222 ティダールの展望
ティア・ブランソンを連れ去られたことで、ルディは山岳都市ベイルへ戻らざるを得なくなっていた。
今は誘拐の現場である治療院を訪れている。
(だが、後手後手だ)
2日が過ぎてしまった。さすがに直感だけで誘拐までは予期することが出来なくて、ネブリル地方に向かってしまったことが大きい。移動だけで時間を浪費してしまった。
誘拐犯が連れ去ったのはティア本人だけであり、神竜ドラコが治療院に取り残されている。ティアの自室で拗ねたようにうずくまっているとのこと。
「私たちが人質にされなければ」
鳶色の髪をしたヒーラーと思しき若い娘が嘆いている。
おそらくは人質とされていた2人のうち1人なのだろう。もう一人は水色の髪をした事務職である。
当然、うずくまっているからといって神竜ドラコも放置をしておけず、1人は張り付いているということとなった。落ち込んでしまったヒーラーというのがちょうどいいのかもしれない。
(若く体力に満ちた男たちに押し入られては、この乙女たちでは防ぎようもあるまい)
ルディは神竜を見下ろしつつ思う。
(それより、この神竜だ。これは恐ろしい)
まだ生まれて2か月経つかどうかだという。
小さいながら腹回りは実にたっぷりとしている。鱗の色つやも専門家ではないが、見るからに良い。ティアのもとで幸せにぬくぬくと生きてきたのだろう、と思えば幸せな存在なのだが。
「どれほどの力を、この中に溜め込んでいるのだ?」
思わずルディは声に出して呟いてしまう。
ティアが日々、食事代わりに魔力を与えていたのだと聞かされてはいた。つまり今、自分が驚いているのは、間接的にティアの魔力だということでもある。
(貯めておける方も貯めておける方だが。確かにこれは、成体となれば想像を絶する力を持つだろう)
ティダールを丸ごと数百年にわたって守り続けた、ということにもルディとしては頷けるのだった。
「ドラコッ!」
今度はクレイ・ディドル改めリドナーが部屋に飛び込んでくる。無我夢中でティアを探してあちらこちらを奔走していたのだった。ドラコというのは神竜の名前らしい。
「ピッ」
驚くことに神竜ドラコが初めて反応を見せた。
丸めていた首を伸ばしてもたげる。
「ピィー、ピィー」
駆け寄ったリドナーの脚に神竜ドラコがすがりつく。
「ティアちゃんが攫われたって、お前、何やってたんだよ」
しかし、リドナーからはなかなか理不尽なお叱りが飛んでくるのだった。まるで冷静ではない。
「いや、リドナー君。それはさすがに。相手は竜とはいえまだ子供なのだから」
思わずルディは仲裁しようとしていた。
先ほどまでメソメソしていた女性ヒーラーが申し訳無さそうにうつむいてもいる。
「あっ、ドラコ、ごめん。あと、ネイフィさんも気を使えなくて、すいません」
リドナーも我に返って謝罪する。
「ピィ」
だが神竜の方もティアが攫われた際の対応に何か反省でもあるのか。一緒になってしょげかえっている。
ルディの頭の中ではリドナーを見るとつい別のことを考えてしまう。
(神竜を孵したティアの恋人であり、神竜からも懐かれている。ティダール王家に伝わる魔剣まで使いこなせるとなれば、あらゆる意味でティダールの責任者にふさわしい)
なお、魔剣ズウエンについては2日の間にジェイコブから説明を受けていた。
(リベイシア帝国にとって、必ずしも望んではいなかった領土が、ここティダールだった。そして王族が姿を消したことで、統治は困難なものとなっていたが)
巡視をすることとなったのもそのせいではあった。だが、巡視の成果として、自分はかつての正当な統治者を無事、発見したのである。
(一度、手にした領土を手放す、というわけにはいかないが、例えば彼に爵位を与え、当地の代表とすれば、かなりやりやすくなる。今、我々がしているであろう苦労を彼と神竜にやらせればいいのだから)
ルディは神竜ドラコとリドナーとを見比べていた。そのためにティアを、というなら見返りのほうが多い取引なのである。
(ティアを妻とすればリドナー君にも箔がつく、という名分も立つ。私としては好きな考え方ではないが)
この選択は間違いではない。
自分の直感はよく当たる。山岳都市ベイルを訪れなければならない。ここまでは正解だったのだろう。
思っていたのとは、だいぶ違う結論にたどり着いてしまう、というのもまた、よくあることではあった。
(レティ、やはり私は君の妹とはまるで縁が無かったようだ)
今は亡き婚約者にルディは心の内で語りかける。
(結局、ティアは君の妹でしかなくて、私にとっても義理の妹のようなものに過ぎないんだ。少し目を離していたらもう、自身にふさわしい相手を自力で見つけていたよ)
リドナーの理不尽なまでの必死さを見るにつけ、恋人としては良い相手だろうともルディは思う。
誘拐されたというのに、別のことを冷静に考えてしまう自分のほうが薄情すぎて問題だ。
眼の前では今もリドナーが『前みたいに何か魔力の繋がりみたいなので居場所が分からないのか?』などと無茶なことを言って神竜ドラコを困らせている。
「こういうときは、焦ればどうにかなる、というものではない」
ルディは再度、リドナーをたしなめる。
「なんで、そんなに冷静なんですかっ!殿下だって、ティアちゃんのことを、その」
勢いよく言いかけて、途中からリドナーが言葉に詰まる。売り言葉に買い言葉で、ルディ自身からティアを求めているような言葉を聞きたくないのだろう。
「その件については気が変わった。私はティアとどうにかなろう、という気持ちは全く何も無い」
改めて断言すると、気持ちがすっと晴れていくのをルディは感じた。
「所詮、彼女は私にとって亡くなった婚約者の妹でしかない。無論、誘拐など許すつもりもないがね」
まだ疑わしげなリドナーにルディは更に告げた。
「恋人もいれば子供みたいな神竜もくっついている娘を、皇帝の后になど出来るわけもない」
考えれば考えるほどティアというのは后としては最早不適当なのであった。
(そうだ。神竜もここにいたほうがいい。私の思っているとおりに進めるのなら)
ルディは平原都市リンドスから山岳都市ベイルに至るまでの間に考え続けていたのは、山岳都市ベイルを対ネブリル地方の一大拠点にまで強化し、テコ入れすることであった。
神竜を山岳都市ベイルからリベイシアのいずれかの地に移送してしまった場合、結界の効力から肝心の山岳都市ベイルが外れてしまう恐れがある。
(無論、細かい調整や段取りは必要になってくるが)
自分の治世において、ティダールの問題を解決するのにリドナーの存在は実に都合が良いのであった。
「他に協力した者がいるそうだ。今は守備隊や私の部下たちが聞き込みを行っている。まずは協力者を見つけ出して外壕を埋めるのだ。遠回りに見えるがやっていくしかない。君はどう頑張っても冷静にはなれないだろう。仕方ないと思うが。とりあえず犯人が神竜のほうを奪いにくる可能性もある。君がここの守りを固めるんだ」
ルディは統治の問題を頭の隅に追いやって、リドナーに告げるのであった。