189 あえて動かない利点3
魔獣の襲撃と聞いて、治療活動を中断できた職員から順にわらわらと人が集まってきた。一体、何事かという顔であり、事務職員から用務係、医師にヒーラーまでいる。
(こうして見るといろんな立場の人が働いているんだなぁ)
なんとなくリドナーは思うのだった。
集まる人々の真ん中ではジェイコブが涼しい顔で周囲を見回している。『目の保養』となる美女でもいないか視線で物色しているのだろう。
「リドッ!」
不安そうな顔のティアも一番遅れて駆け寄ってきた。ドラコも一緒だ。
(また、顔が見られた。嬉しいな)
2人を人混みの最中に入れたくなくて、リドナーは自ら輪の外へと歩いて出た。
「ピィッ」
ドラコが自分を見て嬉しそうに鳴き声を上げた。だが、なぜだか少し怖じけた様子でティアの陰に隠れてしまう。
(こんなもの、吊ってるせいかな)
リドナーは他に心当たりもなく、魔剣ズウエンの柄に手をやって思う。
「どうしたの?また魔獣?」
ティアが上目遣いに尋ねてくる。自身の可愛さを自覚していないのだろうか。
「街の外でだけどね。ツリークイッドって、また大きい魔獣だよ」
なんとかリドナーは理性を保って説明する。人目がなければ抱きすくめて耳元で囁いているところだ。
(うん、俺も部隊のみんなに毒されてるかも)
自身に呆れてリドナーは思うのだった。
なお毒素の出どころであるジェイコブがまだ人の集まりを待っている。直近の人間には何かしらか説明しているようではあるが。
「行かなくていいの?その、強い魔獣なら、リドとかジェイコブさんは」
ティアが遠慮がちに問う。そう思うなら小声で『リドが危ないの嫌だけど』とか言ったり、服の裾をキュッと掴んだりしないでほしい。
リドナーとしては悶絶しそうになるのだった。
「ヒックスさんたちが頑張ってるから、今のところは大丈夫だよ」
リドナーは言い、恋人を安心させにかかる。いずれにせよ自分の役割は今、ジェイコブとともに神竜ドラコとティアの警護なのだ。
知っている人間の名前を出したことで、ティアがほっと安心した顔を見せてくれる。
(むしろ、狙われるなら、ティアちゃんとドラコだって話、したらかえって怖くなるだろうからしないけど)
リドナーはティアの緑がかった金髪を見下ろして思うのだった。
「何事だいっ!まったくっ!」
とうとう騒ぎを聞きつけた治療院院長ライカも姿をあらわした。誰よりも声が大きい。
ヒーラーや事務員たちが道を開ける。
騒ぎの元凶であるジェイコブと、ライカが正対した。なお、ライカのジェイコブに対する心象は綺麗なヒーラーたちへのいやらしい視線のせいですこぶる悪い。
「魔獣です。町の外にツリークイッドが迫っております。私とリドナー君がこの治療院に待機しようと思うのですよ」
落ち着き払った様子でジェイコブが説明する。今後もレンファやネイフィを目の保養としたいからか、ライカには丁重な口調を崩さない。
(かえって気持ち悪いぐらいなんだけど)
内心でリドナーは指摘するのだった。
「ツリークイッドだって?だが、まだ町の外にいるんだろう?なんだって、あんたとリドナーがうちに来るんだい?」
ライカが訝しげな顔をする。ただ美人のヒーラーを見に来ただけだろう、と。ジェイコブが日頃の言動がおかしいからいけないのだった。
ライカが自分の方を向く。正確にはティアとドラコを見たのだ。
「ここが別のやつに狙われるって?そういう話かい?」
少ししてからライカが告げた。
「いかにも」
ジェイコブが涼しい顔で頷いた。
周囲が不安そうにどよめく。先日も四色の虎による破壊活動を受けたばかりなのである。職員たちの中には魔獣への恐怖が染み付いていた。
ティアも例外ではない。
リドナーに一度言われていてなお、ジェイコブからも言われていて不安なのか。ピタリと身を寄せてきた。
無論、リドナーの本当の方は大喜びである。
一層の愛おしさしか感じないのだが。
「今までの展開からしても間違いないでしょう。ツリークイッドは陽動だ。そこそこ厄介なのは困るが、幸い、私とリドナー君抜きで対処できないほどでもない」
ジェイコブがさらに説明する。
「分かった。好きにしな。待合室を使っとくれ。ジェイコブ、あんたは、待合室。リドナーはティアについてりゃいいよ」
ライカも納得した。
「ふむ。若い男女、恋人同士を同室させるのですか?」
なぜだかジェイコブが今更、咎めるようなことを言う。
「あんたをのさばらせるよりは断然マシさ。リドナーの方は節度をちゃんと持ってるよ」
ライカも正面から回答するのだった。
「他の第1部隊隊員たちも警邏して回っているので、無理にリドナー君とティア嬢を同室させる必要はありませんよ」
しつこくジェイコブが言うのだった。
「うっさいねっ!あんたは自分の心配をしなっ、少しでもうちの娘たちにいやらしい視線をまた向けたら、叩き出してやっからねっ」
とうとう一喝して釘を差し、ライカが院長室へ去っていく。
付近を守備隊としてきちんと警戒している以上、治療院としては通常営業ということだ。
「もちろん、そんなことはしない。まったく、何のためにトレイシー女史をわざわざ伴ってきたと思っているのやら」
ジェイコブがため息をついて言う。
「ええええ」
思わぬ被害を宣告されたトレイシーが悲鳴を独り、小さくあげるのであった。