26 押しかけ女房
「よし」
部屋の状態に満足してマイラは頷いた。ちょうど、ティアがリドナーの病室を見舞いで訪れている時間帯だ。
濃いめのピンク色ボタンシャツに、黒い長ズボンという出で立ちに、更に白いエプロンを身に着けている。自慢の茶色髪は短く、家事の邪魔にもならない。
「ふふっ、私だって掃除ぐらい出来るのよ?」
ここにはいない、部屋の主であるガウソルにマイラは告げる。
まだ昼過ぎの時間帯だ。
(シグったら、ちゃんとお弁当、食べてくれたかしら。ちゃんと美味しかったかしら)
朝方、日勤だと言って出勤したガウソルのことを思い、マイラはため息をつく。二人の間では、未だマイラはガウソルのことを昔の名前で呼んでいた。
(今日は夕方には帰ってくるのよね。お夕飯、何を作って待ってようかしら。夕飯を考えるなんて、まるで本当の夫婦みたい)
掃除に使ったハタキを片付けつつ、マイラは思案し、独り身悶えする。まるで夫婦のようではないかと。
「うふふ」
自然、笑みがこぼれてしまう。
魔獣討伐行での劇的に演出したと自負している再会の後、宿が取れないという名目で、ガウソル宅に宿泊させてもらっている。本当は宿など探しすらしていなかったのたが。
自分が女性ということでかなり渋られたのだが、粘りに粘って泣きついた末に了解を得られた。
(裏を返せば、意識してるってことよね、きっと)
ゆえにマイラはガウソルの抵抗を前向きに捉えることとしていた。
本当に取れる宿がなかったのか、よく確認せず鵜呑みにしているのもガウソルらしい。根は大雑把なのである。
そのままの流れで既に3日間も滞在しているのだった。
「正直、男の一人暮らしには広いみたいだけど、同棲するには手狭なのよねぇ」
今を見渡して、マイラは声に出して呟く。
ガウソルの腕前なら、金ぐらい簡単に稼げる。指揮官というのは苦手でも、個別の生き物としては極めて屈強なのだから。
貸家住まいであるのは、本人がそれをよし、としているからだろう。
(うふふ、同棲ですって?いくらなんでも気が早すぎるんじゃなくって?)
一人、自分で出した単語にいちいち身悶えするマイラ。ガウソルの前では冷静なふりをしていられているのが奇跡に近いようにも思えてきた。
居間と台所、トイレに風呂、あとは寝室に隠しの地下室、という間取りである。もともとは2階を養子のリドナーの部屋としていたらしい。
(まぁ、邪魔者がいないの助かるわ)
マイラは思いながら、寝室の床板を外す。
長じたことにより、リドナーの部屋と自身のものとを分け、別の物件としたのだった。
床板を外すと土を踏み固めただけの階段が姿をあらわす。地下室はガウソルが家主に秘密で勝手に自分で掘ったのだそうだ。
(掘ったってのがいかにもシグらしいわよね。どうせ素手でやったんでしょうけど)
マイラは地下への階段をためらわずに降りていく。
天井に灯りを1つつけただけの空間。雑多に物が並べられている。
部屋の中心には、群青色の、全身を覆う甲冑が置かれていた。頭部を覆う、兜部分には狼の耳を思わせる装飾があしらわれている。更に両腕の手甲、指先には鋭い鉤爪が備えられていた。
「甲冑狼の狂化装甲、いつ見ても、素敵」
かつて、これを身に纏って暴れていたガウソルの勇姿を思い出し、ほれぼれとマイラは零す。
この物置代わりの地下室は、ガウソルにとって、思い出深い品を大切に収めている場所なのだった。
(売ってお金にしようとか、一切考えないんだものね)
神竜が死に、ティダールという国が崩れていく中で、残しておかねばならない、と思われる品をガウソルがあの喧騒の中、回収してきたのた。
更には時折、旧王都デイダムを探して回っていたのだとも言う。マイラは足で大きな謎の白い球体に触れて思い返していた。なんにも使えなさそうな品ですら回収しているのも、ガウソルらしい。
(こんなものがあるっていうのに、出入りを許されてる私、信頼されてる)
何か頼んで欲しい、とマイラは自分からガウソルに申し出たのであった。
すると、そこだけは丁度よい、と他人には頼めないから、とこの部屋の整理と掃除を申し訳無さそうにガウソルが頼んでくれたのだ。
つまりは任されたということ。
喜びにマイラは打ち震えてしまう。
ガウソルが甲冑狼に所属していた過去を知っているのは自分ぐらいだ。
(多分、また、本当に誰か或いは何かを守る時には、これを身に着けて戦うつもりなのね)
手入れの行き届いた狂化装甲を見て、マイラはしみじみと思う。素の状態でも人間離れした身体能力を誇るガウソルだが、これを身に着ければその比ではない。
(あの一撃を見る限り、多分、腕前は衰えるどころか研ぎ澄まされている)
矢のように片刃剣を飛ばしていた。
(私も惚気けてばかりいないで、腕をもっと上げないとね。まぁ、言われたこと、ちゃんとやってから、だけど)
ガウソルが戦う時には、自分もまたガウソルの隣に立って戦うのだ。恥ずかしくない腕前でいたい、というのは否応なしに別れさせられてから思い続けていることだった。
「さて、と何から始めようかしら」
マイラは地下室を見渡して呟く。
おそらくガウソルのことだから、自らの手で掘って更に砕いてきた岩でも敷き詰めたのだろう。
「とにかく、幾つかの物、運び出して片付けるしか無い、か」
狂化装甲以外はただ雑然と置かれているだけだ。
マイラは綺麗に並べられるものは並べつつ、物によっては棚などを手配してしまい込むしかない、と思案していた。
「これって、まったく、シグったら」
白銀に輝く鱗まで転がり出てきた。マイラは呆れて声に出す。神竜の鱗だ。
ティダールの遺物、その宝庫とでも呼ぶべき物置なのだが、本人に管理する能力がなければ、ただのゴミ溜めである。
「それにしても、あの中でよく、これだけ拾ってこれたわね」
マイラはまた落ち着きを取り戻すと呟く。
邪竜王との戦いで、主君である大聖女レティが死んだ。一緒にいたのは自分と数名。真っ先に飛びかかって互角以上にやり合っていたのがガウソルである。
だが、いかに屈強でも身体の大きさ、重量に差があり過ぎた。最後は尻尾の直撃を受けて、どこか遠くへ飛ばされてしまう。仲間の大半は大聖女レティも含めて、ガウソルの死を疑わなかった。
(確かにとんでもない威力で、並の人間なら木っ端微塵だったけど)
マイラだけはガウソルの生存を、逆に疑わなかった。
そして、現に生きている。再会も出来た。
幸福感に浸りつつ、マイラは白い球体を持ち上げる。
「これ、何かしら」
どう見ても岩の球にしか見えない。物の価値に頓着しないガウソルのことだから、落下点の岩でも記念に拾っておいたのかもしれない。
他にもよくわからない品だけをマイラは一旦、リビングにまで運び上げるのであった。