37 落胆とリドナーの決意
「大丈夫かな、あの子」
ティアが俯いたままポツリと零す。
リドナーはそっと、その華奢な肩に手を置いた。
早々に追い出されたので、まだ日が落ちたばかりの道である。魔導街灯のおかげで、明るい主要通りを2人で歩く。
「さすがに直接、暴力は振るわないと思いたいけど」
リドナーも自信がない。そもそも反応自体が予想外だったから。
まさか神竜の幼体を実際に目の当たりにしていながら、認めない、などとは思わなかった。他にあんな白くて可愛らしい竜がいるわけもない。
(本来なら)
リドナーは思う。
(然るべき人たちに報告して、ティダール全体でお祝いして。新しく神殿作って、神官も戻して、成長を見守るべき存在なのに)
あろうことか、ガウソルに首根っこを掴まれて借家に押し込められている。
(相手がガウソルさんじゃなかったらな)
ティアを制止はする。ただ本来なら、代わりに自分が斬りかかって幼竜を救出するところだ。物理的には絶対に敵わないと分かっているから冷静に振る舞っただけである。
「あの人のとんでもない力で叩かれたら、まだ、小さいんだよ?きっと、ひとたまりもないよ」
心配そうに、ティアが言う。
魔力のことは分からない。だが、自分の魔力を注ぎ込んで孵化させた幼竜だ。繋がりのようなものを感じてしまう、というのは容易に想像がつく。
「そんなことはさせないよ」
リドナーは力を込めて宣言する。
(俺のティアちゃんがっ、孵した神竜様なんだからっ!)
かつてのティダールの象徴であり、聖なる魔力を長年に渡って供給し、ネブリル地方の魔獣に睨みを効かせてくれていた。
まして、孵化させたのは自分の恋人なのだ。
(可愛かったぁ)
嬉しそうにまとわりつく幼竜と戯れていたティア。自分はただ優しそうな微笑みに見とれているばかりだったが。
「いざとなれば、さすがにマイラさんが止めてくれると思うよ。ギリギリまでは放っておいちゃうかもだけど」
さすがのマイラもあのガウソルにはかなり呆れているようだった。リドナーもよく見てはいたのである。神竜の幼体ともなればティダール全体のことにもなりかねないから、ガウソルのためにも暴挙を制止はしてくれるはず。
ただ、ガウソルへの思い入れも相当だから、あるところまで放置しそうな気もする。つい、リドナーも中途半端な言い方になってしまう。
「じゃあ、やっぱり、あの子、かなり辛い思いしちゃうかも」
ティアを安心させることには失敗してしまった。
母親のような心境なのか。子供を放置せざるを得なくなって、まして、辛い思いをさせているかも知れない。リドナーは想像してみると気持ちもわかる気がした。
(くそっ、大丈夫だよ、ガウソルさんならって言い切れないせいだ)
魔獣討伐からティアへは理不尽を重ねていた。全面的には信頼しきれなくなっている。だから無条件で大丈夫だとは言えない。ティアもさらに落ち込む、という悪循環だ。
「なんとか、ならないの」
暗く沈んだ声でさらにティアが言う。
(本当に難しい)
リドナーも思い、歩きながら沈黙した。すれ違う人々の明るい顔すらも恨めしい。
(やったって、すごい、って思ったのに。これから全部もっと良くなるぞ、って希望も)
自分の気持を返して欲しい。ガウソル一人のせいで全部ひっくり返された。
当然、卵というのは基本、産んだ生物のものだ。だが、神竜が倒されて亡き今、続くのは見つけて回収してきたガウソルのもの、という理屈はリベイシア帝国でも旧ディダールの法律でも確かに成立する。
「本当に、どうしたらいいんだろう?」
ティアがたまりかねたように、大きな声で言う。周りへの配慮も消えかけている。何人かがティアに視線を送ってきたので、リドナーは睨みつけてやった。そそくさと逃げていく。
無理矢理、幼竜と引き離されたからか、今までになくティアも不安定になっている。
