167 そのころカレンは
ネズ燃しの儀の少し前にまで時は遡る。
鉱山都市ビクヨンでのルディの活躍を、皇都に住むカレンは遅れて知ることとなった。既に平原の大都市リンドスでも活躍していたことなど知る由もないのだが。
重装ジャッカルを200匹もたった一人で射殺したらしい。
(それも全て正確に額を射抜くだなんて、私には想像もつかない)
カレンは思い返していた。幼い頃に領地で重装ジャッカルの剥製を見たことがある。少し触ってみたところ、とてつもなく硬い頭をしていた。だから、ただ正確なだけではなく、ルディによる狙撃が強力でもある、ということだ。
「有能で、武芸にも優れている方でもあるのだけどね」
今、カレンはメルディフ公爵邸の自室にいる。文机と向き合っているところだった。
自分には出来ないことが出来て、感性だけで正答に辿り着いてしまう。羨ましい才能でもある反面、答えに辿り着く過程が自身では分からなかったり、話が飛躍したりするときもある。
「はぁ」
カレンはため息をつく。
頭の中で渦巻いているのは皇帝との対話だった。
(そんなこと、急に言われてもね)
ルディの中には今も大聖女レティがいる。
自分も長年、ルディとレティが結婚して、当代におけるリベイシア帝国の顔になるのだ、と思っていた、その1人なのだ。
(2人共、天才肌で、私から見てもお似合いだった)
大聖女レティの方が死んでしまい、自分はまだ生きている。自分の結婚について、ルディを絡めて考えることになるとは思っていなかった。
「自分ではない人をいつまでも愛していて、私には見向きもしてくれない人を、少しは愛せって。陛下はそうおっしゃるの?」
ここにはいない皇帝に問う。
相手が見てくれないから自分も見ない。ルディと自分との関係を端的に言うのであれば、そういうことだろうか。
相手も我慢して自分と結婚することになるのであれば、自分も我慢して結婚することとする。それで初めて、自分とルディは同じ立場で対等に話をすることとなるのではないか。
(対等なら有り難い。私も実家の面子があるから)
自分とルディがすることになるのは、あるいは、もしするのであれば、政略結婚なのだ。
(政略結婚は、好き嫌いとかの感情じゃなくて、理性でするものだって、私はそう思う。)
ルディに対して恋情のようなものを持つべきではないし、現に持ってはいない、と自身についてカレンは思っていた。もし、ギリギリ何か気持ちがあるとすればもどかしさだけだ、とも。
「でも陛下がわざわざ私に殿下との話をなさったっていうのは、良い材料といえば良い材料だけど」
カレンは自らに言い聞かせる。
かつてティア・ブランソンが婚約破棄されたとき、皇帝からは黙認されていたことを思えば尚更だ。
ルディの意に反しているかもしれなくとも、カレンを息子の相手として認めたから、わざわざ呼び出してくれたのだろう。
(ただ、その陛下ですら気にかけるぐらい、私と殿下の仲が冷え切っている、ということでもあるのよね)
思考がまた元のところに戻ってきてしまった。
(殿下にだって、問題があるわ。ティアさんだって困ってしまうのが分かりきってるのに)
好きでもない相手から、好かれてもいないのに婚約されて破棄されて、また復縁しようと言われることとなるティア・ブランソン。
立場としては一般人に落とされたというのに、また振り回されるのだ。
(皇族が本来、一般人に言い寄るなんて、それだって醜聞よ、醜聞。女性に執着してる、みたいに、骨抜きにされた、みたいに取られたらどうするの?)
実際のところ、ルディにとってティアの利点は大聖女レティの妹である、ということ以外何もないはずだ。
現にどれだけ嫌われているとしても、もしカレンの方が大聖女レティの妹だったなら、自分と結婚しようとしていたのではないか。
ティア・ブランソンも可愛らしいが、大聖女レティとは雰囲気がだいぶ違う。神にも祈らない。違う点がいくらもあって、破談したというのに。
「って、なんで私がこんな心配をしなくてはならないの?」
カレンはぼやいてしまう。つべこべ言わず、ルディが自分と政略結婚をすれば安泰なのに、という結論に至ることもしばしばだった。
結婚後も自分は遠慮なく物を言うし、ルディのような男にはそのほうがいいとも思う。
好きではない。好かれてもいないはずだが、いざ始めてしまえば悪くないのではないか。
カレンは机上に置かれた一通の報告書を見つめた。
味気ない無地の白い封筒に入っていた数枚の書類である。まさに報告書と呼ぶにふさわしい味気ない、実務的なものだが一応、私信という形を取られていた。
(決定的なことは予想通り、彼には難しいわよね)
差出人はジャイルズである。ルディの活躍について過不足なく正確に記載されていた。
送り込んだグラムに、こんな気遣いが出来るわけもないので、報告だけでも有り難い。ルディ自身からは当然、望むべくもなかった。
(今回は小さな村の道を整理したということだけれども)
いたく感謝されてルディ本人も満更ではなさそうだったという。
なんとなく胸が温まるのだった。
いつからかルディの活躍が嬉しく、ジャイルズからの報告を待つようになった自分を自覚している。
(今までは誰も知らせてくれなくて、何も思わなかったのだけど)
速報が来るというだけで、自分の受け止め方が変わり、まして嬉しくなってしまうとは思わなかった。
自分はどうしてしまったというのか。
「私ったら」
そしてカレンはびっしりと書き込まれた手紙を見つめる。薄桃色の紙を同色の便箋に入れる予定だ。
ルディからのものでも、ジャイルズからのものでもない。
これから自分が送り出そうとしている手紙だ。
カレンは生まれて初めて、ルディ皇子に対し、文をしたためて、巡視先へ送ろうとしてしまっているのであった。
次は平原の大都市リンドスに滞在するのだという。
「出来れば、その町にいる内に届くと良いのだけど」
嘆息して、カレンはつぶやくのであった。




