2 救援〜エフィルス山道
ティダール地方東部、山岳都市ベイルへと至るエフィルス山道。
灰色の猿型の魔物イワトビザルが襲いかかってくる。ベイル守備隊第26分隊分隊長ガウソルは手に持った剣で手頃な1頭を殴り飛ばした。意識を失ったイワトビザルが崖下へと転落していく。
イワトビザルという魔獣は、10歳ぐらいの子供と同等の体高に、豊富な筋肉量がぎっしり詰まっているのでかなり重たいらしいのだが、自分の馬鹿力で殴ると軽く吹っ飛んでいくのだった。
(まったく、あいつは)
どう見ても一目惚れしている。
突拍子もない状況に、ガウソルはどうすべきか分からなくなった。
とりあえずイワトビザルが襲撃したのは乗り合い馬車だ。
(御者と客の安全が第1)
忌々しい魔獣を、この手で殴り飛ばしたい衝動を抑えて、ガウソルは剣を振るう。岩の向こうなどにいても、容赦なく岩ごと殴り飛ばすので、あっという間に剣が刃こぼれしてしまうのだった。
「君、名前は?」
部下のリドナーが背中に少女を守りながら、流れるような剣技でイワトビザルを斬り倒す。灰色の髪色をした小柄な少年だが剣術には天賦の才があった。今では弱冠16歳ながらベイルでも有数の剣士である。
「ティ、ティアです」
岩壁に張り付くよう座り込んだ少女が名乗る。
確かに可愛らしい。肩までで切り揃えられた緑がかった金髪。澄んだ汚れのない碧眼。肌も透けるように白く、人形のようだ。
(見たところ、リドナーのやつと同い年ぐらいか)
目まぐるしく、リドナーの剣が動く度、イワトビザルの死体が増える。
ガウソルの仕事が無くなってしまうぐらいだった。
「安心して。君には指一本、触れさせないから」
リドナーがティアに微笑みかけて言う。
自分とリドナー以外にもヒックスという部下もいる。自分という上司に他の乗客もいるというのに、恥ずかしくないのだろうか。
「すごい」
ティアが小さな手を口元に当てて言う。
調子に乗るからやめてほしい。
「ヒックス、怪我人やら攫われた人やらはいないな?」
ガウソルは苦笑しているもう一人の部下に尋ねた。
「乗り合い馬車のようですな。御者も客もとりあえずは無事なようで」
剣を片手に、乗客と御者の人定事項を確認していたヒックス。
「しかし、こんなベイル近くの道で魔獣が出るとは」
更にヒックスがぼやく。
リドナーの活躍もあって、既に生き残ったイワトビザルたちも崖下へと逃げ始めている。一度退くと襲ってこない性質があるので、しばらくは安心だ。
ただ魔獣の存在そのものが許せないので投石して何匹かを仕留めてやった。自分は何かを投げるほうが強いのである。
「余程、惚れ込んだと見える」
まだ気を抜かないリドナーを見て、ガウソルは呟く。
長い付き合いだが、こんなことは初めてだった。いつもは表情一つ変えず魔獣をひたすら斬り倒してしまう男だ。女子に現を抜かすことなどついぞ無かった。
逆に端正な顔立ちをしているためか女性に人気がある。
「我々は、ベイル守備隊の第26分隊だ。たまたま警らしていて行き合ったので救援に来た」
ガウソルは大声を出した。地声はあまり大きくないのである。やり過ぎると今度はうるさい。
運が良かった、とは自分も思う。イワトビザルは下級の魔獣ではあるが、一般人にとっては恐ろしい相手だ。群れで現れる上、噛まれたり引っ掻かれたりすれば重傷を負うし、攫われれば命はない。
「助かりました。まさか山とはいえ、街道で襲われるなんて」
まだ震えている初老の御者が言う。
リドナーの惚れ込んだティア以外にも3人の乗客がいた。いずれも無傷か軽傷だ。
(魔獣の封じ込め、これはきっちりやっているんだが)
魔獣が襲来するのは隣接するネブリル地方から。
ガウソルらベイルに所属する軍は魔獣の駆逐を至上命題とし、心血を注いできた。
「馬が」
無念そうに横たわった愛馬を見て御者が言う。
「残念だが、損害は国に補填してもらってくれ。魔獣襲撃の証書はこちらから出るようにする。急場は、残りの部下に馬を手配させている。その連中が今、こちらに向かっているから、その馬を借りてくれ」
必死に頭を巡らせてガウソルは告げた。きちんと説明できたので、部下のヒックスが頷いてくれる。
命に代わりなどない。たとえ馬であっても。
愛着があったのか、唇を噛んだまま御者が頷く。苦情などは言ってこない。お互いにこれ以上はどうしようもないのだった。
「うわっ、本当に可愛い」
場違いに明るい声が響いた。剣を収めたリドナーが改めてティアを凝視して告げる。
「君、ベイルに住んでるの?それとも移住?どこかのお姫様みたい」
手放しで本人を直接褒めつつ、質問攻めを開始するリドナー。相手にまで恋心がダダ漏れである。
「え、あの、えっと」
ティアが困った顔をする。耳まで真っ赤だ。
「あまり困らすな、面倒になる」
本当は既に面倒だ。さすがにガウソルも部下を叱りつける。
さらに首根っこを掴んで引き離した。
「今度、会いに行くからっ!俺はベイル守備隊のリドナー。第26分隊にいるからね」
引きずられながら自己紹介と次へのつながりを作ろうとするリドナー。
(身分が違い過ぎるんだぞ?知らないだろうとはいえ)
ガウソルは呆れてしまうのだった。
ティアという少女。ティア・ブランソンというのが名前だろう。顔を見れば分かる人間は分かる。『お姫様』と思ったリドナーはいい線を行っていた。
公爵令嬢だ。どことなく所作に品があるのもそのせいだろうか。簡素な白いワンピースに身を包んではいても。
自分にとっては知らないわけのない名前だった。
(言われてみれば、面影はあるか?)
