17 ネブリル地方外縁
ネブリル地方の最も山岳都市ベイルに近い側をティダールでは『外縁部』と呼んでいる。ネブリル地方の中央から見れば、ベイルに近いところほど外側に当たるだろう、という考え方によるものだ。
一晩、悩み抜いた末、ガウソルは改めてティアを戦力として数えないことに決めた。何も期待しない。ある意味、討伐出発当初と何も変わっていないのだが。
「勝手にしていてくれ」
リドナーと何やら話し込んでいるティアを一瞥してガウソルはポツリと呟く。
祈りさえすればヒール以外のことも出来るのではないかと思う。だが無駄に意志の強い眼差しを思い出すにつけ、難しいだろうとも思えた。過去と他人は変えられない、とはよく言ったものだ。
(なぜ、似なくてもいいところが、よりによって似たんだ)
ガウソルはまるで姉と似ていない、小動物のようなティアの容姿を見て思う。大聖女レティも芯が強かった。いざ決めると他人の言う事などまるで聞いてはいなかったように、今となっては思う。
「隊長、ティア嬢の件は」
ヒックスが気まずそうに尋ねてきた。リドナーがティアに骨抜きで、あまり当てにならない今、名実ともに副官はヒックスである。
「あれは役に立たん。いないものとして扱え」
ガウソルは低い声で言う。
そもそもヒーラーを一人しか派遣してもらえなかったので、傷薬なども多く携行している。喫緊の問題はない。
「昨日、うちの分隊員たちを治す手際は悪くなかったように見えましたが」
少し遠慮がちにヒックスが言う。言いづらいことでも自分に話せるのがヒックスの良いところだ。責任感が強いのである。
まだ大きな負傷をしたものはいない。幸いなことではあるが、ティアの能力を測るうえで参考にならないということでもある。
(それにいざとなれば、俺が殲滅する)
部下が傷を負う前に倒すまでのことであり、外縁部でならガウソルは自分単独で容易にそれが出来る。
「ヒールしか使えん。これでは何が起こるか分からない場所では不安だ」
ガウソルはハッキリと告げた。
ヒールの効能は外傷を治すだけ。ネブリル地方ではドクジグモを始め、毒を使う魔獣も出るのだ。せめてキュアぐらいは使えるようでいてほしいのだが。
(あの頑固さじゃなぁ。誰か大事な人間が大怪我しないと、あれは変わらんだろう)
内心、ため息をつきながら、ガウソルは立ち上がる。
全員にネブリル地方外縁部への出動号令をかけた。
駐屯地から数時間ほど歩いて、ネブリル地方との境界に至る。明確な線が引いてあるわけではない。なんとなく平地となったらネブリル地方という認識である。
「隊長」
ヒックスが鋭い声を上げる。
ガウソルも気付いていた。早速、魔獣がこちらへと駆けてくる。
イワトビザルの群れだ。数は10匹ほどである。
「抜剣」
短くガウソルは告げる。全員が弾かれたように反応し、剣を抜いた。
二人一組で部下たちがイワトビザルに立ち向かう。
ガウソルはじっと戦況と個人の動きを観察する。群れのボスと思しき大きめの個体とやり合っている二人だけが圧され気味だ。
(俺も暴れたいが)
動き出しそうになる身体をガウソルは理性でなんとか抑え込む。
「まぁ、あんなのもいますかね」
好戦的な笑みを浮かべて、代わりにヒックスが弓に矢をつがえる。樹上にあがった群れのボスに向けて、ひょうと矢を放つ。
「すごい」
役立たずのヒーラー娘が声を上げる。傍らにはもう一人の主力リドナーが立っていた。
「ははっ、可愛い娘さんに褒められるのも悪くないな」
妻帯者のくせにヒックスが嬉しそうに笑う。隊員たちに圧倒され、樹上に逃げた数匹を次から次へと射落としていく。
「あまり調子に乗りすぎるなよ」
ガウソルは一応、釘を差しておいた。矢の数にも限りがあるのだ。
(あと、小娘に褒められて図に乗った件は奥さんに報告だ)
ガウソルはこっそり決め込むのだった。
イワトビザルの群れを片付けると、ティアがヒールをかけて回る。
憎たらしいことに感謝をされていた。そして、ガウソル自身も流石に、現に怪我をしている者の治療までを止めさせようとは思えない。
ガウソルは首を横に振った。
「よし、いくぞ」
山岳都市ベイル付近にまでやってくる魔獣は基本的には、最奥のより強力な魔獣に押し出されてきた、いわば弱小だ。外縁部にいる限り、さほど強力な魔獣とは出くわさない。
(邪竜王みたいなのを除けば、だがな)
本当に深刻な事態を及ぼすのは、稀に本格的な侵攻を目論む、知恵のある魔獣が最奥で発生しうる、ということだ。何年かに一回は生じる事態なのだった。
(これは)
途中、地面に大きな足跡を見つけた。足だけで1ミケン(約1.8メートル)はある。3本の爪を持つ。
「隊長」
部下たちが数人がかりでイワナゲグマを仕留めたのを見届けた、ヒックスが近づいてくる。もう一人、若い隊員のビョルンも一緒だ。
足跡を見て、目を見張った。
「大きな魔獣ですね」
ビョルンもしげしげと足跡を眺めて言う。腕は立つがリドナーには劣る、金髪の青年兵士だ。
「ガルムトカゲだな」
ガウソルは言い、立ち上がる。
巨大なトカゲ型の魔獣であり、学者によっては龍種に区分する、らしい。火炎球ぐらいは吹いて来る。外縁部にいて良い魔獣ではない。
「なんてこった、応援が要るかな」
ヒックスが腕組みして告げる。硬い鱗にはヒックスの矢も通らない。
本来ならば魔術師が欲しいところだ。リドナーでも相性が悪くて厳しい相手である。
(まして、ヒーラーがあれじゃあな)
ヒールしか使えない、金髪の役立たずを一瞥してガウソルは思う。ヒールしか使えないのでは、神聖魔術による攻撃はおろか、持久戦のための回復魔術も期待できないではないか。
「聖女がいりゃあな」
ガウソルはボソリと呟いた。
「ねぇ袖は振れねぇ。隊長らしくないですよ」
苦笑いしてヒックスが取りなすようなことを言う。
(お前は大聖女レティの、あれが妹だと知らないから、そう笑えるんだ)
ガウソルはため息をついた。さすがにこんな八つ当たりのように暴露をする気にはなれない。
「警戒しながら進む。出会ったら場所だけ記録して本営に伝えよう」
そして討伐部隊を編成して、出直してくるのだ。通常ならばそうするはずであるところを、ガウソルは必死で思い出して告げる。
「了解です」
理性的な回答に、ヒックスが安堵したような笑みを浮かべる。部隊員達にもガウソルがティアを嫌悪していることは筒抜けなのだった。
(まぁ、あとはもう1つしか、俺には解決策が思い浮かばない)
ガウソルは思い、深々とため息をつくのであった。




