16 夜営〜ガウソルの落胆
まだ日が残っているものの、空の端から次第次第に辺りは暗くなっていく。彼方からは魔獣の蠢くような音や咆哮が聞こえてくる。
(いつ来ても変わらんな、ここは)
ガウソルは駐屯地の中央に据えた焚き火を眺めつつ思う。
「怪我をしてる人、他にいませんか?」
鈴の鳴るように可憐な声が駐屯地で不似合いに響く。
肩まで揃えた金髪を揺らしながらティアが怪我人にヒールをかけて回っていた。戦えない分の罪滅ぼしでもしようというのか。
「ありがとう」
可愛らしい少女に治療はもちろん、心配の眼差しまで向けてもらえて、若い隊員などはリドナー以外でも、嬉しそうだ。
(いかんな)
ついティアに対しては、うがった見方、考え方をしてしまう。部下の治療と回復など、隊長として素直に喜んでいればいいのだ。それでも咄嗟には悪し様に思ってしまう。
相手がティアだからだ。
一通り、分隊員全員の状態を確認してから、ティアが疲れた顔をして、ガウソルから割り振られた小屋へとよろよろ歩いていく。
(動きの悪い人間は見たところいない、回復術はしっかり使えるのか)
ガウソルは横目であってもきっちりと見て取っているのだった。昔から視力には自信がある。
「お疲れ様」
リドナーが水筒をティアに手渡しながら労う。なお、聴力にも自信があり、会話などは離れていても筒抜けだ。ただ聞こえたところで得た情報を自分はどうにも出来ないのである。
「いえ、私のせいで行軍も遅れてるから、これぐらいは」
なんとも殊勝なことをティアが言う。そして、両手でリドナーから渡された水筒を掴み、水を一口呑む。どことなく小動物のような所作だった。
ずっと歩きどおしだったから、貴族の箱入り娘にはかなり堪えたはずだ。それでも誰にも文句を言っていなかった。疲れているはずなのに、ヒーラーとして頑張ろうとしている。
(音を上げなかったのだから、少しは認めるべきか)
初めて魔獣討伐に派遣されたヒーラーのほとんどが初日は疲れ切って寝てしまっていたものだ。あんな治療行為は行わない。
ティア・ブランソンなりに頑張っている。
年端も行かぬ小娘に自分は何をムキになっているのだろうか。ふと、ガウソルは馬鹿らしくなってきた。
意を決して立ち上がる。さらにティアとリドナーの方へと近寄った。もう怪我人もいないので遅い夕食を2人で取ろうとしている。
「おい」
思ったより低い声が出た。
リドナーから丸パンを受け取って齧るティアがビクッと肩を震わせる。
「だから、隊長は怖いんですって」
リドナーが苦笑して言う。
「よくついてきていたし、身体は辛いだろうに、よく、隊員たちの治療をしてくれた。礼を言う」
リドナーの嫌味を無視してガウソルは立ったままティアを見下ろして告げる。
「明日からはいよいよネブリル地方での本戦が始まる。動きの悪い者がいないというのは大きい。それは、あんたの手柄だ」
浮かんできた言葉をそのままガウソルは口から出した。
「いえ。ここに来た以上、私は私に出来ること、頑張ります」
ここというのが、山岳都市ベイルを指すのか、ネブリル地方を指すのか微妙な言い方をティアがした。
改めて見れば見るほど、姉の大聖女レティとは別人の少女なのだ。16歳で亡くなった大聖女レティと、その当時と同年のはずなのに、かなり幼いとすら見える。
(見た目は人格と関係ないわけなんだが)
なんとなく甘えが見えて気に入らないのだ。思えば最初に見たときから実のところ気に入らない。だが気に入らないからきつくあたっている自覚もあるので、人間ならそれは、抑えるべきなのだ。
「分かった。明日以降も宜しく頼む」
ガウソルはやはり立ったまま告げた。面白くてしょうがないらしく、リドナーがにやにやと笑っている。
