175 魔獣討伐部門の推進
治療院を物足りない気持ちでジェイコブは後にする。
幼体の神竜ドラコが実に健やかな成長を辿っていることには安堵した。甘噛ではあったが、噛まれた感じでは、歯の方も問題はないようだ。
(良い突進だった)
頑強ではないながら、成人男性の自分の鳩尾に痛烈な一撃を加えたのだった。
(そして、思いの外、鋭く賢い娘だ)
さらにティアについてもジェイコブは思うのだった。
(色気は無いがな。16歳とは思えん)
目の保養というわけにはいかず、教え子に話しているような気分で、延々と語ってしまっていた。理解できているようでもあり、リドナーと並んで利発だと思う。
物足りないのは、レンファやネイフィに会えなかったからである。もしかすると、避けられているのかもしれない。
「まぁ、現在、教え子のようなリドナー君の恋人だから、彼に良いように話しておいたが」
ポツリとジェイコブは声に出して呟く。
恋人思いのリドナーである。神竜ドラコを伴ってティアが戦場に出てくるなど悪夢のようなものだろう。
山岳都市ベイルの中は復旧作業が進められつつ、落ち着きと活気を取り戻していた。商家も賑わっているようであり、物を売り買いする声が商店街を歩いていると耳に入る。
(それに、神竜様を育てる、ということもあるから、宗旨替えをされても困る)
目下、ティアの他に神竜ドラコを神竜として、育てることの出来るものはいない。無信心、というのが自分にとっても都合が良いのだった。
さらに商店街にさしかかり、歩きながら赤いローブの男にも考えを巡らせる。
(接触してきた、ということは、その魔獣使いは養えるのかもしれん、神竜様を。だが、そのときには)
ドラコは神竜ではなく別種の竜となるのではないか。
根拠も確信もなく、ただの類推だがジェイコブはそう予想している。食べるものは食べたその者の身体を作る、大事な要素なのだ。
(やはり、ティア嬢の魔力は神竜様にとって格別なのだ。そして神竜様は太り過ぎだ)
一撃の重みは体重によるところも大きいのだった。
『どんな魔術が使えるか試してみたい』というのもティダール人では思いつきもしない不敬な発想だった。挙げ句、試しをしたいがために魔力を独断で多めに注いだのだろう。
「とんでもないことをする娘だ」
今後も注意を欠かすことは出来ない、とジェイコブは思うのだった。
やがて目的地につく。下宿先の古びた貸家ではない。
清潔な守備隊の本営である。
総隊長のヴェクターに会いに来たのだった。
ジェイコブは誰何を入れて中へと通してもらう。
「動物部門の運営は実にうまくいっている。人材をバラけさせるより纏めた方がいい、というのは現状に即していたのだな」
満足げなヴェクターの第一声である。
「接近される前に数十匹のレッサードラゴンをあっさり駆除しているのだからな」
ディオンとスタッダたちが索敵して見つけた、と言っていたことをジェイコブは思い出す。
「まだ強敵には当たっていない。これからだ」
対してジェイコブが告げる。
自分とリドナーのいる討伐部門の第1部隊。役割がはっきりした分、動き出しが鋭くなった、という印象は持っている。対魔獣の駆除という面では大事なことだ。
「当たらないに越したことはない、と思うが」
上機嫌なまま、ヴェクターが言う。
「魔術師も加入してくれたからな。お前だけではない、口添えしてくれたことにも感謝する」
誰のことを言っているか、はジェイコブにもわかった。
「トレイシー嬢は私の目の保養だ」
顰め面でジェイコブは告げた。
守備隊に便利に使われて引き離されてはかなわない。同じ第1部隊在籍のままにしてほしかった。
「本人がよく働いてくれる。本人の意志なんだからいいだろう?」
ヴェクターが更に言う。
剣を振り回すしか能のない一団に1人でも魔術師が加われば大きい。今までは魔術院に申請を出して人材を借り受けるしか無かったとのこと。
(彼女の上司が私の弟子だったからな)
今でも並の魔術師でしかない男だったが、ジェイコブの言うことには逆らえないのだった。
「かつての王都の魔術師の基準ではほぼ一般人だ。彼女もまだまだこれからの人材。私の指導が必要だ」
ジェイコブは首を横に振った。『一般人』は言い過ぎだし下心も間違いなく自分の中にはある。だが、指導が必要だというのも嘘ではなかった。
(私一人で魔術師の手が足りん、ということも今後、間違いなくあるだろうし。私も永遠にはいられないし、いたくない)
所詮、地方都市に過ぎない山岳都市ベイルである。
ジェイコブ自身としては自分の才能と能力はもっと広く役立てられるべきものと思っていた。
「ジェイコブ、君には感謝している。問題のある言動も多いがガウソルのいなくなった穴を、ここまで埋めようとしてくれるとは」
愚かなことをヴェクターが言いかけた。
「シグもマイラも友人だ。嘘をつくのは信念に反するから神竜様は神竜様だ、と言ったが。シグの守ってきたものが、本人を追ったことで崩れるのもどうかと思っただけだ」
まして、神竜を害した男となってしまう。
自分が甲冑狼にして、それでも心を失いきらずに戦い続けているのがガウソルだ。嫌うわけがない。不在の穴が生じるなら当然に埋めてやりたかった。
「そのガウソルの家から持ち出した剣を、カンテツ老人といじっているそうだが」
氷の魔剣ズウエンにもヴェクターが興味を示す。
「あれもシグの養子だからリドナー君に使わせる。使いこなせるはずだ、と私は思うがね」
魔剣というのは人を選ぶ。
ジェイコブとしても、リドナーと魔剣の相性については信じるしか無かった。
「ガウソルの養子だから肩入れしているだけ、か」
ヴェクターがしみじみと言う。
「この町で今、優秀な素材といえば、筆頭が神竜様とリドナー君だ。特に評価の確立されている神竜様よりも、当座はリドナー君にテコ入れしたほうが良い」
あえて名前を挙げなかったが、ティア個人も同等かもしれない。
ジェイコブは実戦に不安の残る我が身を思う。
(私の戦いはむしろ、戦いの前にこそあるのだ)
ティダール王国であったときから変わらない。
甲冑狼のこともそうだ。いざ始まってしまうとあまりに戦場は危険過ぎる。だから戦える人材を用意する仕事に就いた。
「他にも守備隊に人材はいるだろう」
ヴェクターが少しムキになったように言う。
「ディオンやスタッダなども悪くないな。だが、双子も含めて小粒な感は否めない」
ジェイコブは頷いて具体的に名前を挙げて言う。
「精鋭を作る、という私の考えを取り上げたのは良い決定だった。実践もしていて、そこは評価しているが」
ジェイコブはヴェクターに釘を差しに来たのだった。
「この町はシグに甘えていた。その反省を活かしたまえ。有望なリドナー君や神竜様を潰すなよ」
悪意があって、ガウソルの件が悪く出たのではない、とジェイコブも理解しつつ、それでも言わずにはいられないのであった。