。良くない傾向だ)
ヒックスはネブリル地方外縁部での先日の魔獣討伐を思い出すにつけ、楽観は出来ないのであった。
そのまま夕刻まで寝室で昼寝をしてから、また居間に戻る。
「お父さん、お帰りなさい」
自分と同じく赤毛の少年が飛びついてくる。夜勤明けの日には少し甘えてくるのだった。
日頃は逆に生意気に感じることも増えてきているのだが。
(ま、子供は元気で生意気なくらいが子供らしくて良いさ)
ヒックスはロイの頭を撫でてやりつつ思う。
台所ではユウリが微笑んでいる。
「お父さん、戦いのお話してよ。魔獣との。今回はどうなったの?」
好奇心をあらわにして、夕飯の席でロイがせがんでくる。
自分は弓手でもあるため、いつも後ろめに構えているのが常だ。だから客観的に見られている部分も、報告書を書けているという側面もあった。
頭では別のことを考えつつ、口ではヒックスもロイに魔獣の話をしている。
(朗報には間違いない)
5年前の邪竜王による王都デイダム襲撃。神竜を失い、王族も逃げて今はどこにいるかも明らかではない。ほぼ亡くなってしまったのだ、と聞く。
山岳都市ベイルも当時、それどころではなかったものの、王都の事態を知ってヒックスも気が沈んだ。
それまで回復魔術を使えた者が、急に使えなくなったので治療も逼迫した。そして、ある日を境に、ティダール王国だったものが急遽リベイシア帝国の傘下ということにもなって。
(そして、今も続く)
山岳都市ベイルの情勢はネブリル地方に悩まされこそすれ、政治の面では比較的に穏当な方なのだった。
ロイを就寝させ、ユウリとともに床につく。枕の上でヒックスは考え続けていた。
(リドナーが俺に相談してきたのは、守備隊の上層部にかけあってほしいから、だな)
第26分隊の隊長はガウソルだが、実際の業務を事実上、こなしているのは自分だ。平隊員の身で便利に使われている気もするのだが。
(隊長も、隊長なりに頑張っちゃいるんだけどな)
書類でも指揮でも細かい差配でも、頑張ってくれようとはしているのだが、今一つのところで間違ってしまうのがガウソルだった。判断する、思考する、ということがどうしようもなく苦手なのだろう。特に視野が狭い。
(で、俺か)
今も続くティダールの苦況を思うとヒックスも他人事とは思えなかった。
(俺に相談したってことは、リドナーもそういう覚悟を決めたんだな)
ティアの為なら養父のガウソルとコトを構えてでも、という覚悟だろう。場合によってはガウソルにも悪い影響が出てくるかもしれない。
(そして、俺は明日、夜勤明けだから休みと来てる)
こうして、翌日、ヒックスは山岳都市ベイル中心部にある守備隊の本営を訪れるのであった。