172 近況
ティダール地方の大都市は衛星都市や近郊に村をいくつか抱えている。地方の中規模都市に位置づけられることの多い山岳都市ベイルも衛星都市とまではいかないまでも、いくつか周辺に村があった。
マイラはガウソルとともにその村の内、南西にあるレルクス村を東に過ぎて、ネブリル地方入りしていた。山岳都市ベイルが東に突出しているがゆえ、真南もまたネブリル地方の外縁部にあたる。
「物足りんな」
ほそっとガウソルが切り開いた森の中で告げる。
住もうと思っている場所だから魔獣の死骸は遠くにやっていた。
木造の小屋がガウソル越しに目に入る。
「そうねぇ、ちょっとおかしいかも」
マイラも相槌を打った。
ガウソルなりに思うところがあってネブリル地方に居を構えることにしたのだ、と理解している。
「敵が少なすぎる」
不満気にガウソルが並べた。
結局、甲冑狼としての生き方を模索し始めたガウソル。とりあえずは魔獣とのはてなき戦いのため、ネブリル地方入りしたのだった。
(だったら、私はついていくだけ)
マイラは腰に吊った剣を意識しつつ、改めて思うのだった。
魔獣の存在を感知するとガウソルとともに戦いを挑んで仕留める。それ以外の時間は住環境を整えることに費やしていた。
家を建てて水を引く。最寄りのレルクス村からの道も確立しようとしていた。
(戦いを生業としても、帰る家が要る。シグなら、ねぐらって言いそうだけど)
寝て食べて、雨露をしのげる場所。何年も暮らせるように少しずつ手をかけて頑丈にしていく。
「敵だけいればいいってもんじゃないのよ?」
ゆえにマイラは笑って告げる。
自分はいろいろと気を回し、こつこつ作り上げていくのが好きなのかもしれない。楽しくてしょうがないのだった。
「そうだな、いろいろとすまない」
申し訳無さそうにガウソルが言う。小屋の建築もマイラがやったからだ。
「いいのよ、力仕事は十分以上にしてくれるんだから」
マイラは積み上げられた木材や石材に目をやる。
これをどう活かすか考えるのも面白そうだ。
「食事も生のお肉ってわけにはいかないわよ?ちゃんとしたものをたべて、身体を整えるのも戦いよ」
マイラは言い、周囲に鋭い一瞥をくれる。
怪しい気配はしなかった。良いことだ。
「そういう風に言われると俺も納得がいく」
肩をすくめてみせるガウソル。実際、生の肉を食べても平気な内臓自体は羨ましいのだが。自分の前ではわりかし人間らしくしてくれる。
(そして、私の前では、シグをシグらしくいさせてあげたい)
マイラは愛しい武人を見て思うのだった。
「食糧を買うのにお金が、運ぶのに道が、何かを売り買いするのには相手が必要で。考え始めたら、何から何まで、キリがないわね」
マイラは並べ立ててみる。
「やることがいくらでもある。やり甲斐があるな」
ガウソルもニヤリと笑って言う。どこか獰猛なこの笑顔に最初からマイラは心惹かれてしまったのだった。
「ただ、いくら外縁部とはいえ、もう少し歯応えがあると思っていたんだが」
再び首を傾げてガウソルが言う。
自分たちがまだ滞在していた時にも、魔獣の襲来が山岳都市ベイルでは多かった。山という地勢を活かして人間側がかなり押し込んで作った都市である。もともと襲われることが多いという想定はあるのだが。
(それでも多かったわね、特に私が来てからは)
マイラは思い返していた。
「ベイルがやたら襲われてたのと、ここの魔獣の少なさ。何か関係があるのかしらね」
当然だが魔獣の数も無限ではない。この辺りの魔獣がわざわざ北上してベイルを目指したのだと今は分かる。
結果、山岳都市ベイルは魔獣に襲われる頻度も数も質も異常だった。
(まるでなにかに追い立てられたみたい)
ここまで考え至ると誰かの意図的なものを感じる。
「誰かがこの辺りの魔獣をベイルにけしかけたんだな。四色の虎を呼び出した赤いローブのやつもいたし」
こともなげにガウソルが言う。
「ちょうど、私もあいつを思い浮かべたとこ」
同じことを考えていた喜びを感じつつ、マイラも頷いた。
地勢を思い浮かべるに、魔獣たちが真っ直ぐに山岳都市ベイルを襲い続けるなら、真南にあるここは素通りされてしまう。
「何を考えてるのかしらね、あいつ。人間のくせに魔獣なんかに肩入れして」
目的が読めない不気味さが『予言者』と名乗っていた男にはあった。
「分からん。案外、何も考えてないのかもしれない。考えすぎるのは考えてないのと一緒だ」
分かるような気もする、ガウソルの言葉だった。
考えすぎて妙なところに行き着き、魔獣を操るという選択に至ったのだ、そんな印象を持ったのかもしれない。
「マイラはいろいろと考えてくれてるから、俺は助けられたばかりだな。再会して、来てくれて良かった」
嬉しい言葉をガウソルがくれる。
「ここに私達が住んで、暮らしを確立すれば、誰かがまた来て、世帯を構えて。それが繰り返されて、ここは村に。更には町になるかもしれない。そうしたらね、私達二人が、その街の最初の2人ってことになるのよね」
夢のようなことをマイラは思っていた。ただ好きでいるだけのことに、何か箔のようなものをつけられる。そんな夢であった。
「それは、ただ生き抜くだけのことじゃないから、いいな」
ガウソルが今度は穏やかに微笑む。
(はぁ、狡い)
再び惹き寄せられてしまうマイラ。物理的にも惹かれていた。気づけば自分はガウソルのたくましい身体に抱きついてしまっているのであった。