208 リドナーの決断2
「おや、もうこんな時間か。早く行きたまえ」
ジェイコブがリドナーの動きに気付き、時計を見て動き出した、当人の部下に告げる。ちょうど正午になろうかというところで、昼食の時間が近い。
ビョルンもニヤニヤ笑っている。
「はい?」
いつもどおり唐突に物を言う上司に対し、リドナーは首を傾げる。
「ティア嬢のところに用件があるのだろう?昼休みの時間に間に合わせたまえ」
全てお見通しなのか。ジェイコブが何食わぬ顔で告げる。
自分がクレイ・ディドルであったことを知るのは守備隊ではジェイコブだけだ。どうやら自分の出生について告げに行くのだ、と勘づいたらしい。
「あぁ、26分隊の時も、いつも行ってたけど。まだ通ってるんだな」
ビョルンもニヤけ顔のまま口を挟んできた。見せる親しみが昔と変わらない。いろいろな話をしてきたものだ。
だが今、リドナーとしては、この友人に対し若干の屈託があるのである。
(ドラコの加護、俺が欲しかったな)
リドナーはちょうど剥き出しにしているビョルンの両肘を見て思う。白い光を放つ星型の紋様が左右の肘に1つずつ現れていた。あれが聖紋というのだろう。
ドラコの加護とはつまり、ティア由来の魔力なのである。
(ティアちゃんからこいつ、間接的に魔力をもらったってことだよな)
思うにつけて、つい、リドナーはじとりとした視線を理不尽にも向けてしまうのであった。魔剣ズウエンまで手にしておいて、更に力を、ということではない。恋人から得られる物はすべて自分が独占したいのだ。
(そりゃ、こいつは恋人いるからティアちゃんに横恋慕することはないだろうけど)
他の人間に加護が行くよりはマシなのかもしれない。そう思うべきではあっても思えないのであった。
「いや、なんとなく考えてることはわかるけど、お前、それ、ひどいぞ?」
呆れ顔で苦笑し、ビョルンが降参だとばかりに諸手を挙げる。
なお、両肘ということはつまり、ビョルンには聖紋が2つ現れたということだ。一人で2つ、などというのは通常ではありえないことらしい。ジェイコブも驚いていた。
(両肘から先、斬り落としてやろうかな)
嫉妬に駆られてリドナーは物騒なことを思うのだった。なんならどちらか1つを寄越せと言いたいぐらいだ。
「まったく、あんな貧相な胸部の娘のどこがいいのやら」
ジェイコブもまた首を横に振って言う。変態にはティアの魅力など理解できないのである。
「まぁ、安心したまえ」
ため息をついてジェイコブが言う。
「もう、ビョルン君の力は彼自身のものであり、ティア嬢由来の魔力などは、ほぼほぼ全く残ってはいない」
ティアの魔力が今は無いのであればぎりぎり理性を保てる。
リドナーは頷いてみせた。
「なお、ビョルンくんは次から恋人も連れてきたまえ。私が指導に集中するには目の保養が必要だ。ディオンから聞くにかなりの美形とのことではないか」
とんでもないことを言い出すジェイコブをビョルンがなんとか抑えようとし始めた。
自分の話ではなくなったので、リドナーは大手を振って治療院を目指す。
そして治療院に着き、待合のレンファからは目配せの許可を得てリドナーはティアの治療室へと至る。
「あっ」
顔を見るなりティアが声を上げた。かぁっと赤面して目を逸らす。
「ん?」
予想通り、先日のことで可愛らしく赤面した恋人の顔をリドナーは意地悪く覗き込んだ。
「意地悪」
目が合うなりティアがむくれた。
「クルルルッ」
肥ったドラコからもなぜだか威嚇されてしまう。
(まぁ、この魔剣、多分、ドラコは良い印象ないよな。それとも、この間の抱擁のせいかな)
リドナーとしては威嚇される心当たりだらけなのだった。
「ドラコも私の味方」
えっへん、と薄い胸を張ってみせるティアがこれまた可愛い。
「そりゃ、そうでしょ」
あまりの当然のことにリドナーは苦笑いである。
患者用と思しき丸椅子に腰掛けた。特にティアから咎められることもない。
いつも通り、昼食を取りにきたとティアからは思われているのだろうか。
実は内心、ひどく緊張しているのだった。
(でも、ここじゃ、ちょっとな)
リドナーは思考を巡らせていた。
「はい、リドの分」
全部、わかってるんだよ、とばかりにティアが布づつみを渡してくれた。
良い匂いがする。中身は今日の昼食である、揚げた肉をパンで挟み込んだものだ。なお、今日は野菜も取れ、とばかりにどっさりとサラダが更に山盛りになっていた。
「ティアちゃん」
リドナーはティアの薄青色の瞳を正面から見据えて切り出す。
「ピッ?」
ティアが盾にしたのはドラコだった。
リドナーの視界をドラコのでっぷりとしたお腹が占有する。
「ティアちゃん?」
苦笑いしてリドナーは問いかける。
「ピッ?」
ドラコも仲良く自分に倣う。
自分を抱き上げてリドナーに突きつけているご主人の方を振り向こうと、身を捩っていた。だが身体が太くて振り向けずにいる。
「昨日の出過ぎた真似が、恥ずかしくて」
恥じらって俯いているようだ。ティアが声を絞り出して言う。
「俺はものすごく嬉しかったよ」
リドナーは戸惑うドラコを受領し、脇にのいてもらった。
おとなしく自分とご主人とを見上げている。
そんなドラコを尻目に手のひらをティアの方に向けた。ニギニギとして見せる。
昨日の感触を覚えているよ、ということだ。
「もうっ!」
ティアがその掌をペチッと叩く。
「で、その昨日のことなんだけどさ」
リドナーは苦笑いして切り出した。いつまでもこうして戯れていたいが、話を進めなくてはならない。ティアの昼休みも決して長くはないのだ。
「うん」
神妙な顔でティアも座り直した。膝の上にドラコを置き直している。
「前に、ティアちゃん、割りとすぐに自分のことを打ち明けてくれたから」
リドナーは言葉を切った。
自分にとっては自分のことを知ってもらうというのは、大きく勇気が要る。
だが、それは公爵令嬢であり、皇太子の婚約者を破談されて追放されたティアも同様だ。
(俺ばかり隠し事は出来ないけど。ただ、ここは、誰が聞いてるかもわからない)
リドナーは思考をもう一度まとめ直す。来る途中でも話の向きを散々考えてきたのだが。
「辛いならいいよ」
気遣わしげにティアが言う。黙ってしまい、心配させたのだった。
「いや、ただ、大っぴらに話せることじゃないから、ごめん、ティアちゃん、次のお休みいつ?」
リドナーは笑顔を作って言う。今までにも何度かデートには誘ったことがあった。同じようなことだというのに、なぜだかひどく緊張させられる。
「明後日、お休みだけど。リドはお仕事、大丈夫なの?」
ティアも緊張した面持ちである。
「うん、大丈夫だよ」
ジェイコブにいって、無理にでも休みを合わせる所存である。リドナーは力強く頷くのだった。