知った上で、なんとなくティアを見ていると思い浮かぶ顔があった。
「なんだ?」
じとりとしたリドナーの視線に気付いてガウソルは尋ねる。
「ティアちゃんをじっと見て。まさか隊長まで」
いわれのない容疑を受けて、ガウソルはパシっとその頭を叩く。加減してもリドナーが地面に突っ伏すこととなった。
「一緒にするな。少し、知り合いに似ていただけだ」
本当はあまり似ていない。目元口元、顔の造形はよく似ているのだが、あまりに雰囲気が違う。
「知り合いって昔の恋人さんとか?」
どこまでもリドナーにとってはそちらが気になるらしい。
「恋人なんていた試しがないの、知ってるだろ。命の恩人だよ」
低い声でガウソルは告げた。
自然と殺気が漏れてしまってダメだ。
「色恋じゃないなら、良いですけど。隊長、それ、怖がられるから町中で絶対出しちゃダメですよ」
リドナーが口を尖らせる。それ、というのは殺気のことだ。
「隊長がヤバいぐらいに怖くて強いって知ってるの。俺だけなんだから」
思えばベイルに来て守備隊に入る前からの付き合いなのだった。
「分かってる」
視線を感じて、ガウソルは辺りを見回す。まだイワトビザルが未練がましく睨んでいたのだろうか。
風に吹かれれば消えるように、かすかな気配だった。
「隊長、検証のあと、町まで競走しましょうよ、久々に」
甘えるようにリドナーが言う。
部下の他に守備隊の魔獣対策班も臨場するはずだ。魔獣の活動範囲の特定などのためには重要なことであった。
「構わんが勝算はあるのか?」
単純な脚の速さなら自分のほうが上だ。
「新しい近道、見つけたんで」
リドナーが、ニッコリと笑って言う。
「なら、楽しみにしておく」
答えるにガウソルは留めておいた。
弟、というほうがシックリ来る年齢差だが、実際は親子のようになってしまっている。競走をしたい、と言われたのもいつ以来だろうか。
昔、リドナーが一人で魔獣に襲われているところをガウソルは救った。家族もどこかにいたと言うが、リドナー以外は間に合わず救えなかったので、以来、親代わりをしている。
(もう、あれから5年か)
リドナー自身も何かあると自分のことを親代わりだというのであった。
やがて手配していた馬と魔獣対策班が到着する。
リドナーが何事かティアの手を取って熱心に語りかけていた。
「あ、怪我してる」
恥ずかしそうにしていたティアが、リドナーの肩についた傷に気付く。ごく軽傷だが血が滲んている。
「あぁ、これぐらいは君のためなら」
笑顔で気障なことを言うリドナーに構わず、ティアが手を当てる。
緑色の魔力光が生じて、傷が消えた。
「わぁ、すごい。ティアちゃん、聖女様なの?」
再びティアの手を取って、リドナーがはしゃぎ始めた。
ティア・ブランソンが単身でこんな辺境にいるのだから、何かあったに決まっている。何も問題がなければ、大事大事にされていて、当然、皇都にいるはずなのだから。
「ううん、その、私は、ヒーラーなの」
気まずそうにティアが言う。
微妙な違いだ。距離を置いて聞いているガウソルには分かるが、リドナーには分からないらしい。
「すごいや」
にこやかに、微笑むリドナーに対し、口籠って俯いてしまうティア。
やはり姉とはだいぶ違う。
(姉よりあまりに劣るから家からほっぽり出された。そんなところかな?)
なんとなくティアを見ていて、ガウソルはそう推察するのであった。