4 治療院到着
リドナーに案内してもらって、ティアは無事に山岳都市ベイルの治療院へと辿り着くことができた。山下の町並みを一望できる坂の上に建っている、大きな建物だ。道向かいには広々とした公園もある。
真新しい白い外壁が陽光を弾き返す。ティアは見上げて目を細めた。眩しいのである。
「建て直されたばかりなんだよ、ここ」
微笑んでリドナーが教えてくれた。
とても人の往来が盛んだ。治療を受けに来る者、運び込まれる者、運び込む者。2人並んで治療院の入り口へと人の間を縫って近付く。
「邪竜王がティダールの王都を襲ったとき、ついでみたいにここもデカい熊の魔獣の群れに襲われてたんだって」
肩をすくめてリドナーが言う。すたすたと歩き、何食わぬ顔である。治療院にも一緒に入ってくる気なのだろうか。
「俺とガウソル隊長が5年前に移住してきた時は、守備隊もやられてて大変だったんだよ」
5年前といえば姉が死んだ時期でもある。なんとなくティアは俯いてしまう。
「その熊は?」
小さな声でティアは尋ねた。まだ近くに潜んでいるのだろうか。巨大な魔獣など、皇都育ちのティアとしては想像もつかない。
「ガウソル隊長が倒したよ」
さらりとリドナーが答える。当たり前と言わんばかりの表情から、ガウソルの実力がかなりのものなのだ、と戦闘には素人のティアにも伝わってきた。
(あの、怖そうな人)
自分のことをずっと睨んでいたような気もするのだが、今はそれどころではないのだった。新しい環境に飛び込んでいかねばならない。
木製の扉が来る者拒まず、と言わんばかりに開け放たれていて、2人で治療院へと足を踏み入れる。入って右手が待合室、左側が会計や受付窓口のようだ。人混みがひどいものの、天井から吊るされた案内のおかげでティアにも分かる。
(これの出番だわ)
持っていた鞄から手紙を1通、ティアは取り出す。
事の次第をしたためた紹介状を、ルディ皇子から授けられていた。良い内容ではなくとも、これからお世話になるのだから、自分の身元や経緯を知ってもらわざるを得ない。
「わ、私はここで」
ティアは紹介状を握りしめて告げる。
きっと、リドナーも忙しいはずだ。面倒な自分の世話から解放すべきである。
「あ、ティアちゃん、総合案内ってあるから、あそこじゃないかな」
リドナーがティアの言い終わるより先に言う。
手を引いて窓口前へと連れてきてくれた。水色の髪をした女性が『総合案内』と書かれた卓を前に座っている。ティアより年長の綺麗な人だ。
「あら、あなた、守備隊の人?何の用件かしら?」
リドナーの身に着けている紺色の制服を見て、女性が首を傾げる。
「この子、ヒーラーなんです。治療院に用件がって」
リドナーが自分の言うべきことまで告げてしまう。
ティアはしずしずと紹介状を水色の髪の女性に手渡す。受付の女性が受け取り、一瞬だけ目を見張り、すぐに元の表情に戻る。
「いろいろ不案内で、リドナーさんがご親切に案内してくださって」
自分のことなのだ。黙ってばかりで全てリドナーに言わせるのは良くない。ティアはリドナーと女性とを見比べて説明する。
「そう、ティアさんね。来たら院長室へ案内してって話はちゃんと聞いてるから。ここからは私が案内するわ」
水色の髪の女性が立ち上がる。
連絡が来ているということにティアはホッとした。
「私はレンファ、この治療院の事務員よ」
にこやかに微笑んでレンファがティアに手を差し出してくる。
遠慮がちにティアはその手を握った。
「リドナーさん?ここまで、うちの新人をありがとうございました。おとなしい子みたいだから、本当に」
レンファがリドナーにも笑顔を向けて言う。
「俺も一緒に行ってあげたいんですけど」
リドナーがティアをじっと見つめて告げる。案の定、やはり、ついてくるつもりだったのだ。厚かましいという感じをティアは受けず、憎めないのであった。
「治療院の内輪のことだから、さすがにご遠慮下さる?」
ただ、応対するレンファの笑顔が硬くなった。取り付く島もなさそうだ、とティアにも分かる。
