210 試し撃ち〜エフィルス山道1
リベイシア帝国第一皇子ルディは巡視をともにしてきた一団とともに、エフィルス山道を進行していた。かつてはティアがリドナーに助けられ出会った道であることなど知る由もない。
(いよいよ、山岳都市ベイルに至るが)
ルディは高台としている馬車の屋根に半身で立ち続けていた。手には黒塗りの長弓を握っている。
おちおちと座ってなどいられないのだった。当然、ティアのことなど忘れている。
「殿下、危険です」
文官のジャイルズがたしなめてくる。
当然、無視してやった。危険など身に触れれば分かるものだ。
「イーッ」
グラムが跳躍し、同じく跳躍していたイワトビザルを槍で貫く。
その足下では護衛のジャクソンも、無言でイワナゲグマを斬り倒していた。ずいぶんと魔獣の変則的な動きには慣れたように見える。気の合うグラムなどとは、対魔獣の仮想戦などをしているらしい。
(この2人がいれば近い間合いも問題はない)
ルディは森の一点に視線を据えたまま思う。自分の身辺については、2人がうまく固めてくれている。文官や後続の兵団には今のところ戦闘をほぼさせていない。
「ふん、まるで戦場ではないか」
それでも、鼻を鳴らしてルディは告げる。戦闘など苦にしない。リベイシア帝国の西側の国境で従軍したこともあった。
おもむろにルディは弓に矢を番えてひょうっと放つ。
樹上にいた灰色の怪鳥が射殺されて転がり落ちる。なんの魔獣かもルディには分からない。
(後で調べてみよう)
目に焼き付けて姿形もルディは記憶しているのだった。
(それにしても)
ルディは辺りを見回しつつ思う。
今までに巡ってきた、どの土地よりも魔獣が多い。少し進むとすぐに、気配を察してしまい、駆除する羽目になる。特段、ルディにとって苦でもないのだが、どうしても進みが遅くなってしまう。
「まったく、嫌な感じだな」
ルディは弓を手にしたまま零す。
視界をべグラッドが過ぎろうとしたので、袖箭で射殺す。
「何がです?」
魔獣の返り血を浴びた凄みのある笑顔でグラムが近付いてきた。既にカレン・メルディフから送り込まれた、という印象が薄い。何年も前からの仲間のような印象をルディは抱いていた。
「特に手強い魔獣もおりませんが。数だけは多いようですがね」
ジャクソンも剣についた返り血や脂を乾いた布で拭き取りつつ告げる。
一旦は魔獣の襲撃も止んだのだった。ルディもほぅっと息をつく。ただし、高台から降りるつもりもなければ、弓を手放そうという気にもなれない。
「背中の辺りがゴワゴワする。肌になにかこう、迫ってくるような緊張感があってね。面白くない」
ルディは感じたままを告げる。
客観性を欠いた物言いであることぐらいは自覚していた。
ジャクソンとグラムが顔を見合わせる。
「殿下の直感は信じてますがね。もちっと、こう、具体的に言えませんか?」
はっきりと訊いてくれるのがグラムの良いところだった。なんとなく嫌な感じが訊かれてもしない。ジャクソンやジャイルズでは遠慮があるのか訊いてくれないのである。
「我々は強い。だというのに向かってくる。まるで、我々と戦う方がまだマシだ、とでも言うように。私にはそう感じられてね」
ルディは違和感を言葉にして説明した。つまり、どこかに自分たちより強い存在がいるということだ。敵か味方かも分からない。
「魔獣どもなんざ、何も考えちゃいねえでしょう」
ガッハッハ、と笑ってグラムが言い放つ。訊いておいて笑い飛ばすのがグラムの悪いところだ。
「何も考えてないのはお前だ」
すかさずジャクソンが不敬なグラムの頭を叩く。
「お前だって似たようなもんだろ」
ニヤニヤ笑ってグラムが返す。叩かれたことぐらい、お互い意にも介さない間柄なのだった。
「つまり、大物がいると?それもこの我々よりも強い?」
ジャイルズが総括してくれた。
後ろではジャクソンとグラムが言い合いを続けている。
「まぁ、そういうことだ、と私は思っているが。嫌だな、という感じを受けた。確実に言えるのはここまでだな」
肩をすくめてルディは答えた。
(私には何かを恐れた魔獣が山岳都市ベイルへ殺到している。それを我々が正面から倒してしまったように思える)
ただ、ルディにはいつもどおり『何か』の正体まではわからないのだった。
「さすがにネブリル地方の隣だ、というだけはあるな」
知った顔で頷きながらジャクソンが言う。
「皇都を出たこともねぇ坊っちゃんがよく言うぜ」
ボソリとグラムが性懲りもなく茶々をいれる。
ルディもジャクソンの発言には頷けないのだった。
(少し、南にずれ過ぎているな。ネブリル地方から真っ直ぐに進んできたなら、だが)
ルディは頭の中で地図を思い浮かべる。
(そもそも、線や面で襲ってくる魔獣に対し、山岳都市ベイルという点で守ろうというのは、根本的な間違いではないか?)
ルディは思うのだった。為政者として山岳都市ベイルの存在意義を考えると、対魔獣、ネブリル地方防衛の最前線なのである。
「せっかく、はるばる皇都からここまでやってきたんだ。この町では対魔獣防衛について、長期的な目処を立てておきたいところだね」
ルディは総括し、全員に小休止を命じる。当然、その頭の中にはティアをどうこうする算段などまるでないのであった。




