178 手紙
リベイシア帝国第1皇子ルディは平原都市リンドスで予定よりも多くの日々を費やすこととなった。何か不手際があったから、というわけではない。
(ぐっ、頭が痛い)
二日酔いにルディは頭を抱える。
『ネズ燃しの儀』での盛り上がりが予想を大きく上回るものであったため、そのままの勢いでリンドスの人々が自分を称賛してやまなかったのだ。
結果、連日の酒盛りに付き合わされ、もう10日近くになる。日々、違う有力者、違う組織から招待されるのだ。
ようやく1日、酒のない一夜を過ごせたものの、甚大な負担を肝臓に強いたのであった。
カレン・メルディフからの手紙が手元に届いたのは酒盛りのあった日のどこかである。落ち着いて読める日すら、ほとんどなかったのだ。
「まさか、君から手紙が届くとはね」
眼の前にいない、しっかり者の令嬢にルディは呟く。カレン本人の前には、連日で酒を飲んた後の姿など晒すことは出来ない。何を言われるか恐ろしいのだ。
(だから、手紙も、というわけではないが)
さすがに酒を飲んだばかりの頭で目を通すのは申し訳なくて、封を切らずにいた。
今はぎりぎり大丈夫だろう。
ルディは身構えるような気持ちで封を切り、数枚の手紙を取り出して目を通していく。
警告や諫言ばかりを繰り返してきたカレンからの手紙である。
(これは、本当にカレンからの手紙なのか?)
思わず手跡や署名などを検めてしまう。
予想に反して、手紙に記されているのは巡視で為した功績へのメルディフ公爵家一員としての謝辞であったり、ルディの健康や安全を気遣うような言葉だったりした。
皇都で顔を合わせていた頃のカレン・メルディフからは想像もつかない言葉の数々だ。目を疑ってしまう。
何かあったのだろうか。
(我々は交際すらしていない。世間的には疎遠なぐらいだと思うが)
ゆえにカレンからの言葉も、この手紙ではどこか遠慮がちに進んでいく中で。『無事に戻られたらぜひ、またお会いしたいです。口論してしまうかもしれませんけど』などと締め括られているのだった。冷たいような、はにかんでいるような不思議な印象である。
「本当にこれはカレンからの手紙なのか?」
繰り返してしまった。それぐらい信じられない。
まじまじと文面を見つめてしまう。
絶対に咎められると思っていた、なんなら出立前には直接詰られたティアを復縁することへの警句すらもない。
代わりに派遣されたグラムの働きぶりがどうか、と書かれていた。
ルディはしばし手紙と見つめ合う。
「特に問題はない」
思ったよりも硬い声が出た。なにか良くない気がする。
所詮は紙なのだ。自分は何も気張ることはない。
「素晴らしい人材を送り込んでくれてありがとう。彼はよく働いてくれている。知らない人間ばかりだというのに」
するすると言葉を紡ぐことが出来た。
(そうだな、こうやって返事を書いていこうか)
感謝をするのが当然だ。メルディフ公爵家にとっても1人とはいえ、精鋭を送りこんでくれたのだから。依頼していた派兵とは別に、である。
してくれた配慮を当たり前のことと思ってはならない。
ルディは筆を執って手紙をしたためた。
冷静になって、ものを考えることが今なら出来るような気もする。
(素直に今回は、カレンから手紙を貰えて嬉しかった。お互いになんの打算もない。そんなやりとりが嬉しいだなんてね)
グラムを送って貰えて嬉しかったのも同じ理由かもしれない。自分のしようとしていることの意義を認められたと思えたから嬉しかったのではないか。
(カレンはどう思うかな?)
自分もまた、特になんの打算もなく、思ったことをすらすらと書いて送ることとなる。
少しだけ楽しみに思いつつ、郵便部門の文官に翌日、ルディは手紙を託した。
自分は逆方向、いよいよ本日、山岳都市ベイルへと向けて出発しなくてはならない。
晴れ渡る空の向こう、横に長い裾野の山が目に入る。鉱山都市ビクヨンでジャイルズの指摘したとおり、緑深い山と見えた。
(あの向こうが魔獣の巣窟、ネブリル地方、か)
ルディは更に山向に広がるであろう土地にも思いを馳せるのだった。
ゆっくりと平原都市リンドス、その東側の城門へと進んだ。連日の盛り上がりに気が引けて、くれぐれも見送りなどはしないでくれるよう、ルディはチャルマーズ執政には頼んでいる。
準備の整った馬車に近づいて乗り込む。
なんとなく振り向いたところ、城壁の上、鈴なりに人々が並んでいる。
「殿下っ!」
「ルディ皇子殿下っ、万歳っ!」
一斉に人々が盛り上がる。ここ数日、何度も目にしてきた光景だった。
人払いのため、秘匿としておいたはずである。
疾駆して自ら言いつけを破って見送りに来たチャルマーズ執政をみとめて、ルディは苦笑いだ。
「困ってしまうね」
誰にともなくルディは告げた。
「なぁに、ネズ燃しがよほど嬉しかったんでしょうよ」
グラムが笑って取りなしてくれる。
「俺等も楽しかったですしね」
護衛長のジャクソンも同調する。
「君らは私を除け者にして大物を仕留めたからね」
そこはわざと恨めしくルディは指摘するのであった。
「たまにゃいいじゃねぇですか。俺等に大物を譲ってくれても」
ガッハッハ、と豪快に笑ってグラムが告げる。
民衆の中にはグラムの『イーッ』を真似している子供たちも散見された。バダイラッドを仕留めたことでジャクソンとグラムも平原都市リンドスでは人気者になったのだ。特に分かりやすいグラムの方は『イーッの人』と記憶されているのだった。
「ルディ殿下っ」
追いついてきたチャルマーズが告げる。
「チャルマーズ執政、困るな。私はこそっと町を後にするつもりだったのに」
ルディは苦笑して恨み言を述べる。
「ネズ燃しの儀を実施してくださった恩人を前に、そんなことは出来るわけもありません」
生真面目な顔のままチャルマーズ執政が言う。
「殿下、町を代表してこの私が御礼を申し上げます」
声を張り上げるチャルマーズ執政。『ずるいぞ、執政!』とすかさず野次が飛ぶ。
「そして、殿下、鉱山都市ビクヨンでは、殿下のご活躍に対し魔石の矢でもって報いたのだとか」
チャルマーズ執政が微笑んで切り出した。
従者数名が木箱を運んでくる。蓋を開けると24本の瓶が並べられていた。
「いやいや、チャルマーズ執政」
これ以上、なにかされては今度は自分の方が申し訳ない。ルディは固辞しようとした。
「こちらはリンドスの地下水を神殿で清めた聖水であります。まだ神竜様、ご存命のときに作られた最後のものです」
とんでもない物が飛び出してきてルディは絶句する。
「なに、神竜様は復活されました。やがて成長されればもとのようにいくらでも作れます」
チャルマーズ執政がルディの気持ちを読んだかのように言う。
「で、あれば今、ティダールの地のため活躍する方が活かしてください。これをビクヨンで得た魔石の矢とあわせて、殿下の力量で放てば、神聖魔術並の強烈な一撃となります」
チャルマーズ執政の言葉にルディの言葉も揺れた。
「わたしたちも楽しみにしているのですから、お受け取りください」
断れるわけもなかった。
ルディはグラムとジャクソンに目配せする。2人が従者から受け取って丁重に馬車へと運び込んでいく。
「ありがとう、チャルマーズ執政、いや平原都市リンドスの人々。有り難く活用させて頂くよ」
ルディは丁重に各方位の住民たちへと頭を下げるのであった。