215 山岳都市ベイル到着
山岳都市ベイルには、鉱山都市ビクヨンや平原都市リンドスのような執政も代官もいない。
代わりに守備隊隊長ヴェクター・カーマイルと治療院院長ライカ・カーマイル夫妻に、裁判長ウィマールなど現地の人材が奮闘して街の機能を支えている。少し受け答えをするだけでも、それなりの能力があるように思えた。
「とかくティダールという土地はどこも魔獣ばかりだったが、この町はことに厳しいようだね」
通されたのも守備隊の本営にある会議室だった。
ルディはエフィルス山道での道中を思い出して言い放つ。
山岳都市ベイル側の人材は前述の3人、ルディ自身も護衛のジャクソンと文官のジャイルズを従え、3人で向かい合っている。
「申し訳ありません」
守備隊隊長のヴェクターが頭を下げる。
「なに、責めたいわけじゃない。むしろ、限られた戦力でよく守っていると思うよ」
ルディは苦笑して告げる。いきなり謝罪されるのでは自分もやりづらいのであった。執政も代官もいないことによるやり辛さを痛感させられる。
「襲ってくる魔獣が多すぎるんだ。もっと抜本的な解決策を練らないと。今後も上手く守り抜けるか難しいかもしれないね」
しばらくは、ルディたちでかなりの数を間引いてきたから大丈夫かもしれない。だが、ここ山岳都市ベイル周辺というのは、駆除して抑えては、また大挙されて、の繰り返しなのではないか。
(同じことの繰り返し。そして戦う度、命を落とす危険にさらされる)
巡視をしてきたおかげで、ある程度、考え方や方針を定めやすくなった。そういった意味では巡視をしてきて本当に良かったとも思う。
地勢もよく分かっている。
(辺境だからと軽視は出来ない)
山岳都市ベイルを中心とするこの極東地方が、ネブリル地方からの魔獣を止める防波堤なのだ。
(こういう感覚は実際に足を運んで、この目で見て、肌で感じてみないと得られない)
判断を下していくのにはどうしても必要な感覚だ。まったく分からないよりも、一度でも肌で触れておいたほうが自分には良い。
「よくやってると思うよ、この町は」
ルディはもう一度、念押しのように告げる。
ネブリル地方に近い辺境であることを思うと、驚くほど人口が多い。
(魔獣から得られる素材なども多いようだからな。危険はあるものの、その分の見返りも大きいということか。商売の好機という、わけだ)
魔獣の毛や皮などを解体し、扱う業者が少し町を回っているだけでも他の町よりも圧倒的に多いのだ。ただ辺境というだけの都市ではない。
いかにも武人、といういかつい顔のヴェクターを一瞥する。
(おそらく、この男も、単に武人というだけの男ではないな)
短く刈り上げた髪を見るにつけ、ヴェクター本人は武人でありたがっているのかもしれないのだが。
立場もある者の常で、したいことだけにかまけていられるわけではないのだろう。他の些事に追われ続ける毎日なのだ。
(私も似たようなものだからな)
ルディは密かに一方的な共感を抱くのだった。
「法整備や根本的な仕組みについてもぜひ考えて頂きたいのです」
いかにも真面目そうな、裁判長ウィマールも口を挟んできた。
「当地やティダールの幾つかの地方については、リベイシア帝国の法律をそのまま当てはめて運用するのでは、無理が生じますし、現に散見されます。ティダールの現状にどうしてもそぐわないようなのです。私なりに纏めて参りました」
びっしりと書き込まれた報告書の束をルディは受領する。ほとばしるウィマールの情熱そのままにずしりと重たいのだった。
リベイシア帝国と旧ティダール王国の違いについては、今後も長く悩まされることとなるだろう。各都市でもウィマールのような人物が少なくとも1人はいた。それぞれが分厚い書類の束を手渡してきたものだ。
(どうも、ティダールの人々には凝り性な者が多い。魔導研究に特化していた、というのもよく頷ける)
研究対象が魔導なのか法律なのか、しか違わないのではないかと思う。真面目に分析して集中する、という意味では同じことなのだ。
「まったく、あんたは法律のことしか頭に無いのかい?」
呆れた口調で治療院院長ライカ・カーマイルがウィマールに言う。色の薄い金髪の女性だ。若い頃には気の強い美人だったろうと思える容貌だった。
守備隊隊長のヴェクターが『そうだ、そうだ』と同調している。
ヴェクターとウィマールの仲はあまりよろしくないのだろう、とルディにも分かるぐらいだ。まるで目を合わせようともしない。
「必要なことだ。しっかり決まり事を固めておかないと、今後、町として何をするにしても困ることとなる」
どこまでも生真面目にウィマールがライカの方を向いて告げる。
正論は正論なのでルディは頷く。
「なかなかティダールの各地について、我々も力になりきれていないところも多い。法律などについても、皆で知恵を出し合っていかねばならん」
穏やかにルディは告げるのだった。
そしてまだどうしても言いたいことがある。
「私はせっかくティダールの最奥に゙来た以上、見ておきたいものがあるんだ」
自分を放置してやいのやいのと話し合いを始めた3人に対し、はっきりとした口調で切り出した。
「それは」
3人が一様に緊張する。
「あぁ、この町に来た以上、必ず見ておこうと思ってね」
ルディは深く頷く。
「ネブリル地方を、その外縁部に行ってみたい。境界をこの目で見ておこうと思う。境目だけでも良いので少し力を貸してくれないか」
ルディは力強く言い切り、3人の態度を覗った。
3人とも何とも言えない表情を浮かべている。
(何か私は粗相をしたかな)
思いつつルディは首を傾げるも無事、快諾を得るのであった。