21 祈りの強要
「リドナーさんっ!」
突き飛ばされて尻餅をついたティアは声を上げた。
紫色の毒煙が視界を遮る。
(うそっ、まともに、毒をっ)
ティアの位置からでは、リドナーが完全に毒に飲まれたように見えていた。
だが、いざ煙が晴れてしまうと、リドナーの位置は思っていたのよりもっと、後ろだったのである。
(良かった、躱せたんだ)
ホッと安堵するティアだったが、パタリとリドナーが苦しげな顔で地面に倒れた。直撃を免れただけ、結局は毒を吸ってしまったのだ。
回避が間に合わなかった。自分を突き飛ばすことで時間を一瞬、浪費したからだとティアにも分かる。
「リドナーッ!」
ガウソルも恐ろしい形相で、斜面を駆け下りてくる。
その姿もまた、樹上から飛び降りてきた茶色い毛むくじゃらの巨体に遮られて見えなくなった。ドクジグモだ。リドナーが毒にやられたから、とどめを刺すべく飛び降りてきた。
思わず、ティアは後退る。毛の一本一本にも毒を含むという。自分などひとたまりもない。
(違う、私じゃない、動けなくなった、リドナーさんを狙ってる)
ティアは相手が自分に向けているのは尻側なのだと遅れて気付く。
「ダメッ!」
ティアは大声を上げた。深い考えなど無い。
「やめろっ!あんたも毒でやられるぞっ!」
ビョルンという若い兵士が告げる。先程、自分とリドナーを心配してくれた兵士だ。近くにはいるものの、さすがに単独での手出しは出来ない。
(あの人が、私を気に入らないからって、置いてこうとして、それで孤立させられたから、だから、リドナーさんは)
ティアはガウソルを恨めしく思う。
「でもっ」
このままではリドナーが殺されてしまう。次は自分かもしれない、という発想も働かなかった。
「ヒーラーがやられたら、誰も助からなくなるだろっ」
ビョルンがさらに叫ぶ。
その傍らに、既にガウソルが迫っていた。恐ろしく速い。
「貸せ」
ガウソルがビョルンの腰に差されていた片刃剣を抜く。許可など待たない。
人間よりも遥かに大きな相手を片刃剣一本でどうしようというのか。自らは近づくことさえ出来ない。無力感に苛まれながらティアは思う。
次の瞬間。
無造作に、ガウソルが片刃剣を投擲した。
極太の矢のように、風を切って、片刃剣が飛ぶ。
(きゃっ)
あまりの迫力に、声にならない悲鳴をあげて、ティアはお尻を地面についたまま後退る。
避ける暇すら与えずに、片刃剣がドクジグモの頭部を直撃し、さらに身体を貫き通すと、後方にあった木にまで大穴を空けて、どこかへと消え去っていった。
頭部に大穴の空いたドクジグモの巨体が横倒しとなって倒れる。地面が震えるほどの重量感だ。
(す、すごい)
ティアは思い、視界に入ってきたガウソルを恐怖とともに見つめた。どれだけの力で投げれば、こんな結果をもたらすことが出来るのだろうか。
が、すぐに我に返った。
「あっ、リドナーさんっ!」
倒れているリドナーにティアは駆け寄ろうとする。まだ間に合うはずだ。今までにも森の中でドクジグモの毒を受けた人々は治療院にまで運び込まれるまで無事だった。
(即死する毒じゃない。まだ間に合う。私なら)
本当は死んだとは言えドクジグモの毒の体毛を警戒すべきなのだが。ティアはもうリドナーの救出で頭がいっぱいだった。
だが、リドナーの治療を開始する前に、身体を浮遊感が襲う。
「おい。もうっ、ぐずぐずとは言わせん。早く神に祈れっ」
ガウソルが自分の胸ぐらを掴んで持ち上げたのだった。
怖いぐらいの形相が至近距離で自分を睨みつける。
その間に、リドナーの身体も細心の注意を払って、他の部隊員たちが、ドクジグモの死体から遠ざけていく。
「ドクジグモの使う毒は、獲物を新鮮な状態で食いたい、なんて悪趣味な理由で即死性じゃない。まだ間に合う。神に祈って、キュアを使えるようになれ。今すぐだっ」
血走った目でガウソルが強要する。
(は、放して)
自分はヒールででも、ドクジグモなら解毒をすることが出来るのだ。一言伝えれば良いだけのこと、ただ胸ぐらをつかまれて、声をうまく出せない。
「言い訳などさせんっ、人命がかかってる!早くしろっ!あれだけのヒールが使えるんだ。少し祈ればキュアぐらい出来る!」
だから祈ることも言い訳も、呼吸が阻害されて、できないのである。
「隊長っ!」
赤毛のヒックスがあわてて駆け寄ってくる。
(早く、放してっ、このままじゃ、リドナーさんが)
こうしている間にも毒がリドナーの身体を回っているのだ。ティアは身体を浮かべられたまま、なんとか逃れようと足をジタバタさせる。
「隊長、いくらなんでも、派遣されてきたヒーラーの娘に乱暴はヤバい」
ヒックス始め数名がガウソルを自分から引き離そうとするも、どれだけ強いのか、びくともしない。
おそろしいほどの力で自分を持ち上げているのだ。しかも、死にはしない、脅し程度の力に留めて。
「早く神に祈れ。リドナーを救え」
怖い顔のままガウソルが繰り返す。
同じ思いのはずなのになぜこうも伝わらないのか。
(祈らなくても、私は助けられるのっ)
息も絶え絶えになりながら、ティアは心のなかで反発する。
「そんなことより隊長、早く町に運んで、解毒剤を調達する方が早い」
ヒックスがびくともしないガウソルの腕を引きながら言う。まだ、ヒックスのほうが建設的に考えてくれている。
「それより、こいつに祈らせたほうが早い」
ガウソルがティアを見据えたまま言う。
(違う、私を放してくれさえすれば)
ジタバタともがきながらティアは思う。なんとか声を出したいのに出せない。そもそもこんな状態で本当に祈らせるつもりがあるのだろうか。
そうこうしている間に。
ガウソルの背後。藪になっている。
茶色い毛むくじゃらの巨体が覗く。
ドクジグモ。2匹めがいたのだ。
ガウソルはもちろんのこと、ヒックス始め分隊員たちもティアに気を取られて気付かない。
(だめっ、みんな、死んじゃう)
何とかしてガウソルに知らしめなくてはならない。
思うもティアはさらに揺さぶられ始めてしまう。手もあげられなかった。
「か、は」
辛うじて声を上げるも、意味をなさない音だ。
次の瞬間、火炎球がドクジグモの口を直撃した。
「うん?」
爆音にようやくガウソルが背後を見やる。
たった一発の火炎球がドクジグモの頭部を焼き尽くして倒した。
「なんだ、もう一匹いたのか」
こともなげに言うガウソル。ドクジグモにはさほど驚いてすらいない。
「な、これは」
ヒックスたちが引きつった顔で固まる。
ドクジグモには驚かなかったガウソルだが。
「まったく、もうっ、何やってるのよ、シグ」
涼しげな声とともにあらわれた女性の姿に、ガウソルが固まる。
ようやく、解放された。
ティアは地面に取り落とされてしまうも、すぐにリドナーに這い寄る。そして、すぐさまヒールを全力でかけるのであった。