「今日のところは引き下がるしかないよ。確かにあの卵、ガウソルさんが王都から回収してきたものだし、突き詰めればガウソルさんのってことになっちゃう」
ティダールという国も、神竜の神殿も崩れ、神官らも散り散りになったから尚の事悪い。リベイシア帝国にとっては神竜の幼体などどうでもいいだろう。個人のものではない、という方便も使いづらい。
「あの子は生きてるんだよ、せっかく、長く卵で我慢して、やっと生まれてきたのに」
味方の自分に主張してもしょうがないことをティアが言い募る。
「それは正論だけど、今、言っても」
分かりきったことや言っても仕方の無いことを繰り返さないで欲しい。リドナーも今、どうしたらいいか考えているのだから。
だが、失敗だった。こういうときは、とりあえず、うんうんと頷いていれば良かったのかもしれない。
「なんで、リドはそんな冷静なの?あの子が心配じゃないの?他人事なの?」
すわった目で自分を睨みつけてくるティア。
激情を持て余している格好だが、それでもやはり可愛いと思っている自分に、リドナーはげんなりした。
結局、出会ってからまだ短くとも自分はティアがどうしようもなく好きなのだ。
(だったら、方針は決まってる)
とりあえずリドナーはティアの苦言をやり過ごすこととした。
ティアがただ八つ当たり気味に睨み続けている。
「神竜様の御子だよ?然るべき扱いが当たり前に必要だと俺も思う」
気持ちを込めてリドナーは切り出した。
よくよく考えてみれば、生まれた直後の幼竜がどの程度、生命力が強いのかもわからない。大雑把なガウソルの管理下というのは、かなり危険かもしれない。
(まず、本来ならどうなってたのか考えよう。で、そこに少しでも近づけるようにしなくちゃ)
少し考えて、踏ん切りがすぐにつかなかったのはガウソルにとってもまずいこととなりかねないからだ。
神竜というのはティダールでは信仰の対象であり、具体的な恩恵も齎してくれる。不当に扱い、乱暴に遇して監禁まがいのことまでしては、大きな問題だ。
「本人が何と言っても、見る人が見れば、神竜だってすぐ分かるよ」
リドナーは考えの一部を言葉に出した。
ティアが静かに頷く。
「誰かがあの子を見て、神竜だって言ってくれれば良いってこと?」
確認するように尋ねてくるティア。
「なんとなくだけど、あの子には私の魔力がもっと必要なの。また、ヒールかけてあげないと」
その辺のことについても専門家なら適切な指導をしてくれるはずだ。
(問題は俺にもそんな専門家への伝手、無いってことだ)
あるとすれば、今、悩みのタネになっているガウソルなのだが。
「まず、神竜様の御子が生まれたかもしれないって、ことの経緯を偉い人たちに報せよう」
リドナーは単純な手段しか思いつかなかった。
「偉い人?」
ティアが嫌な顔をした。おそらく元婚約者殿でも思い浮かべたのではないか。
「リベイシア帝国の偉い人じゃだめだよ」
リドナーは苦笑いである。
「俺はヒックスさんから始めて、頼りになりそうな守備隊関係の人を当たるから。ティアちゃんは、治療院のライカ院長あたりに」
単純だが一番効果的な方法にリドナーには思えた。少しずつガウソルの外濠を埋めていくのである。
「うん、分かった」
ティアがこくんと頷く。
(やっぱり、分かんないよね、今は)
リドナーは安心させようとティアの手を握りつつ思う。
山岳都市ベイルの有力者に、神竜が生まれたかもしれないと伝える。もし、神竜で間違いなければ、自分は養父のことを言いつけることになってしまう。
(いくらガウソルさんでも、かなりまずいかもだけど)
ティアと神竜、片やガウソルを天秤にかけたとして、今の自分にとっては前者の方が重いのだ、とリドナーは自分の内側を鑑みて思うのであった。