40 雑な扱いを前にして
「お帰りなさい」
マイラはガウソルを複雑な気持ちで迎えた。
朝、出勤する前に宣言していたとおり、肩には大きな檻を担いでいる。
「ただいま。あれは?どうしてる?」
ガウソルが軽く自分に抱擁して尋ねる。
(早速、あれ呼ばわりだなんてね)
親愛の情は何よりも嬉しい反面、居間の隅には、紐で縛り上げられた幼竜が転がっている。手放しで喜べなかった。
酷い扱いだが、ティアと引き離されたからか、特に鳴きもせず暴れもせず、何にも興味も反応も示さない。腹や胸の動きで辛うじて呼吸していると分かる。
『何をしてもしょうがない』と言わんばかりの、生まれてすぐに人生をあきらめたかのような姿で、かえってマイラは胸が痛んだ。
「とても、大人しかったわ」
マイラは言うに留めた。
何度、勝手に日中は紐を解いてしまおうかと思ったことか。
(逃したとしても、単独ではまだ、生きられない。生まれてきた経緯からして、多分、この子には聖魔力が要る)
自分も魔術を扱えるのだ。見ていてマイラには感覚で分かる。逃がすのであれば、リドナーやティア、その他ティダールの有力者への下話が必須だ。中途半端に逃がしてもすぐにガウソルなら取り戻せるのだから。
(せめて、処遇は、って思ったけど、紐だけ解いてあげるとか。でも、これ、結び直せないのよね)
何やら複雑な結び方をされている。昔の、甲冑狼のときに覚えた手法なのかもしれない。
「そうか、よし」
マイラの葛藤など意にも介さず、ガウソルが檻を担いだまま、幼竜を紐ごと物のように拾い上げた。
そして、そのまま、床板を上げて地下室へと向かう。
「ちょっと、シグ、地下に入れるつもりなの?」
マイラは後に続きつつ、思わず尋ねていた。驚きを隠せない。いくらなんでも可哀想だ。窓も何も無いのである。
「客が来て、見られてもちょっと、な」
気まずそうにガウソルも返した。
本当はガウソルも神竜だと思っているか、そうでなくても可能性ぐらいは頭の中をちらついているはずだ。後ろめたい気持ちがあるのなら、すぐにでも止めた方がいい。
「シグ、こんな小さいのに」
マイラは遠慮がちに切り出す。問題は甲冑狼のころから変わらない、ガウソルの頑固さだ。他の甲冑狼よりは遥かにマシだったが、やはり常人よりも遥かに頑なである。
「どうせ、すぐに大きくなるさ」
ガウソルが何食わぬ顔で返す。すでに地下への階段をほぼ降りきっている。
「足が身体の割に太くてがっしりしてる。こういう生き物はいずれ大きくなる」
話が竜の大小にすげ変わってしまった。話が変わったことで、ガウソルの罪悪感も飛散してしまったようだ。大失敗である。
「つまり、これはでかい邪竜になるかもしれないってことだ」
まるで言い訳のようにガウソルが言い足した。
『邪竜なら育てないほうが良いのではないか』とはさすがにマイラも言わない。本当に処理しよう、となりかねないのがガウソルだった。
(今、シグの近くで、この幼竜を見守れるのは私だけ。しかし、つくづく、私ったらなんて人に惚れちゃったのかしら)
最初はただガウソルといたいだけだった。思わぬことが起きて、今、こうなっている。
ティアはおろか養子のリドナーすら追っ払っている中、自分を置いてくれているのは、親愛の証だから素直に嬉しい。
(よくないかしら、私、シグの信頼を利用しようとしてる。でも、このままだといつかシグも後悔する)
純粋な好意に不純なものが混じり込んだように感じられる。
だが、ティダール全体の人々に関わるかもしれない、その規模の大きさを思うと、マイラも他人事ではないように思えて。
(リベイシア帝国の本土出身なのに、ね)
ガウソルが檻を直接、地べたに置いた。底面まで鋼鉄製で穴を掘って逃げることも出来ない。水平になるように少し四苦八苦してから、上手く固定した。
幼竜を放り込むべく、ガウソルが紐を解く。
(あっ)
幼竜が自由になるやガウソルの手を噛もうとした。ずっと動かずに隙を窺っていたらしい。
だが、不意討ちに即応できないガウソルではない。あっさり首根っこを掴まれ、檻に放り込まれてしまう。あまりに呆気なさすぎて、ガウソルの中では勘定にすら入らない反抗だった。表情一つ変えていない。
(良かった)
マイラでも噛みつきを回避して首根っこを掴んだガウソルの動きは目で追うのがやっとだった。
もし、噛みつきに成功していたなら、反射的にガウソルが何をしてしまうか分からない。
「一応、これは上に移すか」
甲冑狼の狂化装甲を担いでガウソルが呟く。
反抗に失敗した幼竜が檻の真ん中で力なくうずくまる。
「シグ、さすがに可哀想じゃないかしら。神竜様じゃないにせよ、邪竜と決めつけるのもどうかと思う。家に置いて育てるなら、もっと優しくしてあげないと」
階段を上るガウソルの背を追ってマイラは言う。
(むしろ、こんな扱いじゃ、どんな聖竜でも、人間を恨んで邪竜になっちゃうわよ)
マイラはガウソルの仏頂面を見て思う。
「とりあえず、檻に入れて、餌をやっとけば問題ないと思う。魔獣の生肉とか」
ガウソルが居間を見て、バツの悪そうな顔をする。
「また、食事も掃除も。済まない」
自分のしておいた家事には礼を言ってくれる。嬉しいのと神竜への対応のまずさにマイラは尋ねていた。
「いいの、好きでやってるんだから」
マイラは小声で告げる。目に入るのは甲冑狼の狂化装甲だ。
(わかってはいたけどね。シグは甲冑狼。私と出会う前に頭の中まで改造されてる)
人格に難が出ているのはそのせいかもしれない。一度思い込むと頑なになってしまう。
「檻の中も綺麗にしなきゃだし、少しは運動もさせてあげなくちゃいけない。ねぇ、生き物と暮らすって単純じゃないの。家事とおんなじ」
だが、マイラもガウソルとの交流はいろいろ想定してきたのだ。上手く操縦する自信はあった。
「邪竜にそこまでしなけりゃならんのか」
嫌そうにガウソルが言う。深く突き詰めて考えられないのもガウソルの欠点だ。
「当然、あなたは嫌でしょうね。なら、誰がやると思うの?」
マイラは穏やかに尋ねる。
「それは」
ガウソルが言葉に詰まった。自分では出来ないし、したくないのであろうと分かる。
「私がやるから。檻の鍵は私に預けておいてくれる?」
考えがあって、マイラも話しているのであった。
可愛いことにガウソルが逡巡する。自分に悪いと思ってくれているらしい。
「遠慮しないで。いいから」
マイラは左手の平を差し出して駄目押しする。
「すまん、宜しく頼む」
さすがに何も激高していなければガウソルも『死なせろ』とまでは言わない。
こうして、ガウソルから、マイラは幼竜を閉じ込めた檻の鍵を首尾よく勝ち取ったのであった。