191 氷の魔剣ズウエン1
天井からじっと見つめてくる黒い大蜘蛛がとても気持ち悪い。リドナーはティアから離れるわけにもいかず、睨み合いに応じるしかなかった。
「よし、燃やそう。出でよ、火球」
ジェイコブが無詠唱で樫の杖先から火炎球を発した。睨み合いに応じるつもりなどジェイコブには無いようだ。
あまりに無造作な一撃。天井を直撃して壊した。無詠唱というのは凄いとリドナーですら知っているものの、意味のない一撃である。
「ちょっ」
リドナーは咎める。天井を壊しただけで、肝心の黒い大蜘蛛には当たっていなかったからだ。そもそも天井越しに撃って意味などあるのだろうか。
「キャッ」
ティアもパラパラと降ってきた破片を浴びて、可愛らしい悲鳴とともにうずくまる。
(そこで、しばらくそうしててもらおうかな)
まだ赤いローブの男、予言者や仲間なども近くにいるかもしれない。ある程度、安全確認が出来るまで、ティアやドラコを視界から外したくなかった。
(俺の近くにいたほうがいい。俺、動きづらいけど)
リドナーとしては思っていたのだが、ティアのムン、と結んだ口元が気になるのだった。何かを決意している気がする。
「ふむ」
ジェイコブが自らの作った大穴を見上げる。
一度逃げていた、黒い大蜘蛛が戻ってきて覗き込んでいた。どこかドクジグモとは違う気がする。
「せっかく作った神殿が台無しではないか。私が自ら設計したというのに」
自分のせいだというのに、悪びれずに言うジェイコブなのであった。
「あれは、ドクジグモなんですか?」
リドナーは油断なく黒い大蜘蛛を見つめて尋ねる。
すぐには襲いかかってこようともしてこない。魔獣にしては随分と慎重な印象を受ける。
「あれは、蜘蛛の魔獣では上位種にあたる、ゴルアゴスパイダーという魔獣だよ。安心したまえ、ドクジグモのような毒素は持ち合わせていない」
歩く魔獣事典とでも言うべきジェイコブがとうとうと説明してくれる。
ドクジグモの毒にやられたことのあるリドナーとしてはドクジグモでないというだけでも嬉しい情報だった。
(かなり大きいけど、でも)
リドナーはいつでも魔剣ズウエンを抜けるよう柄に手をかけていた。
どれだけ睨み合っていたのか。するするとゴルアゴスパイダーが大穴から屋内へと這い入って来る。
まだ睨み合うような状態だ。
「私が魔術を放っても素の状態ではあっさりと躱されてしまうだろう。そうすると、また、神殿を壊されかねん」
自分の放った魔術による破壊であっても、悪いのはあくまでゴルアゴスパイダーということに、ジェイコブの中ではなるらしい。
(でも、たしかにそのとおり)
リドナーも納得はしている。魔術を乱射されるよりも、自分とゴルアゴスパイダーとがやり合っているところを狙ってもらった方がいい。
「君があれを引きつけてくれたまえ。そうすれば私が灼き尽くしてやろう。あれも、よく燃えるのだよ」
ハッハッハ、と笑い声を発してジェイコブが言う。魔獣と睨み合っているのによく笑えるものだ。
「リドが、そんな危ないことしなくても」
ティアが下方から上目遣いに言う。
あまりの可愛らしさにリドナーは戦う前から卒倒しそうになった。
「ドラコッ!大きくなって!あの黒い、大っきな蜘蛛、やっつけよう!」
ティアの口から恐れていた言葉が出た。
勢いよく立ち上がる。勇気を振り絞って巨大な魔獣に立ち向かおうという姿勢は立派なのだが。
(俺もジェイコブさんもここにいるんだから、そんな、ドラコを戦わせるなんて)
ティアのことである。人任せにしようという発想はない。
「私もここに残るから。ヒールでも魔力供給でも、出来ることは何でもするから」
思った通りの言葉をティアが発する。
「ピィッ」
困ったように、悄気げた声を出す。ドラコの気持ちがリドナーにはよく分かる。自分が戦うというだけならまだしも。ティアまで踏みとどまらせて危険に曝すのは嫌なのだ。
「そんな必要ないよ、ティアちゃん。俺もジェイコブさんも戦えるんだから。それにこれだって」
リドナーは魔剣ズウエンを抜き放つ。青白い光を煌々と発している。魔力は十分ということだ。
(そして、さらに魔獣を斬っていけば、またどんどんと力が増していく)
リドナーは刀身の光越しにゴルアゴスパイダーを見つめて思う。
本当に用心深い敵だ。だから、これだけ話をしていられるのだが。
強烈な力をリドナーは魔剣ズウエンから感じる。迫力や圧迫感と言い替えてもいいかもしれない。
「ピッ、ピィ〜〜〜」
魔剣ズウエンの迫力に怖気づいて、ドラコがゴルアゴスパイダーに背を向け、治療院の奥の方へと飛び去っていく。
「あっ、待って!だめっ!ドラコッ!大っきくなって!リドを助けよう!」
ティアもまた慌ててドラコを追って、治療院の奥側へと駆けていく。一瞬、ためらって自分の方を見る。だが、ドラコを単独にしておけないのも間違いのないことだ。
「追ってあげて」
リドナーがうなずいてみせると、ティアも駆け去っていく。
ドラコのおかげで、やる気十分となってしまったティアを体よく危険地帯から除去することに成功した。
(よくやった)
怯えたふりをして芝居をしてくれたドラコのことをリドナーはねぎらうのであった。