32 夕餉の席で
ここ数日、自宅に戻るたびガウソルは驚かされてばかりいた。日に日に味気のない借家がきれいになっていく。
「おかえりなさい」
エプロンを身に着けたマイラが出迎えてくれた。今日は灰色のシャツに青いズボンという落ち着いた出で立ちだ。肩までの長さしかない、茶色の髪を見つめていると、なんとなくガウソルは落ち着くのだった。
「ただいま」
告げる自分の声を信じられない気持ちでガウソルは聞いていた。
群青色の、私服代わりにしている軍服を、対して自分は身に着けている。甲冑狼のころ、支給されたものだ。
「お夕飯、出来てるわよ」
マイラがこともなげに言う。
居間のテーブルには肉の盛りつけられた皿とパンの籠とが並んでいる。テーブルにはクロスまでしてあった。到底、自分にはできない配慮だ。
「その、いつも、すまない」
申し訳なくなってガウソルは言いながら、つい財布を取り出してしまう。前に渡した食費と、今までの材料費やらクロスやらの費用は、どう考えても釣り合わない。
(そもそも作ってもらった手間にだって)
報いられるものは金ぐらいしか無い。それだって余裕のある方ではないのだが。
「本当にすまない」
ガウソルは財布からなけなしの金貨を出そうとする。
「いいわよ、別に。私、一緒にいられるだけでご褒美だから」
先に卓についたマイラが両肘をついて目を細める。
自分などのどこが良いのだ。一緒にいて楽しい相手だとも思えない。
(いや、俺は嬉しいし有り難いんだが)
だから拒むことすら出来ない。
「長年、探してくれていたって、言ってたな」
これだ、という言葉も思いつけないまま、ガウソルは言い、テーブルを挟んでマイラの向かいに腰掛けた。
「ええ、5年間、あの戦いからずっと。ルディ皇子の使い走りして帝国中を回ったのよ」
しみじみとマイラが言う。
「レティ様が亡くなって。今、思い返しても、あの邪竜王のとき、あれ以上のやりようはなかったように思うから、そういう後悔はないけど」
遠い目をしてマイラが続けた。
悲しみと後悔は別物だ。何も後悔することなどなくとも、悲しい結果などいくらでも訪れる。
「ギリギリの戦いだった。俺は山から落とされたが。あれも防ぎようはなかった」
ただ邪竜王が強かった。ガウソルも当時を思い出して言う。頭の血管が全部切れるのではないかと思うほど、無理矢理、力を引っ張り出して戦い続けたのだ。岩地の大熊ロックウォーリアーとの激戦すら遊びに思えるほど。
「あの尻尾はどうにもな」
気がついたら目の前に黒い尾が迫っていて。死ぬことこそなかったが、山から落ちて物理的に後衛から引き離されたのだ。
(仕切り直そうと思ったときには、全てが終わっていた)
ガウソルの瞼の裏には交錯する光の神聖魔術と闇の炎とがまだ、まざまざと残っている。
マイラも同様なのだろう。微笑んで頷く。こんな話を出来るのもマイラぐらいなのだった。
「えぇ、私も魔力を使い尽くしていて、かといってあなたほど前衛として役立てるわけでもない。さすがに邪竜王相手じゃ。魔法剣士だ、なんてね。中途半端なだけだった。当時の私」
話す内にまた笑みを引っ込めて淡々とマイラが告げる。話しながらフォークで自らの焼いた肉料理をつんつんとつつき始めていた。
(あれが、今なら勝てた。俺も強くなり、マイラも多分、相当、腕を上げた)
生きている今だから思えることではあった。
大聖女レティが相打ちになってでも、邪竜王を討ってくれたから、今が平和なのだ。ティア・ブランソンは理屈をこねるぐらいなら、少しでも姉に近づく努力をしてほしい。
「嫌ね。結局、私、愚痴っぽいこと言ってない?」
マイラがふっと笑う。まるで花開くかのような笑みで、束の間、ガウソルは見惚れた。
(なんで、俺は自分から探しに出なかった)
自分の方はそういう面では後悔している。
マイラの笑みが苦笑に変わった。
「せっかく、美味しい料理を作って待ってて。自分で暗い話してて冷ましたら、馬鹿みたいよね」
ガウソルも笑顔で頷いた。どうせ不器用な笑顔だ。自分でも分かるが、マイラが来てからよく笑う機会が増えたように思う。
浅ましいものだ。反省しているからではないが、食べている間は2人ともあまり話さない。
「美味いな」
それでも肉を口にして、思わずガウソルは声に出していた。香辛料とあわせたらしく、ピリッとした味がある。
「嬉しい、作った甲斐があるわ」
本当に事実、嬉しそうにマイラが言う。
残さず全てを平らげて、ガウソルは二人分の食器を洗い始めた。
平地から組み上げた水を各家庭に供給する水道。腹ぐらいの高さにある白い陶器製の水溜めに向かうと、ガウソルの借りている物件の間取りでは、居間の方を見る形になる。洗い場などの水回りすら自分一人の時よりもきれいだ。
ふと居間の隅に白い球体や箱が並んでいるのが視界に入る。ティダールの王都から離れる時に回収してきた遺物だ。きれいに拭き清めた上、一旦、居間に置くこととしたらしい。自分の記憶では埃を被っていたものばかりのはずだ。
(そういえば、マイラに片付けを頼んだんだったな)
地下に穴を掘って作った物置に隠しておいた。大家の許可は得ていない。盗まれることだけは避けたくてした措置だ。リドナーにも頼みづらかったところ、せっかく滞在してくれるなら、とマイラに頼んだのである。
「あ、ごめんなさい。片付けがまだ終わってなくて」
ガウソルの視線に気づいてマイラが言う。食事を終えた後の卓上を拭いてくれていたのである。
「いや、頼んでいるのはこっちのほうだから」
ガウソルは皿を洗う手を止めずに告げる。
狂化装甲などは迂闊に触れるだけでも危険な品物だ。そういった物の危険性も分かり、かつ信頼の置ける人柄でもあるのは、マイラぐらいしかいない。つまり、再会するまでは皆無だった。リドナーでは魔力の素養がない。
「頼める、マイラが来てくれて本当に良かった。かさねて、ありがとう」
静かな口調でガウソルは心の底からマイラの存在に礼を言うのであった。