20 山登り
行きは下りだが、帰りは上りになる。
リドナーは第26分隊の最後尾をティアとともに駆けていた。ティアの手前、形だけは走っているが、実際、自分にとっては歩いているようなものだ。
「大丈夫?」
それでも懸命に駆けているティアに、リドナーは声をかける。
小柄なので歩幅も狭い。ティアにとっては何より移動が一番辛いだろう。
(何が憎らしいってさ、ガウソルさん、ついていけるギリギリで走ってるんだよな)
気遣いをまるでしていないようで、問題にならないギリギリを攻めようとしているのが、リドナーにとっても憎たらしい。
ティアが無言で頷いた。走りながらでは話すことも出来ない。無理もない、とリドナーは思った。
ただ、汗だくでも可愛らしい。一体、どういう造形をしているのだろうか。リドナーのほうは、阿呆なことを考える余裕すらあるのであった。
「置いていくぞ、グズグズするな」
後ろを向いたガウソルが言う。ガウソル率いる先頭集団は、すでに上りへと差し掛かっていた。
これから、山岳都市ベイルに向けて登り坂がえんえんと続くのだ。
(こんなとこにティアちゃんを置いてったら、それこそ大問題でしょ)
内心でリドナーは指摘した。
(絶対に助からないんだから)
そうなれば、まず、ティアの派遣元であり、当面の所属先である治療院と揉める。更には実は大聖女レティの妹だと、有事の際にはさすがに公となるだろう。大聖女レティを信奉し感謝している人々からの非難に晒される。何より破談、追放されたとはいえ、血の繋がりは消せない。ティアの実家とも揉めるのではないか。
「無理しないでね、いざとなったら、俺が下から押してあげるから」
リドナーは爽やかなつもりで微笑んで告げる。いざ押すとなればどこを押すことになるのか。分からせるわけにはいかない。下心をすっぽり隠したつもりである。
「だ、大丈夫です」
息を切らせながらティアが答える。
討伐中、一度も弱音を吐いていない。だが、今は少し高い段差を登ろうとして手こずっている。
リドナーは下心を反省しつつ、すっと跳躍して段差の上に立つと、ティアに手を差し伸べた。そして、手を握るやグッと力を込めて引き上げてやる。
下から尻を押そうなどという下心を深く恥じた。
(あぁ、また、ガウソルさんたちが小さくなった)
だが、また本隊と少し距離が開いてしまう。
まるで本気で置き去りにしようとしているかのように、ガウソルがずんずんと進んでいく。
(まったくもうっ!)
リドナーは小さくなっていく愛想のかけらも見えない背中を見て思う。ティア本人が気にする余裕もなく、懸命に歩を進めようと専念しているのも不憫だ。
だが、同じことを他の面々も感じているらしく、ガウソルにただ必死についていくのではなく、かなりの人数が自分たちを気にして、わざわざ歩を緩めて、はぐれさせないようにしていた。
その代わり、ずんずんと進んでいくガウソルのせいで、隊列が不自然に細長く間延びしてしまっているのだが。
「大丈夫かよ、リド」
同い年の分隊員ビョルンが尋ねてくる。紺色の髪の多いティダールでは珍しく、明るい茶色の髪が特徴的だ。
「まぁ、帰りはそう魔獣も出ないだろうし。小物の相手ぐらいなら俺がなんとかするよ。ティアちゃんには指一本触れさせない」
苦笑いしつつも、リドナーは断言してみせた。隣ではティア本人が自分の発言を聞いているのである。今のところは真っ赤っ赤な顔色だ。
「ティアちゃんは何も気にかけることなんてないよ。ガウソル隊長が不貞腐れてて、俺に君絡みの仕事、一任してくれてるだけだから」
リドナーはさらに優しくティアに告げる。
「いや、そうじゃなくて。ガウソルさんに睨まれたら、いくらリドナーだって。気まずいし、何されるか分かんねぇだろ」
心配そうにビョルンが口を挟んでくる。
自分とガウソルとの関係を気にかけてくれたらしい。同年だからか、お互いに入隊当初から仲が良かった。
「どっちかっていうと、あの人が俺に甘えてるんだよ。相手したくないからって、ティアちゃん、押付けたり、安心して辛く当たったりして、さ」
肩をすくめて、リドナーは答えた。現についているのが自分だから、これみよがしに置いていこうとしているのだろう。
「まぁ、そういうトコもあるかもしんねぇけどさ」
少し先を歩くビョルン。ティアを見てから気まずそうに視線を逸らす。
ビョルンもまた、何度かこの討伐中、ティアから治療を受けている。皆と同じ反応だった。可愛らしいとは思っても、ガウソルが怖くて近寄れない。似たような隊員がリドナーの見る限り何人もいる。
(夜這いなんて、俺よりしそうなの、何人もいるでしょ)
リドナーは苦笑いして思う。
(だいたい、大聖女レティ様とティアちゃん、両方を見たこと有る人間がベイルにどれだけいるんだろ)
ティアが大聖女レティの妹にして、ブランソン公爵家の令嬢とわかる人間はそう多くないはずだ。
「ビョルンも先に行っててくれ。そっちも遅れちゃうから」
リドナーはガウソルの小さな背中を指さして告げる。
「いや、いくらお前でも危ない時はある。俺だって、加勢するなり、応援呼ぶなりは出来るから」
言われて、リドナーは嫌な気がした。
ビョルンは仲間思いの良い同僚だ。心配してくれて、助けようという気持ち自体はとても嬉しい。
(問題は、ビョルンのそういうの、よく当たるんだよ)
リドナーは気を引き締め直してあたりを見回す。
異常はないように思える。大物はほぼ狩り尽くしたはずだ。
ティアの手を引きながら少しずつ、しかし、着実に2人も進んでいく。
ガウソルに『変な視線』と言われていたのも気にかかる。野生の獣のように鋭敏なガウソルである。そして口が上手くない。言葉では言い表せないものを感知していたのではないか。
(本隊はずっとさき、守らなきゃいけない、でも、戦闘力に乏しいティアちゃんと一緒)
リドナーは自らの状況を思い、ふと、鳥肌が立った。
弾かれたように上を見る。
茶色い毛だらけの身体。8つの小ぶりな目と目があった。
「ドクジグモッ!」
警報代わりに大声を出す。
大物が、残っていた。一対一で戦って、勝てるかどうかという相手だ。
微妙な勝負になる。リドナーは思い、すぐに違うと気付く。
「ティアちゃんっ、危ないっ!」
リドナーはティアを突き飛ばして、ドクジグモの真下から逃がす。
「敵襲っ!」
ビョルンが叫んでくれているのを耳にした。すぐにガウソルなら声を聞きつけて駆け戻るはずだ。連携としては適切なのだが。
紫の煙がすぐ上まで迫ってきている。
もう間に合わない。
(しくじった)
思いつつも、リドナーは自らも口元と鼻を押さえながら、飛び退こうとする。
少し吸ってしまっただろうか。身体は動かせるのか。
思い、剣を抜こうとするも、そのまま視界が暗くなり、リドナーは意識を失ってしまうのだった。