236 ヨレイル湖へ
どうしても気持ちが焦ってしまう。
「急げっ、ドラコッ、遅いって」
リドナーは幼い神竜ドラコに声をかけながら走る。いくら飛んでいるとはいえ、幼い身でかなりの距離を先導して飛んできた。
頭ではリドナーも分かっている。それでもつい、焦りで厳しい言葉もかけてしまったようだ。
(もっと厄介な奴らの手にティアちゃんが渡っちゃった)
仮にも仲間で、間違っていたとはいえ、曲がりなりにも善意で攫ったディオンたちとは違う。町に魔獣を放ち、自分の素性を言い当てるような得体のしれない相手だ。
ディオンとスタッダであれば、一応、丁重な態度であり、暴力の心配などは無かったのだろう。
(当然、許すつもりはないけど)
リドナーは負傷を押して必死に最後尾を駆けるスタッダをちらりと睨む。
双子の兄ディオンを置いてきたらしい。罪悪感を抱いているから、双子の兄を見捨ててでも何か罪滅ぼしをしようと、ついてきているのだ。
いよいよヨレイル湖が近い。
(久しぶりだな)
何度か養父ガウソルと一緒に来たことがあった。ガウソルとしてはただの散歩のつもりだったらしい。
(たたっ斬ってやる。ズウエンの力を借りて氷漬けにしたっていい)
リドナーは知らず殺気を放っていたのだが。
「リドナー君、待て」
イーライが声をかけてきた。
「ジェイコブさんやグラムさんの準備がある。突っ込む前に待機だそうだよ」
続けて更に説明してくれた。
リドナーとしては自分たちだけでも突っ込んで、少しでも早くティアを助けたい。
「ピィッ、ピィ」
ドラコも急かすように旋回する。飛ぶのは遅いものの、気持ちは急いでいるのだった。
「落ち着くんだ、2人共。グラムは飛べるらしい。偵察させるよ。私も嫌な予感がする。そして、私のこういう予感はよく当たるんだ」
出会ってからは一貫して親切なルディ皇子にまで言われてしまった。
「分かりました。ドラコも、一緒に休憩」
渋々、リドナーは頷く。大人しくドラコが腕の中に収まってくる。
「君やドラコが突っ込んでいって捕まった場合、今度は君等がダシにされてティアが言うことを聞かされる。そういうことも起こり得るんだからね」
ルディの背後ではジェイコブが何やらグラムの背中にあった器具をいじくっている。ガウソルの家にあった翼のような器具と繋いでいた。
(そういえば、あの家、鱗みたいなのとかいろいろあったもんな)
リドナーは思い出して頷くのだった。
「よし、じゃ、見てくる」
グラムが『後背兵装』という器具を背負って告げた。
三角形の翼が体の両側に伸びている。確かにいかにも飛べそうだ。
「私も行こう。視力には自信がある」
ルディも黒弓を手にして告げた。
「イーーーーッ」
奇声をあげてグラムが宙に浮かぶ。
(あれで、偵察出来るのかな?目立ってしょうがないけど)
リドナーは呆れて思うのだった。だが、一応、問題なくヨレイル湖の方へと向かっていく。
「ふむ。試運転もなしでどうかと思ったが、上手く飛んでいるではないか」
ジェイコブが満足げに告げる。
「え、上手く飛べるか分からずに飛ばせたんですか?」
驚いてリドナーはジェイコブに尋ねる。
「まぁ、優秀な私が作ったものだし、確認は十全に行ったから大丈夫なのだ」
胸を張ってジェイコブが告げる。
「まぁ冗談はさておき、グラム君があれだけ目立てば、殿下の方が気付かれないだろう?これは陽動なのだ」
肩をすくめてもっともなことをジェイコブが言うのであった。
「そうですね、殿下なら、なんか上手くやってくれそうです」
リドナーも曖昧に頷くのだった。
「魔獣がまるであらわれないというのは、おかしい。ここはネブリル地方なのだぞ?何かあるのだよ、やはり」
ジェイコブがさらに真面目な調子のまま告げる。
イーライ始め隊員たちも小休止を取っていた。あまり明るい雰囲気はない。皆、何か異様なものを感じているのだ。
