184 動く魔獣の墓場2
駐屯していた場所からネブリル地方寄りへと進む。
(確かにおかしいな)
ヒックスも木々をかき分けて進みながら思う。
魔獣とまるで出会わない。通常の、平時であってもイワトビザルの数匹くらいとは出会すものだ。まして、ここ最近の厳しい情勢が続いた後では尚更、異常だった。
山を下って、かなりの距離を進む。
ペイトンが立ち止まった。斥候部門出身なだけあって、慎重に息を潜めてあたりを見回す。
「ヒックス長、ここです」
何の変哲もない森の中、としかヒックスには思えなかった。
(なんだ?)
ヒックスは疑問に思うも、たばかられたという気はしない。元々ペイトンと行動をともにしていた者達も、一様に緊張している。
そして一様に視線を樹上に向けていた。顔が凍りついている。
「うわっ」
同じく上を見上げたビョルンが声を上げた。
ヒックスもまた釣られて、見上げ、固まってしまう。
「なっ」
我が目を疑う。
無数の魔獣が木の枝に絡めとられて干からびている。
イワトビザルにチバシリドリのほか、マウントキャットやレッサードラゴンと思しき亡骸まであった。
「あまり、声をあげるな、ビョルン。ヒックス長も同様に願います。何か大物かもしれません。そして、声や音で反応するかも」
ペイトンが落ち着き払って告げる。
ヒックスは思い出した。ペイトンが斥候として優れていたのは探索だけではなく、腕っぷしが強いこと、そして魔獣への知識が豊富な点だ。父親が魔獣関係の学者だったのだという。
「そうだな」
何か危険な魔獣がいるのは、ほぼ間違いない。
(だが、ペイトンたちも一度は生還出来ている。息を潜めていれば、この場は戦わずに切り抜けられるだろう)
ヒックスは思い、息を落ち着けて少しずつ後退る。
すぐにでも本営に知らせたほうがいい。
(しかし、何が?斥候部門を向けてもらうにしても、相手がわからないんじゃ危険過ぎる)
思っていると視界の隅で何かが動いた。
「ビョルンッ!」
鋭い声を上げて、ペイトンが担いでいた長剣を一閃させる。膂力がペイトンは強い。使う得物も長いのだ。
木の枝が一本、ビョルンに襲いかかろうとしていた。
「敵襲っ!」
続いて枝を切り払ったペイトン自身が大声で叫ぶ。
釣られて皆も一様に剣を抜く。ヒックスだけは弓に矢をつがえる。
切り払った枝が、うねうねと蠢いている。まるでヘビかミミズのようだ。
(木の枝なのか?これは)
ヒックスは悍ましい物を目の当たりにして目を背ける。
「あっ!あれをっ!」
ビョルンが木々の向こうを指差して叫ぶ。
特に巨大な大木が、こちらに向かってくる。幹の下部に1対の眼球が見えた。間違いなく魔獣だ。
「ツ、ツリークイッド、陸を歩く烏賊だっ!」
なおも長剣を振り回して、次々と襲い来る枝を切り払うペイトンが叫んだ。
ヒックスも聞いたことがあった。
陸生の大烏賊であり、木々に擬態して無数の触手で獲物を襲う。獲物には人間も魔獣も含まれる。
大木としか見えないので獲物は何も知らず、迂闊に触手の包囲網に足を踏み込んでしまうこととなるのだ。別名は『動く魔獣の墓場』である。
「手強いぞっ!」
ペイトンが言い、触手を相手に戦い続けていた。ビョルンたちも木を剣で斬りつけては逃げ回って、を繰り返している。
幹の下部にある眼球が自分たちを睨みつけていた。
(いや、違う。こいつは)
ヒックスは気付いてしまう。
睨まれているのも狙われているのもビョルンだ。
「わわっ」
ビョルンが繰り出される枝を相手に必死で防戦と回避に努めている。
ヒックスやペイトンも触手からビョルンを守るように動くしか無かった。なぜだか自分たちには見向きもしないのだ。
「ちぃっ」
ヒックスも矢をひょうっ、と放ち、ビョルンを襲おうとしていた触手を射抜く。
(効果が薄いか)
巨体に矢を放っても針でチクリと刺す程度のものだ。せいぜい少し怯ませる程度だろうか。
なぜビョルンばかりが狙われているかもわからない。
「くそっ!俺たちじゃ手に負えんっ!退くぞっ!」
ヒックスは怒鳴った。いつ自分たちに矛先を変えてくるかもわからない。今はビョルンばかりが狙われているから死なずに済んでいるのだ。
「どうやってです?ツリークイッドの触手は恐ろしく射程が長い。どこまでも追ってきますよ。まして、いまは纏わりつかれている」
長剣を振り回しながらペイトンが指摘する。
(確かにそのとおりだが)
たった10人で、あの巨体にどう立ち向かうというのだ。
纏わりつかれていることだけでもなんとかしないと、このままでは全員が触手に絡め取られて、樹上の亡骸とおなじ末路を辿ることとなる。
「くそっ、くそっ!」
狙われていたビョルンが立ち止まり、胸の前で静かに両手を合わせた。
「おいっ、こんなときに何をっ」
避けてくれないと守れるものも守れない。
「いや、ヒックス長」
ペイトンが自分を制するように言う。
(なにっ?)
ヒックスも気付く。ビョルンの両手を白い光が覆う。神聖な魔力の白い光だ。
「神竜様、私に力を」
静かにビョルンが、告げる。神竜に゙祈りを捧げていたのだ。
「閃光をっ!ライトリバーッ!」
ほとばしる光の奔流。ただの光だが聖なる気配を嫌ったのか、一時的に触手が一斉に後ろへ引いた。
さらには目の眩んだのか、ツリークイッドが触手の何本かで目を庇うようにしていた。
「よしっ!」
ペイトンが皆の頬を軽く叩いて正気に戻す。
「今のうちに本隊のいるところまで退がるぞっ!」
ヒックスは声を上げて、降って湧いた敵から逃れるべく山岳都市ベイルのほうへと退却していくのであった。