229 追走1
ティアが更に連れ去られることとなったとも露知らず、リドナーはルディらとともに山岳都市ベイルを後にし南下しているところだった。
肥ったドラコがパタパタと一同を先導しているため、急ごうにも急げない。リドナーはジリジリと焦っていた。
「忙しいな」
進行の速度とは裏腹に近くを歩くイーライが呟く。
「そうですか?」
焦るリドナーはじとりとした視線を送る。
「ティアちゃんを攫われてから、とんぼ返りに聞き込みに、そしてまた追走だからね」
肩をすくめてイーライが気持ちを説明してくれた。
なんとなく違和感をリドナーは覚えていたのだが、いつも相槌を打つジェクトがいないのだった。
「あれ?そういえばジェクトさんは?」
リドナーは疑問をそのままに尋ねる。視線はまたドラコに戻していた。既にネブリル地方に踏み入っている。見失っては大変な上、魔獣にも警戒しなくてはならない。
「体調不良だとさ。守備隊入ってから初めてじゃないかと思うんだけどね、彼は」
肩をすくめてイーライが答える。
(こんなときに?皆でティアちゃんを助けなきゃって時に?)
リドナーは強烈に嫌な予感がしてしまう。
ディオンやスタッダも姿が見えないと思ったら、ろくでもないことをしていたのだ。
「ジェイコブさん」
話が聞こえていたであろう、第1部隊隊長の方をリドナーは振り向く。
「いや、そうホイホイと裏切られるものなのかね?そもそもがヴェクター総隊長が見込んで雇った人間なのだろう?」
頭の良いジェイコブであるが、人を見る目は別だという自覚があるらしい。珍しく困った顔をしていた。
つまり人を疑う云々のところは苦手分野であり、あてにならない。
リドナーは察して、この場ではもう一人の頼りになりそうな人物の方を向く。
「うん。嫌な予感がしてきたな」
呑気に構えていたルディ皇子の顔が強張っていた。
ひらひらとした上着を纏い、身体よりも長い黒弓を手にしている。
「それって」
リドナーもみるみる気分が重くなっていく。
さらわれた、と聞いてもろくに心配もしていなかった元婚約者のルディ皇子である。ジェクトの話を聞くと嫌な感じがするらしい。
「そのジェクトという名前を聞いていたら、途端に嫌な感じがしてきたよ。何者なんだね、その男は」
険しい顔のままルディが問い返してくる。
「第1部隊の仲間です。ちょっと今は確信がないんですけど」
明確な根拠が何かあるわけではない。本当に大病したなりで寝込んでいる可能性もないではなかった。
「ピィッ!」
話の顛末を待っていたのか。木の枝に大人しく座っていたドラコが声を上げる。
『そんな男のことはいいからとにかく急ごう』とでも言わんばかりだ。懸命に翼を羽ばたかせてパタパタと先導していく。
だが、いかにも重たそうに飛ぶのである。ともすればリドナーたちは追い抜いてしまいそうになるほどだ。
「だから言っただろ!お前、太り過ぎだって!」
リドナーは神竜を叱りつける。
長らく優しいご主人のティアに甘ったれてばかりいたからいけないのだ。
「おまけにティアちゃんはあっさり連れ去られるし。お前、今回のこと、何にも良いことないぞ!」
さらにリドナーは追い討ちをかけるのだった。
「ピィ」
一瞬、悄気げてしまうも、何か挽回しようとするかのようにドラコが先導する。
「いや、こんな幼い竜に厳しくしなくとも良いではないか。可哀想に。ドラコ君もよく頑張っていると思うよ。そもそもこの子がいなければ我々は追跡出来ないのだから」
どうやらティアには思いやりの欠片も見せなかったであろうルディ皇子が幼竜のことは優しく弁護する。
リドナーはルディ皇子のことも睨みつけてやった。
「殿下も。いろいろ反省すべきですよ。いろいろ」
あえて自分で考えろということである。何を反省すべきかはリドナーも言わなかった。
「あぁ、その、すまない」
殊勝にもルディ皇子が頭を下げる。
「いいぞ、もっと言ってやれ」
護衛の内、明るい方の日焼けしたグラムが囃し立ててきた。背中には珍しい筐体を背負っており、本気を出すと恐ろしく足が速くなり、跳躍力も腕力も増す。邪魔な木や岩などがあると軽々と除けてくれた。
「おい、グラム。そんな場合じゃない」
寡黙な方のジャクソンからたしなめられていた。
この2人が弓手のルディ皇子の脇を固める役割らしい。
(この2人もものすごく強い)
世間は広いのだ、と改めてリドナーは思うのだった。
今まではガウソルぐらいしか自分より強い人間など見たことがなかったというのに、少し外の人間が来るだけで、こうも思い知らされている。
「リドナー君?いやクレイ君?いや、殿下?」
口下手そうなジャクソンがぎこちなく話しかけてくる。なぜこうもおっかなびっくりなのか。
「リドナーで。呼び捨てにしてください」
自分は一般人なのだ。
『殿下』などではもはやない。ジャクソンのほうが皇子の護衛という立場からして貴族なのではないか。
「あぁ、分かった。その、君も剣を遣うのだろう?今度、稽古をしてみないか?こんな時にどうかという提案だが。コトが落ち着いたら」
走りながらジャクソンが言う。息も切らしていない。纏う雰囲気がマイラ同様、いかにも達人というものだった。
「それは、俺の方からお願いしたいです」
リドナーも頷いて頭を下げた。
ただの辺境の1剣士に過ぎない自分である。破格の申し出だった。
「こう見えても剣技だけなら魔法剣士マイラ殿と互角ぐらいだったんだ」
どう見えると思っているのか、ジャクソンがそんな言い方をする。
「じゃあ、すんごい強いじゃないですか」
自分など手もなくひねられる相手がマイラだった。
「その魔剣遣われたら、お前、あっという間にやられちまうぞ」
剽軽なグラムが口を挟んできた。
「馬鹿、さすがに魔剣は無しだ。稽古だぞ、稽古」
ジャクソンがさすがに慌てた顔で言う。
「俺も剣の技を学びたいので。勝ち負けじゃありません」
リドナーも苦笑して告げる。
「なんでぇ、つまらねぇ」
自分たちに殺し合いでもさせたいのだろうか。残念そうにグラムが言うのだった。
ルディ皇子がドラコのすぐ後ろを追走している。
この2人は自分の力みを取りたかったのかもしれない。
(すごいな、この人たち)
特にやり取りをしないでも連携が取れるのだ。何か見せつけられたような気分にリドナーはなるのだった。