リドナーもドラコと顔を見合わせて頷きあう。
(確かに俺等が捕まって、眼の前でティアちゃんが言いなりになっちゃうとか、最低だ)
ティアが胡散臭い連中の言いなりになる。
決して愉快なことではない。
どれだけ待ったのか。あまり長い時間ではない。
「こいつぁいいや、すげぇ。ジェイコブ師、あんたは天才だ」
先に戻ってきたのはグラムだった。
「それはそうだ」
とても満足げにジェイコブも返した。見た目はまるで種類の違う2人だが、存外、馬が合うのかもしれない。
「おかしかったぜ、湖。妙な祭壇があってな。赤いのだ。そこにまた、赤いのがいるんだよ。こんなとこに住んでるヤツ、いないだろ?」
グラムが一同を見回して告げる。
たしかにおかしいはおかしい。言い方が大雑把だが不審なのはよく分かるので皆が頷く。
「気付かれなかったのかね?」
ジェイコブが気にして尋ねる。
「そもそも、赤い変なやつしかいなくてな。特にこっちを気にする感じはなかったな」
首を傾げてグラムが言う。気づかれないわけはなさそうな姿に大声だったのだが。自覚は本人にもあったらしい。
更に待つとルディ皇子も帰ってきた。
「敵を視認したよ」
ルディ皇子の第一声である。
「ティアも見えた。抱えられていて、気を失ってるようだったな。敵は赤いローブの男1人だったが」
リドナーとしては、恋人が気絶させられて、別の男に抱えられていたというだけで、血が沸騰しそうなほどに腹が立つのだが。
(ルディ殿下は、全然平気なんだな)
改めてティアにまるで関心のなさそうなルディに、リドナーは複雑な気持ちにされるのだった。
「外傷はないように見えたが、細かくは助けてみるまで分からん。そして、おかしな黄色い、大きな卵が見えたな」
首を傾げてルディが続けた。
「とりあえず、敵は1人だ。前衛は距離を詰めて差し支えないと思う」
危険だと言われても突っ込むべきところだ。
「よし、ドラコ、行こう」
リドナーは既にパタパタと体を宙に浮かべていた幼竜に告げる。
「そうですな。とりあえず、近寄らないわけにはいかん」
ジェイコブも頷く。
「ヴェクター総隊長」
行軍についてくることに精一杯だったヴェクターにルディが告げる。精鋭部隊の全力疾走に話す余裕すらなかったのだ。
「あなたには、山岳都市ベイルへ一旦、戻ってもらいたい」
リドナーもちょっと驚くような提案だった。露骨に足手まといだとでもいうのだろうか。
ヴェクターが考える顔をしていた。
「分かりました。そうしよう。気が引けてしまうが」
そして頷いた。反論しないことをリドナーは意外に思う。
「誰かがここでのことをベイルにも知らせておくべきだ。あなたは人の差配が上手い。それになんとなく、私はそういう備えをしておいた方が良い気がする」
ルディがさらに補足して説明する。腕前云々の話ではなかったのだ。
「数名だけは連れて。あなたも腕は立つが、単独では危険だ」
ジェイコブも口添えをした。自分はやはり冷静ではないのだ、とリドナーは痛感させられるやり取りである。
「2人ついてきてくれ。レックとベルン、お前たちでいい」
若い隊員を2人連れて、ヴェクターが離脱していった。
「よし、すまないな。リドナー君、待たせた」
そしてルディ皇子が向き直り、冷静な笑みを見せる。
「いえ、気を付けて、気を引き締めて、いきましょう」
リドナーは両手で自らの頬を叩いて気合を入れる。
斜面をそろそろと皆で下りていく。するとたしかにルディの言う通り、巨大な卵が湖畔にある。
(なんか、嫌だな)
さらには祭壇が卵を称えるかのように設けられていた。
近づくにつれて、ティアと赤いローブの男が視界に入ってくる。
(ティアちゃん、今、助けに行くから)
逸る気持ちを抑えつつ、リドナーは皆と歩調を合わせて、距離を詰めるのであった。