睨みつけてやったが、ふと、『出来ることを頑張る』というティアの言葉が気になった。
「明日以降の働きも大事だからな」
どう切出したものか。考えながらガウソルは続ける。
ティアの表情が少し明るくなった。
「あんたは何が出来る?」
ガウソルは鼻が利く。大聖女レティには至らないまでも、ティアからもこうして近付くとかなりの魔力を感じるのだ。実は本当のところ。かなりの戦力になるのではないか。
(攻撃もできるなら、かなり戦術の選択肢が広がる。まぁ、実際に戦術を考えるのはヒックスなんだが)
一応、ティアの肩書はヒーラーということになっている。ヒーラーと聖女の違いは微妙なもので、地方によっては一緒くたにされていることもあるので紛らわしい。ただ一般的には、より戦闘に向いた魔術を用いることの出来るのが聖女であり、回復術を専門とするのがヒーラーであるとされていた。
(そしてヒーラーよりも聖女の方が希少だ)
ガウソルはまた暗い表情に戻ったティアを見て思う。聖女も回復術を使えるが、ヒーラーの方は戦闘用の魔術までは使えない。
ではティアはどうなのか。他所の町では治療院に聖女がヒーラーとして勤めている例もある。
(やはり、俺が意地になり過ぎているんだな)
ガウソルは苦笑した。ティアが大聖女レティに至らないまでも聖女であり、破談・追放されたのは周りの期待が、姉が姉だけに大き過ぎたからではないのか。
「ヒールだけです」
顔を上げ、ティアがはっきりと宣言した。
「何?」
あまりに悪びれないティアのせいで、一瞬、何を言われたのかガウソルには分からなかった。
「私はヒール以外の魔術は使えません」
重ねてティアが真っ直ぐに自分を見つめて告げる。後ろめたいことなど何も無い、と言わんばかりの強い視線だ。
悪びれない態度がかえって腹立たしい。
「そんな馬鹿なことがあるかっ!」
思わず怒鳴っていた。他の隊員たちがギョッとして自分たちの方を向く。ティアもビクッと肩を震わせはしたものの、すぐに睨み返してくる。
「私は神に祈らないから、だからヒールしか使えません」
挙句の果てにハッキリと言い放つティア。
大聖女レティの妹でありながらヒールしか使えないということなどあるのか。増して、神に祈らないから、などという理由で、だ。なんのために無駄なぐらいに膨大な魔力を有しているのか。
(そうか、こんな欠陥があるから、この娘は)
頭の中ですべてが符合したガウソルはティアを睨み返す。
さすがにリドナーも間に入れないでいる。
「なぜ祈らない。お前は周囲の期待に応えようと思わないの
か」
低い声でガウソルは尋ねる。少し考えてみると、まったく神に祈らないならば、ヒールを使えるのがむしろおかしい。通常の魔術とは異なり、回復術・神聖魔術には信心が必要なのだから。
(素質だけなら、大聖女レティに本来、劣らなかったんじゃないのか?)
驚くべき結論に至りつつ、破談を決意した面々がどれだけ耐えてきたのか。想像するにつけ、ガウソルはそちらへの同情を抱いてしまう。
「祈っても、姉は死にました。あんなに祈っても十分な力を神様は貸してくれなかった」
自分の発している圧力はかなり険しいはずなのだが。
物怖じせずにティアが更に言う。無駄に度胸があるのである。
二の句を継ぐことがガウソルは出来なかった。
ガウソルもティダールの民の例に漏れず神竜信仰だ。日々の食事の感謝に祈りを捧げるぐらいはする。
(この娘はそれすらもしないのか)
どうすればいいのだ。
分かるのは、とんだ欠陥ヒーラーが大聖女レティの妹であり、自分の元へ押し付けられたという事実だけだ。
ガウソルはティアに背を向けると再び焚き火の前に戻り頭を抱えるのであった。