「分かりました。また怪我して、ティアちゃんに治してもらおう」
とんでもないことをリドナーが宣言する。すんなりと引いているようで、まるで動じていないのだった。
「け、怪我しちゃだめです」
ティアは一歩、リドナーから離れて言う。
「じゃ、普通に遊びに来るから、またね」
おとなしくリドナーが手を振って去っていく。なんとなく名残惜しいような、不思議な感覚にティアは襲われた。
「あの、本当にありがとうございました」
リドナーがいなかったなら今頃どうなっていたか分からない。心から感謝してティアは告げた。
背中を向けたままリドナーが手を振って立ち去る。
「付き合ってるの?」
一連の流れを見ていたレンファが面白がって尋ねてくる。
ティアはブンブンと首を横に振った。
「今日、会ったばっかりです」
誤解だ。まして婚約破棄をされたばかりで、見知らぬ土地に来て、そんな余裕を自分は持てない。
「あはは、そっか、じゃ、行きましょう」
先に立って、颯爽と歩くレンファ。
ティアは鞄を手に懸命に後に続く。
歩幅が違うからか、レンファとの間に距離が開いてしまった。
高齢の男性を挟む格好となってしまう。ヒューヒューと音がした気がする。
「あっ」
前触れもなく老人の身体が崩れるように倒れた。
「えっ、ロンメルさんっ!」
振り向いたレンファが驚いて声を上げる。
胸を押さえてうめくロンメル老人。
ティアは鞄を放り出して駆け寄る。持病があるのだろうか。呼吸も浅く、苦しそうだ。
(助けなきゃ)
ティアは魔力を手に纏わせる。
「ちょっと、あなた、何を?待ってなさい、ベテランの子を連れてくるから。その人は」
言いかけたレンファが黙る。
丁度良かった。ティアは魔力をロンメル老人の胸に集中させる。
(何か、息するところに詰まってる。悪いものをどこかでいっぱい吸ったんだわ)
詰まっているものに魔力を流し込んで、ティアは少しずつほどいていく。
目に見えて、ロンメル老人の呼吸が正常に戻ろうとする。
自分のヒールは体の悪いものを癒やす。どれだけそうしていたのか。
ロンメル老人がパチリと目を見開いて自分を見つめる。
深く息を吸って、吐いてを繰り返すともう一度驚いた顔をした。
「こりゃ、驚いた。ずっと通院してるが、ヒーラーでも無い娘さんに治してもらえるなんて」
ロンメルの大きな声にレンファが驚いた顔をする。なんなら本人もだ。
「いや、声を出すのも楽だ。どういうことだ、一体」
ヒールを使っただけだ。そして治ったなら嬉しい。
ティアは笑顔をロンメル老人に向ける。
「良くなったなら、良かったです」
本当に治りきったのだろうか。もう一度、魔力を流そうとティアは思うも、レンファに手を引かれて歩いていた。
かなりの速さだ。怒られるのだろうか。思えば自分はまだ正規にこの治療院のヒーラーではない。
(通院してた、って言ってたもの。私、余計ごとしたんだわ)
引きづられながらしゅんとしてしまうティア。
しかし、どうやら違ったようだ。
「ロンメルさんの病気は原因も何も得体が知れなくて、息が詰まってるってことしか分からなかったの」
鼻息荒くレンファが説明してくれた。
「それをこんな、すぐに治しちゃうなんて、すごいわ。早く院長に会って、正規に手続きしちゃいましょ」
自分だって得体の方は知れていない。
ただヒールをかけただけである。
(でも、昔からそうだったかも。お姉ちゃんも、褒めてくれた。すごい、前だけど)
魔力で触れるとどうすれば治せるか感覚で分かるのだ。説明は上手くまだ出来ないのだが。
(そうだ、お姉ちゃん)
ヒールしかなぜ出来ないのか。唯一、姉が自分よりもすごいわよ、と言ってくれたからだ。
「私、あまり駄目だから、ノセてくれてるんだって思って」
レンファに聞こえないようにティアは呟く。
ここで役に立てるだろうか。
(ここでなら、私、神様に祈らなくても幸せに、自分の力で生きていけるかしら)
院長室の茶色い木製扉を見て、ティアは思うのであった。