27 デートの前夜
リドナーと約束をしてから更に2日、体調を見るとのことで、入院が続いていた。が、あまりに元気なので、ついに2日が過ぎた今日の夕方、晴れて予定より早く退院となったのである。
「ティアちゃん、またねっ!明日、楽しみにしているよっ」
夕日を背に、大声で臆面もなく叫ぶリドナーを、見送ろうとして正門にいたのだが。あまりに恥ずかしくて立っていられなくなってしまう。
(私、なんて、約束しちゃったんだろ)
どこまでも熱くなる頬を押さえ、ティアはその場にうずくまる。
退院の日取りが決まった段階で、リドナーから例のご褒美特別有給休暇を取るようせがまれた。約束を盾にされてはティアには断りようもない。まして、他に使う予定も何も無いのだった。
(ううん、楽しみなの、楽しみなんだよ?でも)
なぜか恥ずかしさが先に立つのである。
リドナーのことも、嫌いな訳がない。ただ、素直には両手を挙げて喜んではいけない気がしてしまうのである。
他にも看護師や医師たちからの生温かい視線を背に、ティアは立ち上がり、よろよろと歩いて寮の自室へと向かう。なぜだか、とても体力を消費した気がする。
(恋愛ってこんな筒抜けでいいの?)
自分でも思ってしまうのであった。ルディとのときは政略結婚というだけでなく、お互いにまったく好きでもなかったから、照れ臭さなど皆無だったのだ。
(うん、むしろ、やだった)
ルディの冷淡さに独善ぶりを思いだし、リドナーの温かさと比べると、これで良いのかもしれない。そう思えた。
「ふうっ」
ティアは寮に戻ると、寝台に腰掛けて一息ついた。
食堂から自分の分の食事を相部屋のネイフィが確保してくれていたのだ。腹にものを入れると落ち着く。昔から変わらない。
落ち着くと、また気持ちが前向きになる。
「うん、快気祝い。ちゃんとしなくちゃ」
ティアは、自身の小さな書き物机、その鍵のかかる引き出しから金貨の入った小袋を掴んで勢い込む。
実家からの路銀も残してはいたが、外食となれば心許ない。気がする。
(といっても、私、男の人とお店で食事するの、初めてだけど)
公爵令嬢として皇太子の婚約者をしていたころは、当然支払いなど気にしたことはない。そもそもルディ皇子との会食が全く楽しくなかった。姉と比べていかにダメかを言われるだけの苦行の時間だったからだ。
ティアは思い返していて、自分を面白がっている視線のことを忘れていた。
「へえー」
ネイフィがとうとう声を上げた。
「それ、リドナー君と?隅に置けないわねぇ、この、この」
ネイフィが指先で肩やら腹やらをつついてくる。くすぐったくて、ティアは身悶えした。
「はっ、や、やめてくださいっ」
図星をつかれてティアは動揺した。とりあえず、くすぐったい攻撃からは距離を取って逃れる。
「分かりやすいわねぇ。おまけに照れちゃって、とっても可愛い」
ニヤニヤと笑って、さらにネイフィが加える。
「ううっ」
返す言葉も思い浮かばなくて、ティアはうつむいてしまう。今はもう誰の婚約者でもないのだから、リドナーと親しくなることに何の問題もない。
「で、初手は何?ご馳走でもしてあげるの?」
ネイフィがティアの握る金貨の小袋を見て告げる。
治療院所属のヒーラーたちは住み込みで激務な分、かなり手厚く遇されていた。大金を持っていても窃盗に会う心配こそない、とティアは思っていたのだが。
「一応、預けといた方がいいわよ?私も町の貸金庫に預けてるし」
ネイフィには注意されてしまった。
「お金に困ってなくても盗癖みたいのある子もいるらしいからね」
ため息をついてネイフィが零す。
「気をつけます」
素直にティアも頷くのだった。
「それにリドナー君も結構人気あるから、妬んで邪魔する子もいるかもだしねぇ」
しみじみとネイフィが重ねて言う。
確かに整った顔立ちで、あの明るさなら女性人気もあるだろう、とティアは納得した。
(何で、今更、何もなくなった、私なんかに)
ティアは思うにつけて首を傾げてしまうのである。ただ、ネイフィの話したいのはもっと別なことなのではないか。
「どうかしたんですか?」
ティアは話の水を向けてやった。
「人気があると言えばね、ガウソルさんなのよ」
勢い込んでネイフィが告げる。
「みんな、狙ってて、ほら、私もこの仕事じゃない?派遣とかで被らないかな、とか期待してたわけよ」
堰を切ったようにネイフィが話し始めた。
「まぁ、今回はティアちゃんに取られちゃったけど」
そして、少し恨めしそうに加えて言うのである。
「す、すいません」
ティアも縮こまってしまう。なお、自分の方はまったく楽しくない経験であったのだが。もし譲れるのなら譲りたいぐらいだ。
「いいのよ、ティアちゃんは、ほら、ガウソルさんに別にどうってことはないんでしょ?」
ネイフィが尋ねてくる。
むしろ嫌いである。
ただ態度が酷いだけではなく、祈りを強要されるは、リドナーが死ぬところだったは、という恨みごとがいくつもあるのだ。
(それにずっと、私には意地の悪い態度だったし、頑張ったのに可もなく不可もなくって)
そして、あの評価にも時間差でティアは殊更にムカムカと腹が立ってくるのだった。
座ったままプルプル震えて怒っていると、ネイフィが苦笑いを浮かべていた。ある程度は事情も聞いているのではないか。
「ごめんごめん、まぁ、ね、相性ってあるもんね」
むしろ一方的に悪意を叩きつけられているのだ。『相性』などという言葉で簡単に片付けてほしくもなかった。
「問題はね」
ずい、とネイフィが身を乗り出してきた。
「なんか、変な女がガウソルさんにつき纏ってて、挙げ句、ガウソルさんの自宅に転がり込んでるって噂があるのよ」
重大発表、と言わんばかりに一気にネイフィが打ち明けた。
(あぁ、それ、マイラさんのことだ)
姉である大聖女レティの護衛剣士だったマイラが、急に現れてドクジグモを火炎球で消し飛ばした。
当初、ルディ皇子あたりからの用向きで自分に会いに来たのかと身構えていたのだが。
(まさかのガウソルさん目当てで。うん、本当に、目当て、で)
どう見てもマイラの側がガウソルに夢中に見えた。恋愛に疎い自分ごときにも分かるのだから余っ程だ。
「どこの馬の骨とも知れない女が、ガウソルさんを誑かしてるってわけ」
おそらく姉繋がりで接点があったのではないか。
今にしてティアも合点がいくものの。他人に説明できることではない。
「ティアちゃん、何かその女のこと知らない?」
どう見ても噂話の好きそうなネイフィである。
ティアは首を横に振った。
「討伐の時はまだいなくて、私も分かんないです」
ティアはさらりと害のなさそうな嘘を言い、ネイフィとさらに2つ3つ噂話を交わしてから眠りにつくのだった。