171 魔剣
また、自分は何に同席させられているのだろうか。
山岳都市ベイルの女性魔術師トレイシーは当然の疑問を胸に抱く。
「これは高級品だから、もっと丁寧に扱いたまえ」
とても偉そうに腕組みをしてジェイコブが告げる。
暑い室内に金属で金属を叩く甲高く硬い音。
トレイシーが連れてこられたのは、山岳都市ベイルにある鍛冶工房の1つ『鍛冶屋のカンテツ』だ。決して広くはない工房で数人の男性が作業をしている。
「いちいちうるせぇなぁ、てめえは!毎日毎日来やがって!」
鍛冶屋のカンテツが怒り狂っている。小柄ながら声が大きく、怒鳴るとなかなかの剣幕であった。
(そりゃ怒るわよね)
怒鳴られているのが自分ではないので、トレイシーは冷静に思うのだった。
ジェイコブの用件は武器の修理である。
通常ならば鍛冶屋を信頼し、すべてを任せて預けておくべきところ、毎日自分を伴って居座り、じっと監視しているのだから。
「それの修復が済んだなら、すぐにでも魔力を籠めねばならない」
至って冷静に怒鳴られたジェイコブも告げる。熱気のこもる部屋の中で涼しい顔をしているのだった。
(で、私も無理矢理連れてきた、その意味よ)
思わずトレイシーは内心で指摘するのだった。一応、訊いてみたところ、『目の保養と箔をつけるためだ』という意味不明の言葉を賜ったのだが。訊いたことを後悔させられただけである。
「君も地方とはいえ、わくわくしないかね?鍛冶屋として。その名剣の復活に無名の君も寄与出来るのだよ?」
わくわくするどころか苛々するような言葉をジェイコブがカンテツに投げかける。
当然、勝手に『無名』だの、要らぬ『地方』だのという単語のせいで、カンテツの眉間に生じた青筋が色濃くなっただけであった。
(本当に名剣だから始末に負えないんでしょうね)
トレイシーは正確に状況を見て取っていた。遣うのもリドナーという守備隊でも名うての剣士らしい。カンテツ自身ですら『リドのやつのか。じゃあいいや』などと当初は言っていたのだから。
「誰が地方で無名だ。馬鹿にすんなっ!」
白髪の小柄な老人カンテツが怒鳴り返す。
「おまけにその高齢では命を使い尽くしてしまうかもしれんが。これなら遺作としても悪くあるまい」
性懲りもなく、さらりと失礼で怖いことを言うジェイコブである。名剣である前に魔剣なのだった。
「死んでたまるか、馬鹿野郎っ!」
意に介せず怒鳴り返すカンテツもカンテツなのであった。
「危ないんですか、あの剣?」
『私は極めて賢明で学識の花だ』と口走っていたジェイコブにトレイシーは尋ねる。どの辺に花があるのだろうか。
「彼が修復し、魔術機能も復活したなら、すぐにでも私が魔力を補充してやらねばならない」
ジェイコブが剣の方を向いたまま告げる。思えば『目の保養』などと言う割にはトレイシーの方など見向きもしていなかった。警戒しているのだ、と今更ながらトレイシーも気付く。
「あれは魔剣の中でもかなり原始的な代物だ。魔力を周囲から吸収する術式が刀身の深いところにかけられている。それがなかなか強力だ。近くにいる魔力のない人間からもなけなしの生命力を吸い上げようとするだろう」
ジェイコブの言っている意味を即座にトレイシーは理解した。カンテツ老人がかなり危険なのではないか。
「なんて恐ろしいものを修復しようとしてるんですか。それも普通の鍛冶屋さんで」
トレイシーはさすがに咎める声を上げた。
魔力を持たない鍛冶屋に任せていい仕事ではない。
「本来なら、魔力持ちの魔道具師にでも扱わせるべき案件だが、ここは田舎なのでそんな高尚な者はいない」
肩をすくめて、ジェイコブが言う。
「この町の取り柄は美女が多いことぐらいのものなのだ」
後半の発言をトレイシーは当然に無視する。
つまりジェイコブが怒鳴られ、うるさがられても顔を出すのは、いちおうカンテツの命を慮ってのことらしい。『遺作になる』という発言もただ失礼のために言ったのではなく、言葉通りの意味なのだ。
「それ、本人にちゃんと言いました?」
じとりとした視線をジェイコブに向けて、トレイシーは問う。
「言って、作業が及び腰になって、しくじったらどうする?気にせず作業をさせるには、あえて報せない方が私には都合がいい」
そこは自分の都合が最優先のジェイコブである。人でなしではあるのであった。
「でも、なんでそこまでして?」
思わずトレイシーは尋ねていた。自分が使うわけでもない剣を修復するのに、労力を惜しまないというのはジェイコブらしくない気がする。
「あれは強力だぞ。魔力を満たすのには、魔獣を斬ることでも大丈夫なのだ。魔獣の魔力を斬ることで奪うのだな。攻撃をすればするほど、機能も強化される、というわけだ」
楽しそうにジェイコブが説明する。
「命を吸う氷の魔剣ズウエンなどと呼ばれている」
恐ろしい名前ではあるのだが。
「それ、伝説のやつじゃないですか」
ティダールに昔からあるお伽噺の本に出てくる剣だ。
思わぬ名前にトレイシーは驚愕する。
「だから、シグは物の価値を知らんというのだ」
この部分はよく分からない。唐突に『シグは』などと言われても誰のことだというのか。
「あれはいいぞ。魔力が満ちると青く光るのだ、かなら美しいらしい」
このように嬉々として説明されると、ジェイコブの意図もうっすらと見えてくる。
(伝説の魔剣を蘇らせた男、とでも肩書持って美女とよろしくしたいのね)
トレイシーは日頃の行いからジェイコブの思考をそう読んでいたのだが。
「若い前途有望な剣士には、とても良い得物だと思わないかね」
純粋にそこはリドナーという剣士を高く買っているだけのことだったらしい。
(何事も先入観は禁物ね)
トレイシーは思い、ジェイコブに人間らしい感情が若干だけ残っていたことに驚くのであった。